藤原経子 (FUJIWARA no Keishi)

藤原 経子(ふじわら の けいし/ つねこ)

藤原経平の女
藤原家成の四女

藤原経子(藤原経平の女)

藤原 経子(ふじわら の けいし/ つねこ、生没年未詳)は、平安時代後期の女官。
父は従三位大宰大弐・藤原経平。
兄弟に藤原通俊がいる。

後三条天皇・白河天皇両天皇に典侍として仕える。
承保2年(1075年)4月、白河天皇の寵愛を受けて皇子(覚行法親王)を産む。
後に、参議・藤原公定の室となる。

藤原経子(藤原家成の四女)

藤原 経子(ふじわら の けいし/ つねこ、生没年未詳)は、平安時代後期の女官。
父は中納言・藤原家成。
兄弟に藤原隆季・藤原成親らがいる。
左大臣・藤原経宗の猶子。

平重盛の正室となり、平清経・平有盛・平師盛・平忠房を産む。
仁安 (日本)元年(1166年)叙爵。
同年10月、高倉天皇の立太子にあたり、乳母に選ばれた。
仁安3年(1168年)高倉天皇即位により、従五位上・典侍となる。
嘉応元年(1169年)11月の八十嶋祭では、勅使役を勤めた。
夫・重盛の官位から、大納言典侍、大納言三位と呼ばれた(ただし、従三位に叙された時期は不明)。

[English Translation]