西園寺実輔 (SAIONJI Sanesuke)

西園寺 実輔(さいおんじ さねすけ、寛文元年(1661年) - 貞享2年1月5日 (旧暦)(1685年2月8日))は、江戸時代前期の公卿。
霊元天皇(112代)の代の朝廷に仕え、官位は従三位中宮職まで昇った。

父は関白鷹司房輔。
母は長州藩主毛利秀就の娘。
養父は近衛府西園寺公遂。
兄に関白鷹司兼熙、弟に茶人鷹司輔信、関白一条兼香がいる。
子に左大臣西園寺致季がいる。

当主の早世により西園寺家に相続人がいなくなっていたため、この実輔が鷹司家から故西園寺公宣娘の養子縁組になり、西園寺家を相続した。

天和 (日本)元年(1681年)に中納言となり、天和3年(1683年)に霊元天皇の中宮鷹司房子の中宮権大夫に就任しているが、貞享2年(1685年)に二十五歳の若さで薨去した。

[English Translation]