藤原滋実 (FUJIWARA no Shigezane)

藤原滋実(ふじわらのしげざね、生年不詳-延喜元年(901年))は、平安時代前期の武官。
藤原南家藤原真作流。
父は従四位下兵衛府陸奥国守藤原興世。
母は大中臣実阿の女。
妻に従五位下布勢貴子らがいる。

元慶2年(897年)3~4月、出羽国守藤原興世(滋実の父)は、秋田城(城跡は秋田県秋田市寺内にある)が夷俘によって焼き討ちにされたことを上奏した(元慶の乱)。
朝廷はこれを受けて藤原保則を出羽権守に任じてこれを討たせた。
同時に、同年7月に正七位下馬寮藤原滋実らを派遣して不動穀を俘囚に支給して彼らを懐柔し、俘囚深江弥加止らに反乱した夷俘を討たせる策を採用して事態を収拾した。
同年8月、滋実は出羽権掾文室有房とともに単騎で夷俘のもとに直行し、賊徒らの降伏の願いを聞いた。
元慶3年1月、無抵抗で降伏の願いを出した夷俘を慰撫するため出羽国に派遣された。
延喜元年、従四位下陸奥守近衛府で卒去。

『菅家後集』に菅原道真による誄詩が残っている。

父藤原興世
母大中臣実阿の女
妻布勢貴子
男子藤原朝鑑
男子藤原令名
男子藤原当峯
男子藤原善文
男子藤原好風
妻上毛野氏
男子藤原朝範

[English Translation]