新幹線 (Shinkansen (a term related to bullet trains))

新幹線(しんかんせん)は、旧日本国有鉄道(国鉄)が1964年(昭和39年)10月1日に営業運転を始めた東海道新幹線を初の路線とし、現在JRグループが運行する高速鉄道路線およびそれに用いられる車両、並びに関連する鉄道輸送システム全体をも指す呼称である。

新幹線300系電車、新幹線0系電車
新幹線0系電車、新幹線N700系電車、新幹線300系電車、ひかりレールスター、新幹線500系電車、300系

定義・概要

全国新幹線鉄道整備法(全幹法)第2条では、新幹線鉄道を「主たる区間を200キロメートル毎時以上の速度で走行できる幹線鉄道」と定義している。
新幹線はその性質から在来線とは構造も役割も異なる。
しのため、一般の鉄道敷設法などに加えて、新幹線鉄道における列車運行の安全を妨げる行為の処罰に関する特例法などにより、法律的にも一般の鉄道とは違った扱いを受ける。

建設は独立行政法人鉄道建設・運輸施設整備支援機構(鉄道運輸機構)が行ない、その費用は国や沿線自治体が負担する。
運営は旅客鉄道会社(JR)が専ら行なっている。
「新幹線の運営はJRでなければならない」など、法律面で鉄道事業者を特定していない。
しかしながらが、運営がJRグループに継承されている理由としては、以下のようなことが挙げられる。

新幹線の経営には莫大な費用がかかり、それを負担できる資本力があるのは日本国有鉄道の業務を継承したJR各社しか存在しない。

旧国鉄には、東海道新幹線・山陽新幹線・東北新幹線・上越新幹線を経営してきた実績があり、それがJR各社に分割民営化されたことで、運営ノウハウを知悉した人材はJR各社のみに引き継がれた。

また、いわゆるミニ新幹線はあくまでも「在来線の路線改良及び標準軌化による新幹線路線への直通化」であり、本稿における新幹線には該当しない。

呼称

新幹線とは、元々は従来の幹線に対して「新しい幹線」という意味である。
例えば、東海道新幹線は在来線である東海道本線の線増として建設された為こう呼ばれた。

日本以外の国々では Bullet Train(弾丸列車)、Super Express(超特急)、もしくはそのまま Shinkansen(新幹線)の名で広く知られている。
1964年の東海道新幹線開業当初は、New Tokaido Line(東海道新線)とも案内された(現在でも横浜市営地下鉄では車内電光掲示板で使われている)。
なお現在では駅内の案内板等では路線名としては Shinkansen を使用し、列車名を表す場合は各駅停車も含めて、例えば NOZOMI Superexpress などと、Superexpress という名称が使われている。
これはJRグループで特別急行列車を表す Limited Express より上位の列車という意味で Super という単語を用いている(日本語で言えば「超特急」)と考えられる。

ちなみに、車内放送でも “Welcome to the Shinkansen. This is the NOZOMI superexpress・・・”などと放送される。

新幹線に関する主な技術

新幹線鉄道は、その大部分の区間において200km/hを超える速度で運行する。
そのため、在来線鉄道とは異なった様々な技術が用いられている。
速度のみならず、乗り心地や安全面でも高い水準が確保され、その成功は日本以外の世界各国において高速鉄道の価値を見直すきっかけともなった。

路線・軌道設備

路線は、在来線と別ルートで新規に建設した線路設備を用いる(ミニ新幹線を除く)。

軌間は標準軌 (1,435mm) を用いる。

カーブにおける曲率半径を大きくし、できる限り直線を確保する。
曲率半径は東海道新幹線が2,500m(制限速度255km/h、新幹線N700系電車のみ制限速度270km/h)、山陽新幹線以降に建設された各線は4,000m以上(現状の最高速度300km/hでは減速せず通過できる)が基本となっている。
但し、東海道新幹線の東京 - 新横浜間や東北新幹線の東京 - 大宮間のような都心部区間、あるいは全列車が停車する主要駅の前後においては、その限りではない。
また、通過列車が多い熱海駅や徳山駅の前後などにおいても、用地や地形の関係からやむを得ず急曲線が存在する区間がある。

事故防止のため以下の設計を行う。

自動車との衝突事故を防ぐため、踏切を一切設けない(ミニ新幹線として運行されている在来線の場合は、踏切数を削減すると共に保安設備を強化している)。

線路内に一般の人が立ち入れない様にする。
前項も含めた対策として全線立体交差とする(ミニ新幹線を除く)。
また、列車の運行妨害等に対しては法律面でも「新幹線鉄道における列車運行の安全を妨げる行為の処罰に関する特例法」によって在来線より厳しい罰則を定めている。

通過列車との接触など人身事故を防ぐため、プラットホームに可動ゲート付きの安全柵を設ける(例:新横浜駅や新神戸駅など)か、通過線と待避線を分ける(例:静岡駅、福島駅 (福島県)など)。
ただし、大宮駅 (埼玉県)や軽井沢駅など通過列車の通過速度が低い駅には安全柵のみ設けられている。
また、東海道新幹線・山陽新幹線の東京駅や名古屋駅、京都駅、新大阪駅、博多駅など全列車が停車する駅には、当初柵などは設けられてはいなかったが後に安全柵のみが設けられた。
また、東海道新幹線では、静岡駅や浜松駅など、通過線と待避線が分かれていながら安全柵が設置されている駅もある。

