八幡田辺線 (Yawata - Tanabe Bus Route)

八幡田辺線(やわたたなべせん)とは、京都府の八幡市の八幡市駅と京田辺市の京田辺駅・新田辺駅の路線を核とする京阪バスの路線バスの路線名である。

本項では次の関連する系統についても記述する。
内里西岩田循環線(旧・京阪宇治交通時代の正式路線名。京阪バス合併後は八幡田辺線に統合)
宇治車庫からの入出庫を目的として設定され、その為八幡田辺線の関連系統であった、既に廃止された八幡宇治線
上記の後継系統の八幡大久保線(京阪宇治バス宇治営業所/大久保駅 (京都府)~京阪八幡系統)

沿革
男山バス→京阪バス(枚方)時代
運営バス事業者は男山バス→京阪バス(枚方)→京阪宇治交通→京阪バス(男山/京田辺)と路線を運営する会社が変遷していった。
男山バス時代の1938年11月に開業し、戦時中も休止せずに運行を行っていた、当時は中距離に分類されるバス路線であった。
1941年頃に京阪バスが男山バスより免許を譲渡されて同社に引き継がれた。
この当時は京阪バス枚方営業所が路線を管轄していた。
(八幡口は京阪バス淀営業所(1967年廃止)の方が近いがこの八幡田辺線は枚方が担当していた)

京阪宇治交通時代
1969年6月に京阪宇治交通が大阪府枚方市の楠葉地区に路線を開設する。
その際に連絡等を目的として同年3月3日路線譲渡を申し入れた。
京阪バスも了承の上4月1日に内里経由・岩田経由の廃止許可申請を行った。
同年10月29日より京阪バスより京阪宇治交通に路線が引き継がれた。
同時に新田辺~京田辺市立草内小学校(現・草内。バス停留所の位置は譲渡当時と現在とで異なる)の路線も引き継ぐ。
この関係で八幡田辺線は一部が草内小学校発着となった。
また引き継ぎ後の一時期は京阪八幡より山城大橋を超えて独立行政法人国立病院機構南京都病院への路線も存在。
この際、宇治営業所からの入出庫を目的として宇治車庫~近鉄大久保~京阪八幡の路線も開設された(八幡田辺線は宇治と当時存在していた京阪宇治交通宇治田原営業所との共同管轄となる。
この当時は八幡田辺線は途中経路地の違いで2系統あった。
(他に岩田での途中折り返しの系統も含む。これは現在でも基本的に変更が無い。尚八幡宇治線は当時は宇治のみの管轄である)
宇治田原管轄便及び宇治管轄便は基本的には岩山~新田辺(田辺線。当時の系統名)若しくは回送で出入庫していた。

1971年に京阪宇治交通くずは営業所が開設されたがこの路線は担当していなかった。
同年4月6日、八幡小学校前を新設。
同年7月29日に運行区間は京都府営河原住宅(京都府立田辺高等学校北側の団地)に乗り入れを開始した。
この時に新田辺~草内の折返し系統は一旦廃止された。
1972年7月20日より工業高校前(現・田辺高校)~東と草内口~草内が国道307号の新道に路線載替を行った。

宇治田原営業所は1974年2月22日を持って宇治営業所に統合され閉鎖され、八幡田辺線は一旦宇治管轄便のみとなる。
同年5月20日に京阪バス男山営業所が開設(同年5月27日営業開始)。
同年9月16日改正で宇治管轄便を男山管轄に移管した。
(八幡宇治線は宇治管轄便が残った為この日以降八幡大久保線になった後の1999年1月11日まで宇治と男山の共同管轄であった。男山便のみ八幡田辺線と共通運用。又61系統は1988年11月11日まで田辺線の間合い運用で宇治管轄便が残っていた)

尚系統番号 (バス)が1974年9月16日改正で同線を含む各路線/経由地別に付番された。

1974年9月16日改正当時の系統番号を以下に記す。

京阪八幡~内里~新田辺~国立病院 70系統
京阪八幡~佐山~林~近鉄大久保~宇治車庫 72系統
京阪八幡~内里~新田辺~河原住宅前~草内 73系統
京阪八幡~内里~新田辺~河原住宅前 74系統
京阪八幡~岩田~新田辺~河原住宅前 75系統
京阪八幡~岩田 76系統
京阪八幡~岩田~新田辺 78系統
京阪八幡~内里~三野 79系統
停留所名はJR京田辺及び新田辺は1997年7月26日以降はそれぞれ正式の「JR京田辺」(同日JR田辺駅より改称)、「近鉄新田辺」表記となった。
京阪バスとの合併で一旦同社の停留所名である「京田辺駅」「新田辺」に統一したが、2008年10月19日改正で再度「近鉄新田辺」に戻した。
同日京田辺駅も「JR京田辺」に戻した。

