長井時秀 (NAGAI Tokihide)

長井 時秀(ながい ときひで、生没年不詳)は鎌倉時代の人物。
長井泰秀の子。

『吾妻鏡』1254年(建長6年)12月1日条によると、父の死の翌年には引付衆五番に任ぜられた。
『吾妻鏡』1257年(正嘉元年)10月30日条を始め、1264年(文永元年)、1282年(弘安5年)にも東使として京に赴いたことが解る。
その間1265年(文永2年)6月11日条では評定衆に新任とあり、1271年(文永8年)には備前守となる。

子に長井宗秀があり、『吾妻鏡』の編纂者のひとりではないかと推測されている。

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