乗り心地や安全性の向上、騒音対策などから、軌条や分岐器(ポイント)にも様々な工夫が施されている。

レールは、継ぎ目の数を減らした軌条ロングレールを使用。
東北新幹線のいわて沼宮内駅 - 八戸駅間には、国内最長の延長約60.4kmに亘る「スーパーロングレール」が用いられている。

ポイントは、通過時の振動が少ない分岐器弾性ポイント(弾性分岐器)と、レール交差部の欠線部を埋めるノーズ可動クロッシングを使用。
また、高崎駅北方にある上越新幹線と北陸新幹線(長野新幹線)との分岐には、分岐側が160km/hで通過できる国内最高水準かつ最長のポイントが設置されている。

新幹線の駅間距離は、中距離・長距離輸送を主とすることから、原則として在来線より長く取られている(30 - 40km程度)。

信号システム

地上の信号機を車上から目視確認して運転する事は高速運転のため不可能である。
自動列車制御装置 (ATC) を備え、運転室内に車内信号による運行指示が表示される。

運転指令所の列車集中制御装置 (CTC) から、全ての列車の運行状況を一括管理している。
現在では列車運行管理システム (PTC) も導入されており、通常のポイント操作や信号制御、駅自動放送から車両の管理整備、輸送障害時の復旧ダイヤの作成に至るまで、あらゆる業務がコンピュータによって高度にシステム化されている。

電源方式

単相交流25,000ボルト (単位)で電力を供給する。
饋電(きでん)方式は現在ではAT饋電方式に統一された(当初、東海道新幹線はBT饋電方式)。
商用電源周波数は以下の通り。

東海道新幹線では60Hzに統一して給電している。
静岡県の富士川を境に50ヘルツと60Hzの電源周波数区分を跨っている。
しかしながら、当初から山陽方面への延長を構想していたため全線で統一し、車両側の特高圧機器の簡素化を図ったものである。
なお、電源周波数区分50Hzの地域では周波数変換所が設けられ、新幹線電源用に60Hzに変換している。

北陸新幹線(長野新幹線)は軽井沢駅 - 佐久平駅間で50/60Hzの切り替えセクションが存在する。
車両側も50/60Hzの双方に対応。

上記以外の山陽新幹線(東海道新幹線を延長した形で建設された)・東北新幹線・上越新幹線・九州新幹線(鹿児島ルート)の各新幹線はそれぞれの沿線地域と同じ(山陽・九州は60Hz、東北・上越は50Hz)。

いずれの電気方式においても、変電所間での位相(北陸新幹線においては周波数)の相違を解決する必要がある。
しかしながら、高速を維持するため連続力行運転を行うことから、変電所の饋電区間の境界は、在来線のようにデッドセクション(アーク発生防止のため惰行で通過する)ではなく、地上切替方式を採用している。
切替区間はエアーセクションで区分される。
その前後の変電所の双方から饋電できる。
最初は進入側の変電所から饋電し、列車が切替区間に入ったことを検知すると進出側の変電所からの饋電に切り替える。
この間はおよそ0.5秒程度であり、乗客が切替を感知することはほとんどない。

ミニ新幹線である山形新幹線と秋田新幹線は、改軌前より50Hz・20,000V交流電化された区間であった。
そのため、改軌後もこれをそのまま採用し、直通車両を複電圧車とした。
この場合の異電圧区間の接続はデッドセクションとなっている。

車両技術

機関車などにみられる「動力集中方式」(無動力の客車を牽引する方式で、ヨーロッパで多く採用されている動力集中方式プッシュプル方式もこの形式に属する)ではなく、動力を編成各車両に分散させる「動力分散方式」(電車方式)を用いて、加減速能力の向上・軽量化・軌道への負荷軽減を図っている。

ただし、車両に装備されるモーター等の電装部品が増える結果、初期コスト・メンテナンスコストが高くなるため、日本国外への販売では動力集中式に比して不利になることが短所であった。
しかし昨今ではVVVFインバータ制御の採用による誘導電動機の導入や、純電気ブレーキの実用化により高速域からのブレーキ面で、付随客車に機械式ブレーキや渦電流ブレーキなど力行時に不要な機器を搭載する動力集中方式に対する優位性が生じつつある(新世代のTGVやICEも動力分散方式に移行している事例がある)。

日本は山岳国であり、他国に比して地盤が弱い傾向がある。
動力集中方式では動力車の重量に対処するため、動力分散方式より軌道・路盤を強化する必要がある。
このため、軌道の建設・整備面でも動力分散方式が有利となる。

編成全体で大出力を確保し、粘着重量を有効に活用するため、編成内における電動車(動力車)の比率を極力多くする。
東海道・山陽新幹線の初代車両新幹線0系電車や、東北・上越新幹線開業時の車両である新幹線200系電車は全車が電動車であった。
また東海道・山陽新幹線で使用されている新幹線500系電車は最高速度300km/hの高速運転を行うために、九州新幹線の新幹線800系電車は急勾配を走行するために、全車が電動車となっている。

山陽新幹線で500系と同じ300km/h運転を行うN700系電車は、空転及び滑走を防止する制御能力が向上したため、付随車が組み込まれている。
付随車のブレーキ力は通常は電動車がすべて負担し、回生ブレーキの失効、非常制動といった異常時や、停止状態を保持するときのみブレーキが動作する。

