西園寺治季 (SAIONJI Harusue)

西園寺 治季(さいおんじ はるすえ、文化 (元号)6年6月14日 (旧暦)(1809年7月26日) - 文政9年7月9日 (旧暦)(1826年8月12日))は、江戸時代後期の公卿。
光格天皇(119代)と仁孝天皇(120代)の二朝にわたって仕えた。
官位は従三位近衛府までのぼった。
父は中納言西園寺寛季。
母は大納言正親町公明の娘。
子に近衛府西園寺師季がいる。

文化9年(1812年)に叙爵。
以降累進して近衛府、近衛府を経て、文政7年(1824年)に従三位となり、公卿に列するもその二年後に父に先立って薨去している。
享年18。
治季の死去後に実子の西園寺師季が誕生したが、幼すぎるので有栖川宮韶仁親王の王子の西園寺公潔が臣籍降下養子による臣籍降下して西園寺家の養子縁組となり、これを相続した。

[English Translation]