裏松光世 (URAMATSU Mitsuyo)

裏松 光世(うらまつ みつよ、元文元年11月11日 (旧暦)(1736年12月12日) - 文化 (元号)元年7月26日 (旧暦)(1804年8月31日))は、江戸時代の有職故実家、公卿。
烏丸光栄の子、裏松益光の養子。
日野資枝は弟。
法名は固禅。

竹内式部と往来があり、江戸幕府の忌諱にふれ、宝暦事件に座し、永蟄居。
のち内裏造営にさいし、考證の功により、勅命により赦免される。

『大内裏図考證』
和装14冊。
天明8年(1788年)、蟄居30年間を費やして完成。
裏松光世著、内藤広前(ないとう ひろさき)補正。
藤井貞幹も助力したという。
「故実叢書」所収。
「増訂故実叢書」所収。

大内裏研究の第一の書。
平安京左右両京の区画制度、離宮、摂関の邸第などから書き始めて、大内裏構内の諸殿舎にかんして綱をあげ、目をわかち、古図旧記をかかげて例証し、くわしく解説する。

朝堂院の付録として大嘗宮にかんする考証をのせ、紫宸殿、清涼殿の付録として両殿内の調度をしるすなど、関係事項を網羅し、すこぶる用意周到である。

奇しくも刊行された年に発生した天明の京都大火により皇居が炎上したが、寛政2年(1790年)、新造内裏が古制に復することができたのは、裏松の功績が絶大であった。

[English Translation]