鉄道車両は、高速運転時にトンネルに進入するなどの気圧変動による居住性の低下を防ぐために気密構造となっている。

運転台構造ではマスター・コントローラーとブレーキの配置が在来線通勤電車とは左右逆の配置になっている。
これは新幹線ではブレーキよりも、マスコンの使用が多いため、多くの人の利き手である右側にマスコンを配置したためだと言われる。
しかしながら、諸説がある。

速度メーターは200km/h以上の運転に対応するため、在来線のような丸型式は基本的に無かった。
初期の車両は横線式、中期の車両は途中まで斜線その後横線、その右下には細かな速度が表示されるデジタルタイプだった。
そして最近の車両に関してはグラスコックピットを採用しているものもある。

列車防護装置

高速走行を行うため、在来線と同じ信号炎管や軌道短絡器による列車防護(他の列車を停止させること)では他の列車が停止しきれない可能性が高まる。
そのため、緊急時に他の列車を迅速に停止させられるように在来線とは異なる列車防護の方式が採られている。

車両側には保護接地スイッチ(EGS)が装備され、緊急時には乗務員が運転台の「保護接地入スイッチ」を押すことにより、他の列車を自動的に停止させることができる。

線路側には列車防護スイッチが、本線上には250m間隔、ホーム上には50m間隔で設置され、これを押すことでATC回路を停止信号にすることができる。

列車防護無線装置は車両には受信機のみが装備され、発信器は保線作業中に線路を支障させた場合、保安方式変更などでATCを使用してない列車を停止するため保線係員が携帯している。

他線区への直通

ミニ新幹線と呼ばれる区間(山形新幹線の福島 - 新庄間、秋田新幹線の盛岡 - 秋田間)は、在来線の線路を標準軌に改軌改良し、新幹線直行特急として直通乗り入れを行っている。
法律や設備などの上では正式な新幹線路線ではなく、あくまで在来線である(これらの路線を新幹線と呼ぶのは、利便性やイメージ戦略上の理由である)。
そのため、最高速度は一般の在来線と同じく130km/h程度に制限されている。
とは言うものの、在来線ではもっとも速い部類にあたる速度である。
また、このような運転形態を、新幹線と在来線を直通することから「新在直通(運転)」と呼ぶことがある。

在来線を改軌せずに新幹線への乗り入れを可能にする軌間可変電車の開発が鉄道総合技術研究所により進められているが、現在のところ実用化の時期は未定である。

新幹線(フル規格)

※は金沢までの延伸が予定されている2014年度までは北陸地方へ達していないため、便宜上「長野新幹線」という愛称が付けられている。
開業当初は「長野行新幹線」と「行」の字が入っていた。
これは当時「『長野新幹線』という名称だと、『長野までで完成』というイメージが多少あり、長野以遠への延伸の芽を潰すことになりかねない」という、北陸の強い反対があったためである。

東海道新幹線と山陽新幹線を合わせて「東海道・山陽新幹線」、東北新幹線と上越新幹線を合わせて「東北・上越新幹線」と呼ぶことがある。

他社の車両が乗り入れているのは東海道・山陽新幹線(東海道区間にJR西日本の車両、山陽区間にJR東海の車両)のみである。
それ以外の新幹線はすべて自社車両(山形新幹線及び秋田新幹線用の車両の一部は正確には保有会社からの貸出)で運行されている。

東京駅では東海道新幹線と東北新幹線の線路が接続されていない。
このため、現在、博多から八戸まで(その逆も)直通で行くことはできず、必ず同駅での乗り換えが必要とされる。
国鉄時代には、当初両線の直通運転を前提として建設の計画がなされていた(直通運転の実験用に試験車両新幹線961形電車が製造された、また、東京駅の東海道新幹線14・15番ホームは直通を想定して作られたため、ホームが東北新幹線側にカーブしている)。
しかしながら、東京都を通過する需要がほとんどないという調査結果や、商用電源周波数の違い(東海道・山陽・九州新幹線は60Hzで、東北・上越・長野新幹線では50Hz)、それに東北・上越新幹線用のものには降雪対策が施されるなどといった車体設計の違いから、実現には至らなかった。
2008年現在では、東京都心を縦貫する湘南新宿ラインの利用が好調なことや東北縦貫線計画が進められていることなどから、関東地方相互の近距離では東京を通過する需要(特に通勤需要)も想定しうる状況である。
しかしながら、新幹線については前述の理由に加え、国鉄時代と違い別会社の運行となっており、実現の可能性は低いと見られている(JR東海側の意向により、16両貫通の編成で無い限りは同社の路線への乗り入れは不可となっている。
ただし、鳥飼車両基地 - 新大阪駅間は山陽新幹線の出入庫の関係上、例外となっている)。

新幹線直行特急(ミニ新幹線)

山形新幹線 福島駅 (福島県) - 新庄駅間(奥羽本線(JR東日本))

秋田新幹線 盛岡駅 - 秋田駅間(田沢湖線・奥羽本線(同上))

東北新幹線盛岡以北、及び長野新幹線の軽井沢以西はミニ新幹線として建設することも検討された。
しかしながら、結局フル規格で建設された。

新幹線規格在来線

新幹線の回送線を旅客扱いするようにしたものである。
しかしながらが、距離が短く高速運転を行わないなどといった理由で在来線扱いになっている。
しかし車両や設備は新幹線のものであるため、同線を走る列車は一般の「特別急行列車」扱いとされ、乗車の際に特別急行券を乗車券の他に要する。
また博多南線の列車はJRにおける列車愛称がない唯一の特急列車ともなる。

