遠藤謹助 (ENDO Kinsuke)

遠藤 謹助(えんどうきんすけ、男性、1836年(天保7年)2月15日 - 1893年(明治26年))は、明治時代の長州藩出身の官僚で長州五傑の一人。

経歴
遠藤は慶応2年(1866年)にイギリス留学より帰国。

1866年 英国公使ハリー・パークス(1828-1885)はキング提督に長州藩を訪問させるよう調整した。
井上馨らは三田尻で出迎えて饗応し、翌日停泊する英国艦提督室で毛利敬親父子との会見が実現した。
この時遠藤と井上が通訳をした。

明治維新後は、1870年から1893年まで造幣局 (日本)に務めている。

明治7年には指導責任者であるイギリス人のお雇い外国人キンドルと衝突し、造幣局を去った。
しかし明治8年1月にはイギリス東洋銀行と契約を解消し、キンドル他9人のお雇い外国人が解雇されると、再び造幣局に戻る。

毎年4月中旬の1週間、局内の桜並木を一般公開する大阪造幣局「桜の通り抜け」は1883年に当時の局長だった遠藤の指示により始まり、現在も大阪の春の風物詩として継承されている。

[English Translation]