藤原顕綱 (FUJIWARA no Akitsuna)

藤原 顕綱(ふじわら の あきつな、長元2年(1029年) - 康和5年6月27日 (旧暦)(1103年8月1日))は平安時代後期の廷臣、歌人。
藤原北家藤原道綱流の出身で、参議藤原兼経の三男。
正四位下、丹波国守、讃岐国守、但馬国守。
通称は讃岐入道。

歌人として知られ、承暦2年(1078年)の内裏歌合などに出詠。
家集として『讃岐入道集』(『顕綱朝臣集』)があり、『後拾遺和歌集』以下の勅撰和歌集に25首が入選している。
また古典にも造詣が深く、『万葉集』の書写などを通じてその伝承に貢献した。

母が禎子内親王の乳母であった。
関係から後三条天皇に近く、次男の藤原有佐は、実は後三条天皇の落胤であったと伝えられている。

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