博多南線 博多駅 - 博多南駅間 8.5km (車両基地への回送線を旅客化)(JR西日本)

上越線(支線) 越後湯沢駅 - ガーラ湯沢駅間 1.6km (保守用の専用鉄道を旅客化。)
(上越新幹線と接続し、線路名称上も上越線の一部となっている。)
(通称ガーラ湯沢線)(JR東日本)

新幹線では、東京駅から上野駅・品川駅などの短距離区間でも自由席特定特急料金が840円となるのに対し、この区間は在来線特急扱いの列車しか走らないこともあり、特定特急料金がJRの特急料金では最低の100円となる。

新幹線鉄道規格新線

新幹線鉄道規格新線とは、路盤・トンネルなどの構造物を新幹線規格で建設し、軌間1,067mmのレールを敷設して在来線の車両を走らせるもので、「スーパー特急方式」とも呼ばれる。
以下の様な例がある。

海峡線 新中小国信号場 - 木古内駅間。
線路間隔4.4m、ゲージ1,435mmに対応するスラブ軌道を採用。
現在は1,067mmにボルトで固定してあるが、北海道新幹線の建設後は三線軌条となる予定。
青函トンネル内は国鉄時代に製造された旧型特急車両(通常制限最高速度120km/h)でも140km/h現示まで出せ、新幹線のアナログATCと互換性のある自動列車制御装置ATC-L形を採用している(ただしJR各社はATCシステムのデジタル化を進めており、北海道新幹線建設後は置き換えられる可能性が高い)。
なお、勾配は±15&permil以内、カーブ半径もR6500程度と、新幹線規格の範囲で抑えている。
架線電圧は現在は交流20kVであるが、新幹線開業時に25kVに昇圧予定である。
貨物列車・夜行列車用には複電圧車電気機関車が新規に投入される。

瀬戸大橋線 茶屋町駅 - 宇多津駅間。
但し児島駅 - 宇多津駅間の鷲羽山トンネルと瀬戸大橋は新幹線と在来線の複々線にできる空間が確保されているだけで、新幹線用の線路は未敷設である。
茶屋町駅 - 児島駅間は一部で勾配やカーブが新幹線規格に適合していない区間がある。
そのため、その区間は別途新幹線用の線路が敷設される。

九州新幹線長崎ルートについてはスーパー特急方式で建設中で、一部区間は在来線を改良して乗り入れることも検討されている。
また、北陸新幹線と九州新幹線鹿児島ルートの一部はスーパー特急方式で着工されたが、後にフル規格に変更された。

その他の路線については、新幹線鉄道規格新線を参照のこと。

計画中の路線

整備新幹線も参照の事。
キロ数は推定。

着工済

北海道新幹線 新青森駅 - 新函館駅間 148.9km(2015年度開業予定)

東北新幹線 八戸駅 - 新青森駅間 81.2km(2010年度開業予定)

北陸新幹線 長野駅 - 金沢駅 - 白山総合車両基地間 (2014年度開業予定・えちぜん鉄道の駅舎改良に伴う福井駅 (福井県)の着工を含む)

九州新幹線鹿児島ルート 博多駅 - 新八代駅間 129.9km(2010年度末開業予定)

九州新幹線長崎ルート 武雄温泉駅 - 諫早駅間

未着工区間

北海道新幹線 新函館駅 - 札幌駅間 211.3km

北陸新幹線 金沢駅 - 大阪市間

九州新幹線長崎ルート 新鳥栖駅 - 武雄温泉駅、諫早駅 - 長崎駅 (長崎県)間(肥前山口駅 - 武雄温泉駅間については在来線複線化を検討中)

次期着工予定区間

北海道新幹線 長万部駅- 札幌駅間 124.1km

北陸新幹線 金沢駅 - 福井駅間(敦賀駅の整備を含む)

九州新幹線長崎ルート 長崎駅の整備

基本計画線

1970年に発布された全国新幹線鉄道整備法に基づき、以下の新幹線が建設を開始すべき新幹線鉄道の路線を定める基本計画として挙げられた。
しかしながら、オイルショックや日本国有鉄道の経営悪化などの影響を受けて着工は見送られた。
現在でも着工の目処は全く立っていないものの、一部では建設を望む声が根強く残っている。

北海道新幹線 札幌市 - 旭川市間 約130km

北海道南回り新幹線 長万部町 - 札幌市間 約180km

羽越新幹線 富山市 - 青森市間 約560km

奥羽新幹線 福島市 - 秋田市間 約270km

中央新幹線 東京都 - 大阪市間 約480km

JR東海がジェイアール式マグレブとして自力で建設する意向を示しており、2025年に首都圏 - 中京圏間の開業を目指すとしている。

北陸・中京新幹線 敦賀市 - 名古屋市間 約50km

山陰新幹線 大阪市 - 下関市間 約550km

中国横断新幹線 岡山市 - 松江市間 約150km

四国新幹線 大阪市 - 大分市間 約480km

四国横断新幹線 岡山市 - 高知市間 約150km

東九州新幹線 福岡市 - 鹿児島市間(大分・宮崎各市経由) 約390km

九州横断新幹線 大分市 - 熊本市間 約120km

未成線

成田新幹線 東京駅 - 成田空港駅間 約70km

1974年に着工した。
しかしながら、オイルショックの影響や、用地取得の困難、沿線自治体の建設反対運動が激しかったこともあり、1983年に工事は中止された。
その後1987年の国鉄民営化に伴って基本計画が失効した。
建設済みの施設は成田空港高速鉄道線(成田線空港支線)に転用され、新幹線の東京駅が建設される予定だったスペースには京葉線東京駅が後に建設された。