1979年5月26日、森~川口間に小西を新設。
1981年1月7日、河原住宅前発着便は新田辺駅付近の新道完成に伴い新田辺駅発着に変更し新田辺~河原住宅前間を廃止。
同時に新田辺~草内の61系統を再設定した。
乗客の少なくなった70系統京阪八幡~国立病院の系統を廃止し、同時に初代75系統は78系統に統合され2代目の75系統となり、京阪八幡~岩田~新田辺で運行される様になった。
この時、京阪八幡~岩田~新田辺~草内の75B系統が設定された。
又73系統は京阪八幡発の片道のみの運行に変更された。
これにより一部に京阪八幡~草内がある(草内発は75B系統のみ)他は基本的に京阪八幡~新田辺で運行される事になった。
尚1982年5月13日に京阪八幡~岩田の76系統は岩田南の新設により岩田~岩田南間を延長し、以後は京阪八幡~岩田南間の運行となる。
同日、川口~下奈良間に小宮が新設された。

1983年には八幡市駅前バスターミナル完成により八幡小学校(2006年4月1日より京阪バスの停留所名である「八幡小学校前」に統一)-京阪八幡間の経路変更を実施。

また八幡宇治線も数度経路変更を繰り返した。
1976年4月13日以降は市田に立ち寄りを開始。
その際に近鉄大久保経由を取り止め、下津屋口以降は市田・安田・北山住宅の住宅街を通り小倉駅 (京都府)経由となった。
その後1981年3月13日以降は高等学校の通学圏の変更等による改正で経路変更を行い、市田・安田経由を廃止し、久御山団地・名木・緑ヶ原経由に変更した。

その後1989年に京阪バス京田辺営業所(当時)の開設により一部の便が田辺の管轄となり、順次田辺管轄便を増強した。
同時に73系統は再び草内発が設定され往復運行に戻った。
1991年より一部が新設された池嶋(いけじま)に立ち寄る系統を新設する(75C系統)。
又同時に76系統のごく一部がラッシュ時に池嶋まで延長され76B系統となった(京阪八幡~池嶋)。

1990年代前半頃に草内を目前とした美禅(びぜん)折返しの61A系統と東田辺経由で新田辺~草内を結ぶ路線の61B系統も新設された。

1996年4月17日のダイヤ改正で草内系統は新田辺で系統分割を実施した為これ以降八幡田辺線は全便が京阪八幡~新田辺(と新田辺~草内)の運行となった。
1997年7月26日改正で八幡宇治線は経路変更及び京阪八幡~大久保駅 (京都府)に短縮の上八幡大久保線と改称し(系統番号は不変)、平日1日2.5往復のみの運行となる。
近鉄大久保発の片道1本のみ男山管轄(八幡田辺線とその関連系統で運用)の他は宇治管轄であった。
この時、八幡田辺線に八幡市民体育館停留所が新設された。
その後1998年1月21日改正で片道1本の減便により男山が撤退した。

1999年1月11日より八幡大久保線の宇治管轄分は田辺管轄に移管された。
これ以降八幡大久保線は平日2往復が田辺管轄での運行となる。
(同時に八幡田辺線との共通運用ではなくなり、大久保線(久御山団地~近鉄大久保の26系統を主軸とする系統の総称。現在でも使用されている)及び宮ノ谷線(近鉄大久保~宮ノ谷で運行する58A系統)との共通運用となる)

2000年4月に八幡市内を走行する循環路線の73系統(内里西岩田循環左回り)と途中の内里南まで運行する73A系統が設定された。
但しこの時点では両方とも1本ずつ(73Aは片道の内里南行きのみ)であった為内里~西岩田間の路線免許取得の為の免許維持路線としての開設であった。

2000年7月1日改正以降は八幡田辺線では2系統合わせて昼間時30分間隔のダイヤから同40分間隔に大減便を行った。
2経路合わせて80分間隔である。
尚、京阪八幡~上奈良間は途中折り返しの76系統及び循環系統の73.73C系統が運行され20分間隔、上奈良~西岩田及び上奈良~内里は20ないし40分間隔となる。
尚、この改正で73系統(内里西岩田循環右回り)が設定され、73C系統も増発された。
これにより免許維持路線ではなくなった。
逆に昼間時の73/73Cは76系統の立替であった為西岩田~岩田南間は大幅な減便となった。
尚後年に農業協同組合前は八幡市立有都小学校に停留所名が改称されている。

京阪バス(男山/京田辺)時代
2006年4月1日、京阪宇治交通は関連会社の京阪宇治交通田辺と共に京阪バスに合併された。
これに伴い37年振りに八幡田辺線は京阪バスが運行する事になった。
但し1969年以前と違い、営業所の管轄は京阪宇治交通時代に引き続き男山と田辺(当時)の管轄となった。

