藤原有年 (FUJIWARA no Aritoshi)

藤原 有年(ふじわら の ありとし、生没年不詳)は、平安時代前期の官人。
藤原南家藤原乙麻呂流。
藤原乙麻呂より5世の孫。
曽祖父は大納言藤原雄友。
祖父は伊賀国守藤原弟河。
父は陸奥国守藤原高扶。
母は従五位上坂上関守女。
子に藤原正樹・藤原正茂(母は建部氏)がいた。

斉衡3年(856年)5月に備後国守になり、天安 (日本)2年(858年)9月従五位下近江国介になった。
以後、大宰府・讃岐国介・播磨国守を歴任した。
讃岐介在任時に殺人事件の責任を問われて笞刑50、贖銅5斤を科せられた。
また同じく讃岐介在任時の貞観 (日本)9年(867年)に日本の書道史草仮名の最も古い例としての自筆文『藤原有年申文』が国宝として現存(東京国立博物館蔵)する。

藤原有年申文

全名を『讃岐国司解藤原有年申文』(さぬきのこくしのげ ふじわらのありとし もうしぶみ)という。
この申文(上申書)は、「讃岐国戸籍帳」1巻の見返し(表紙裏)に有年が記したものであり、「讃岐国司解」という解文(上申書)の前に添えられている。
「讃岐国司解」とは、貞観9年(867年)2月16日、那珂郡 (讃岐国)と多度郡に住む因支首(いなぎのおびと)一族から出された和気公(わけのきみ)への改姓願いである。
讃岐国司(現在の香川県知事)が太政官に提出した。
この時、有年は讃岐介(現在の副知事)を務めており、その『有年申文』の全文は、次のように記されている。

改姓人夾名勘録進上 許礼波奈世无尓加 官尓末之多末无 見太末ふ波可利止奈毛お毛ふ 抑刑大史乃多末比天 定以出賜 いとよ可良無 有年申
漢文と万葉仮名の草書体(草仮名)とを混用し、中に女手(平仮名字体)や2字連続の草書体(連綿草)を含んでいる。
草仮名の最古のものであり、また文書に仮名が使用されたものである。
そのため、日本の書道史・国語史の上で重要な研究史料となっている。

[English Translation]