なお、松沢成文神奈川県知事や、公約に「羽田 - 成田リニア」を掲げて当選した千葉県知事の森田健作がリニア検討委員会を発足を検討している。
そのため、今後の動向が注目される。

第二東海道新幹線

リニアモーターカーで建設される計画だったが、前述した中央新幹線の計画(リニア実験線の活用)と統合された。

上越新幹線 新宿駅 - 大宮駅間 約30km

建設中止(東北新幹線に乗り入れ)となったが、一部区間では用地買収が済んでおり、新宿駅地下にもスペースが確保されている(都営地下鉄新宿線と京王新線、都営地下鉄大江戸線の新宿駅は上越新幹線の駅空間を避けるために深い位置に作られている)。
整備新幹線開業後の大宮 - 東京間及び東京駅の容量逼迫に備えてこの区間の建設を再開すべきだという意見がある。
ただし、埼京線高架沿いの空き地は「環境空間」と呼ばれる騒音問題を考慮して設けられた緩衝地帯であり、延伸のために確保された用地ではない。
1987年の国鉄民営化に伴い、国鉄からJRに引き継がれた公文書でも「大宮側は二重高架とすること」が記されている。

新幹線の列車愛称

新幹線の列車愛称はJR東海・西日本が運営している東海道・山陽新幹線では速度別に付けられているが、JR東日本が運営している路線では方向・目的地別に付けられている。
新幹線E1系電車・新幹線E4系電車「Max (鉄道車両)」を使用する場合は列車愛称の前に「Max」が付く。
JR東日本の長野新幹線およびJR九州が運営している九州新幹線は単一愛称である。

東海道・山陽新幹線

「のぞみ (列車)」:最速列車。
新幹線N700系電車、新幹線700系電車、新幹線500系電車、まれに臨時で新幹線300系電車が使用される。

「ひかり (列車)」:「のぞみ」の補完列車。
当初は大都市駅のみに停車し、各駅停車の「こだま」に対して超特急の代名詞であった。
しかし利便性から徐々に乗降客数の少ない駅の停車が増やされ、「のぞみ」が加わった以降では「のぞみ」でも「こだま」(各駅停車)でもない列車という定義になる。
山陽新幹線では ”ひかりレールスター” と呼ばれる、顧客ニーズに応える形で登場した列車も運行されている。
過去には"ウエストひかり"や"グランドひかり"などもあった。
「のぞみ」と違い、一部区間が各駅停車となる列車もある。
主として700系、300系、一部でN700系、500系(不定期)が使用される。
過去には新幹線100系電車、新幹線0系電車も使用されていた。

「こだま (列車)」:各駅停車の列車。
早朝、深夜のものには、時刻表に「普通車全車自由席」や「全車自由席」と書かれたものがある。
東海道区間と山陽区間(新大阪駅)をまたがる「こだま」は存在しない。
700系、300系が使われるほか、N700系が東海道新幹線では浜松駅・三島駅 - 東京駅間に日に2本、山陽新幹線では500系(8両編成)、100系、早朝・深夜の一部にひかりレールスター用700系7000番台を使用する列車がある。
2008年11月30日までは0系、2009年3月13日までは小倉駅 - 博多駅間の区間列車にもN700系が使用されていた。

九州新幹線

「つばめ (列車)」:新幹線800系電車を使用し、新八代駅で「リレーつばめ」と同一ホーム対面乗り換えを行っている。

東北新幹線

「はやて (列車)」:東京駅 - 八戸駅を結ぶ列車(一部は仙台駅・盛岡駅止まりや仙台駅 - 八戸駅の区間運転がある)。
新幹線E2系電車、新幹線E3系電車(こまち編成、増結用)が使用されている。

「やまびこ (列車)」:盛岡駅以南を走る列車で、下記の「なすの」を除くもの。
仙台以南ではE1系以外のJR東日本の全ての形式が使用され、仙台以北はE2系、E3系(こまち編成、増結用)、E4系を使用。

「なすの (列車)」:東京駅 - 那須塩原駅・郡山駅 (福島県)間を走る各駅停車の列車。
E1系以外のJR東日本の全ての形式が使用される。

秋田新幹線

「こまち (列車)」:E3系を使用し、盛岡以南は基本的に「はやて」と併結(一部は秋田駅 - 仙台駅を単独運転し、仙台ではやてと併結)。

山形新幹線

「つばさ (列車)」:新幹線400系電車、E3系1000番台を使用し、福島以南は基本的にE4系「MAXやまびこ」と併結(一部は単独運転する)。

上越新幹線

「とき (列車)」:下記の「たにがわ」を除く列車。
新幹線200系電車、E1系、E4系を使用。
過去にはE2系も使用されていた。
開業当初は、各駅停車の列車名として使用されていた。
一時は「たにがわ」への統合で消滅していた。
しかしながら、東京駅から高崎駅まで同じ区間を運行する「あさま」との混同を防止するため、2002年12月1日のダイヤ改正で「あさひ」からの改称という形で復活した。