尚系統番号に付いては京阪宇治交通時代の呼称であった「XX系統」より京阪バスの正式呼称である「XX号経路」に変更されたが系統番号の変更は無かった。
又この合併の際のダイヤ修正により田辺管轄便が大幅に増え、男山管轄便は激減した。
また合併前の2004年~2006年頃に75号経路は75C号経路と統合された。
これは池嶋の移設により全便停車可能となったからである。
尚八幡~池嶋の76B号経路は現在でも存続しているが、バス回転場の使用停止により工場の外周道路を使用して回転している。

2007年11月9日で乗客減とエリア調整を理由に八幡大久保線は廃止された。

2008年5月10日より田辺営業所の移転により営業所名が京田辺営業所となったが、この路線に対してのダイヤは変更されていなかった。
同年10月1日より同路線のでPiTaPaの利用が可能となった。
尚同年10月19日のダイヤ改正で松下前はバス停の名称を「大住浜」に改称した。
京田辺駅/新田辺も京阪宇治交通時代末期の正式名称である「JR京田辺」「近鉄新田辺」に戻した。

運行区間
2008年現在の八幡田辺線は、本経路は以下の3路線8経路が、関連系統を含めると4路線11経路が運行されている。

本経路
73号経路 京阪八幡~小西~上奈良~上津屋(こうづや)~八幡市民体育館~西岩田~岩田北~内里南~内里(うちざと)~上奈良~京阪八幡
内里西岩田循環の右回り経路。

73A号経路 京阪八幡~小西~上奈良~上津屋~八幡市民体育館~西岩田~岩田北~内里南
上記の途中折返し経路。
本数は片道1本(八幡発内里南行き)のみ。

73C号経路 京阪八幡~小西~上奈良~内里~内里南~岩田北~西岩田~八幡市民体育館~上津屋~上奈良~小西~京阪八幡
内里西岩田循環の左回り経路。

74号経路 京阪八幡~小西~上奈良~内里~美濃山口~松井~八小路(はっこうじ)~岡村~三野(さんの)~一休寺道~田辺本町~京田辺駅~近鉄新田辺
75C号経路 京阪八幡~小西~上奈良~上津屋~八幡市民体育館~岩田~池嶋~中島橋~三野~一休寺道~田辺本町~京田辺駅~近鉄新田辺(京阪宇治交通時代の78系統がルーツである)
76号経路 京阪八幡~小西~上奈良~上津屋~八幡市民体育館~岩田~岩田南
八幡田辺線の途中折り返し系統。
本数は少なく、昼間時の設定は現在では無い。

76B号経路 京阪八幡~小西~上奈良~上津屋~八幡市民体育館~岩田~池嶋(いけじま)
八幡田辺線の途中折り返し系統。
ラッシュ時のみ運行

79号経路 京阪八幡~小西~上奈良~内里~美濃山口~松井~岡村~三野
八幡田辺線の途中折り返し系統。
1往復のみ運行

75C号経路は路線の大半が、その他の系統は途中区間の上奈良~三野間と田辺本町~近鉄新田辺間、及び内里~西岩田間を除き京都府道22号八幡木津線を走行している。

関連経路
61号経路 近鉄新田辺~田辺高校~草内
61A号経路 近鉄新田辺~田辺高校~美禅
61B号経路 近鉄新田辺~東田辺~草内
新田辺から草内方面に運行される経路。
61B号経路は新道を経由する。

運用車両
男山/京田辺の両営業所に配属されている車両の内、小型車/中型短尺車を除く車両が運用されている。
狭隘路線の区間が(その区間内である岡村界隈には2ヶ所にほぼ直角の曲がり角も)あるものの大型車両の運行も問題が無い。
但し、旧・京阪宇治交通車両の大半は2008年内までに新車または転属車によって一斉に置き換えが行われた。

特記事項
内里経由の74/79号経路は途中区間に狭隘路線があるが、住宅の多い地区を走行するので昼間時の利用が多い。

上記に対して岩田経由の75C号経路は途中区間に上津屋工業団地及び岩田工業団地と後者に隣接する京田辺市大住地区の工場地帯を走行するので朝夕ラッシュ時の乗客数が多い。
75C号経路の沿線の工場には日本ルナ(上津屋)や恩地食品(岩田南)、大日本印刷(池嶋)、明治乳業京都工場/住江工業(バス部品メーカー。以上中島橋)等と言った著名なものも立地している。
但し75C号経路は早朝には運行されておらず、19時台以降も京阪八幡発の1本のみしか運行されていない。

75C系統の内、大住浜には近鉄新田辺行きのみ停車する(八幡行き乗車の場合は1つ八幡寄りの池嶋ないし1つ近鉄新田辺寄りの中島橋乗車となる)。

[English Translation]