「たにがわ (列車)」:越後湯沢駅(スキーシーズンはガーラ湯沢駅)以南を走る列車。
使用車両は「とき」と同じ。
各駅停車が多い。
しかしながら冬季のガーラ湯沢までの運転の場合、本庄早稲田駅のみ通過する列車もある。

長野新幹線

「あさま」:東京駅 - 長野駅を結ぶ列車。
E2系を使用。
過去には臨時列車で200系、E4系が使用されたこともある。

また、かつて使われていた列車の愛称として下記のものがある。

東北新幹線

「あおば(列車)」:各駅停車の列車。
1997年10月1日のダイヤ改正で「なすの」・「やまびこ」へ統合して消滅した。

上越新幹線

「あさひ (列車)」:速達型列車(長野新幹線開業後は各駅停車もあった)。
「あさま」と名称が紛らわしいため、2002年12月1日のダイヤ改正で「とき」へ改称された。

新幹線車両

新幹線0系電車や新幹線100系電車など国鉄時代の東海道・山陽新幹線車両では車体の素材に炭素鋼が使われていたためやや重かった。
しかしながら、東北・上越新幹線用の新幹線200系電車からは耐雪装備による重量増加を抑えるためアルミニウム合金が用いられて軽量化が図られた。
国鉄民営化後に開発された新幹線車両はアルミニウム車体が一般化している。
さらにアルミ材の加工手法の発達により、製作費のコストダウンとさらなる軽量化の両立が図られた。
この結果、近年の車両は国鉄時代に開発された初期新幹線車両より著しく軽量化されている。

現在の新幹線車両の価格は、1両あたり概ね2 - 3億円と言われている。
なお、新幹線車両の製作を行っているメーカーは現在、日本車輌製造・川崎重工業・日立製作所・近畿車輛(JR西日本のみ)・東急車輛製造(JR東日本のみ)の5社である。

一方で、JR発足以降積極的に行われた高速化に伴い、走行中の集電装置と架線の接触や風切り音による騒音の発生や、接触部の著しい消耗などが問題とされた。
このため、0系では2両おきに付いていたパンタグラフが新幹線300系電車では8両毎に1つに減った。
そのほか、新幹線500系電車では翼型と呼ばれるT字型の特殊なパンタグラフが設置されるなど改良されて、集電効率も向上した。
また、フクロウ目の羽ばたく音が他の鳥と比べ静かであることをヒントに、パンタグラフに流線型の突起物を取り付けるなどの改良も加えられた。
その他、高速でのトンネルの突入時のトンネル内部の急激な気圧変化による騒音(トンネル微気圧波)の発生を抑える必要がある。
そのため、走行時の空気の流動性やトンネル進入時の面積変化率を考えた先端車両の開発などが行われている。
しただって、初期の0系に比べ先頭車先端部が長く伸ばされるとともに、通常の電車とは著しく異なった形態(鋭い流線型やカモノハシのような形)を呈する傾向にある。

新幹線においても定期的な車両整備を要する事から、沿線各地には車両基地が置かれている(検査項目についての詳細は鉄道車両の検査を参照の事)。

戦前における高速鉄道

日本の鉄道は明治の草創期にコストの面から狭軌を採用した。
そのため、その規格の低さに制約を受け、欧米の鉄道のような高速運転とは無縁であった。
最高速度は1910年代から1950年代まで100km/h以下に留まっていた。

そこで標準軌に改軌する提案も、明治から大正にかけて何度か出されていた。
しかしながら、政争や予算問題などから結局実現しなかった(日本の改軌論争も参照)。

また1910年代には、東京 - 大阪間に電車による高速新路線「日本電気鉄道」を敷設する計画が民間から出されたが、国の許可するところとならず、実現には至っていない。

日本における現実的な高速列車開発は、日本の勢力下に在った満州(現在の中国東北部)を縦断する南満州鉄道(満鉄)に始まる。
同社は日本の資本と技術により運営されており、ほとんどの幹部・技術者が日本人で、実質的に日本の鉄道と言っても過言ではない。

当時の満鉄は電化以前の鉄道で蒸気機関車牽引であった。
しかしながら、1,435mmの国際標準軌(日本では広軌と称した)を用いた高規格路線であり、保守的な内地の鉄道省とは一線を画した先進的な試みを早くから行っていた。

1934年、満鉄は自社設計によって当時の欧米の潮流に互した流線形蒸気機関車「南満州鉄道の車両急行旅客用」を開発、これに新開発の流線形客車編成(全車冷暖房完備)を組み合わせ、大連市 - 新京(現・長春市)間701kmに特急「あじあ号」号を運転開始した。
この列車は最高速度120km/h以上を誇り、最高95km/hに留まる鉄道省の列車を遙かに凌駕した。
所要8時間30分、表定速度は82km/hに達した。

とは言え、当時の欧米の鉄道はさらに上を行っていた。
例えばイギリスの London and North Eastern Railway がロンドン - エディンバラ間に運転していた特急列車「フライング・スコッツマン」は、蒸気機関車牽引で最高速度160km/h以上での営業運転を行っており、ドイツ国鉄では気動車列車「フリーゲンダー・ハンブルガー」が150km/h以上の高速で営業運転していた。
さらにアメリカ合衆国の私鉄各社には、定期運転列車を牽引して優に180km/hに達する蒸気機関車さえ存在していたのである。

120km/h運転そのものは、当時の欧米の主要幹線では標準的な水準であり、「あじあ」号の水準はそれに達したものでしかなかった(冷房装置を含む空調設備の完備のみは、世界の最先端であった)。

この技術が、日本本土の鉄道に直接活かされる事はなかった。
しかし満鉄関係者には鉄道技術者の島安次郎がおり、その長男の島秀雄と共に後述する「弾丸列車計画」を推し進める事になる。

なお前述した日本電気鉄道のように、民間による大規模な都市間電車は実現しなかった。
しかしながら、中近距離の都市間電車に関しては、新京阪鉄道や阪神急行電鉄、大阪電気軌道、阪和電気鉄道のように、アメリカのインターアーバンの技術を取り入れるなどして、実現させた所もあった。
これら路線の多くは、既存の鉄道線と競合する形で敷設されたものとなっており、「(既存の並行線よりも)高規格な路線において、高速運転を行うこと」がその建設目的となっていた。
「新しい高規格線を敷く」という意味では、新幹線に通じる所もある。

その中でも、参宮急行電鉄が転じた関西急行鉄道は途中での乗り換え(伊勢中川駅)こそあるものの、大阪市と名古屋市という中距離の2大都市間(当時の営業キロで、189.5km)を電車で結ぶことに成功した。
一方、阪和電気鉄道は「あじあ」号の水準に匹敵する、表定速度81.6km/hの「超特急」を狭軌路線で運転していた。

これらの私鉄で用いられた電車は、当然だがハイレベルな仕様の車両が多く(阪急100形電車、参宮急行電鉄2200系電車、阪和電気鉄道の車両など)、後述する国鉄における動力分散方式の開発にも、いくらか影響を与えている。

弾丸列車計画

1930年代に入ると満州事変・日中戦争などによる日本から中国へ向かう輸送需要の激増で、東海道本線・山陽本線の輸送量も増大した。

この頃鉄道省内部に「鉄道幹線調査会」が設立され、主要幹線の輸送力強化についての検討が行われた。
ここから抜本的な輸送力増強手段として1939年に発案されたのが「弾丸列車」であった。

これは、東京から下関まで在来の東海道・山陽本線とは別に広軌(1,435mm・標準軌)の新路線を建設し、最高速度200km/hと満鉄「あじあ」号を超える高速運転を行い、東京 - 大阪間を4時間、東京 - 下関間を9時間で結ぶ事を計画したものであった。
この計画は翌1940年9月に承認され、建設工事が始められる事になった。

既にこの時点で、新しい幹線を敷設するという事から「新幹線」や「広軌新線」という呼称を内部関係者は用いていた。
「新幹線」の語はここが起源であるとされている。

また将来的には対馬海峡に日韓トンネルを建設して朝鮮半島へ直通、釜山広域市から奉天(現:瀋陽市)を通り満州国の首都新京(現:長春)、さらには北京市・昭南(現:シンガポール)に至る、という構想も一部では描かれていた。

当時の鉄道はまだ機関車が客車を牽く方式が一般的で、「弾丸列車」も電気機関車と蒸気機関車を併用する方式で計画された。

1941年の太平洋戦争勃発後も工事は続けられ、日本坂トンネル(後に新幹線に利用)などの工事が進展した。
しかしながら、最終的には戦況の悪化で頓挫した。
しかし、そのルートの相当部分が後の東海道新幹線建設で役立てられた。
特に、土地買収が戦時中の時点で半ば強制的な形で相当な区間において終わっていた事は、新幹線建設をスムーズにした。

この弾丸列車計画の技師たちが居住した地として、静岡県田方郡函南町には「「新幹線」という地名が、東海道新幹線の開業前から存在した。

動力分散化への流れ

太平洋戦争終結後数年間、鉄道をも含めて混乱の極みにあった日本も、1950年の朝鮮戦争以降本格的に復興し、鉄道の都市間輸送需要も急激に伸張していった。

日本軍の研究部門や軍需企業に所属し、戦後その職を失ったり技術を持て余していた優秀な人材を、昭和20年代の国鉄が多数獲得した事は見逃せない事実である。
高速走行中の車両の振動や、空力特性の研究は、旧軍出身技術者の存在によって大きく進展した。

1955年に日本国有鉄道歴代の国鉄総裁に就任した十河信二は、国鉄出身の卓越した技術者であるが一時民間に在った島秀雄を再度招聘し、国鉄技師長に就任させた。
彼らを中心とする人々が、その後新幹線計画を推進する事になる。

地盤が悪く山がちな日本において列車を高速運転するには、機関車が客車を牽く「動力集中方式」よりも、電車・気動車のように編成の各車両に動力を持たせる「動力分散方式」の方が適している。
カーブや勾配の多い条件でも加減速能力に優れ、また線路への負担が小さいため、脆弱な地盤に敷かれた線路でも高速を出せるからである。
当時は蒸気機関車主流の時代であり、また国際的に見ても主流であった。
そのため、国鉄部内でも動力集中式に固執する者が多かったが、島秀雄は例外的に戦前から動力分散方式の特性を理解し、研究していた。

島は1951年に事情によって国鉄を離れていた。
しかしながら、彼の指揮の下で1950年に開発された東海道線普通列車用の国鉄80系電車は、短距離向けと見られていた電車が、長距離運転にも優れた特性を発揮するという事実を実証し、その後国鉄の在来線に電車・気動車の普及を進める原動力となった。
島の復帰以降、国鉄の動力分散化の流れはさらに加速する。

高性能電車の出現

日本では1953年以降、欧米からの新技術移入や国内メーカーの技術開発に伴い、電車の高性能化の動きが始まった。

この過程で、振動を抑制し、乗り心地改善と高速運転に資する「カルダン駆動方式」と高速対応の新型台車、床面シャーシだけでなく側板や天井にも応力を分散させた「全金属製軽量車体」、全車両にモーターを搭載して加速力を高める「全電動車方式」、反応速度が速い上に取り扱いが容易な「電磁直通ブレーキ機構」、制御装置1台を2両の電動車で共用して軽量化やコストダウンを実現する「1C8M方式(MMユニット方式)」など、それ以前の電車とは一線を画する重要な革新的技術が、1953年からわずか数年の間に実用化されて普及した。

この結果、高速性能・加減速性能に優れ、しかも居住性の良い「新性能電車」が、1954年以降大手私鉄を中心に続々と出現して、大きな技術的成功を収めた。
国鉄もこの潮流に乗って高性能電車の開発に取り組み、1957年に新型通勤電車国鉄101系電車(後の101系)を完成させる。

同年に小田急電鉄が完成させた低重心・連接構造の流線型特急電車小田急3000形電車 (初代)は、アメリカで1941年に開発された高性能連接電車「エレクトロライナー」に影響を受けた設計で、最高速度145km/hを目指した野心作であった。

これに着目した国鉄は、高速走行時の特性に関する研究を目的に、小田急からSE車を借り入れ、1957年9月に東海道本線で速度試験を行った。
結果SE車は計画通りの145km/hに到達し、当時の狭軌鉄道における世界速度記録を達成した。
続いて国鉄はモハ90系通勤電車をギア比変更などで高速化改造、空気抵抗の面で不利な形態ながら135km/hの好記録を達成した。

これらの実績を踏まえて、1958年にはモハ90系の技術を応用し、東海道本線特急「こだま号」用に国鉄初の特急形電車国鉄181系電車(後の151系)が開発された。
流線型の軽量・低重心な車体は冷暖房完備で、空気バネ台車も装備し、スピードと快適な乗り心地を両立させて、動力集中方式の客車列車を完全に凌駕した。
翌1959年7月には、東海道本線での速度試験で最高速度163km/hに達し、小田急SE車の速度記録を更新した。

これらの電車における顕著な成績は、動力分散方式の資質を実証し、ひいては新幹線車両に電車を用いる事への強力な裏付けとなった。

また1955年から国鉄は交流電化方式の実用化に独自に取り組み、1957年の北陸本線を皮切りに、地方線区での交流電化を開始していた。
これ自体は従来の直流電化に比べ、地上設備コストが低いと考えられたことによるものであった。
しかしながら、後に新幹線の電化システムに応用されることになる。
超高速の電気鉄道においては大量の電力消費が生じる。
これに伴って架線から効率よく集電するには、従来から用いられて来た1,500ボルト (単位)の直流電源より、大電力を長距離送電できる高圧交流電源を用いる方が適していたのである(日本の鉄道の交流電化方式は在来線20kV、新幹線25kVで、電圧だけでも直流電化路線の10倍以上のレベルである)。

新幹線建設へ

これに先立ち、戦後の復興と共に鉄道及び道路輸送の需要が増大すると、当時の日本における最重要幹線であった東海道本線の貨客輸送能力は、ほぼ限界に達していた。
1956年に東海道本線の全線電化が完成するが、需要の増加には焼け石に水であった。

1957年、国鉄内部の「幹線調査会」は、東海道本線の輸送力飽和は早晩必至とし、現在線以外の線路増設が必要であると答申した。
実際の手法として様々の案が出されたが、基本的に以下の3案のいずれかが選択されることになった。

現在線に沿って線路を増設、複々線とする。

別ルートで狭軌新線を建設する。

別ルートで広軌新線を建設する。

東海道の線増計画は、従来の常道であれば複々線案が採られたところであった。
しかし、十河ら国鉄幹部は将来の発展性を視野に入れ、あえて困難の多い広軌新線建設を決定したのである。
それは戦前の弾丸列車計画を、戦後の技術革新の下で、改めて実現しようとする超高速列車計画であった。

同年5月25日には鉄道技術研究所(現:鉄道総合技術研究所)が、広軌新線ならば東京 - 大阪間の3時間運転は技術的に可能であるという報告を創立50周年記念講演会で述べた。
十河はその話を聞くや強い関心を示し、国鉄幹部を集めて技術研究所員に詳細を話させたという。

当時欧米では、将来の大量輸送手段として航空機と高速道路網による高速輸送が有望視され、鉄道はそれらに取って代わられる時代遅れのものだという見解が広まっていた。
日本でもこれを範としようとする向きが一般的であり、在来線とは別規格の高速新線を建設するという計画は、国鉄内部でさえも疑問視する者が多かった。

鉄道ファンでもある作家の阿川弘之ですら、大和 (戦艦)(大和型戦艦)・万里の長城・ピラミッドが「世界三大一覧構造物・建設物」であり、この時期に莫大な投資をして新幹線を造れば「第2の戦艦大和」となって世界の物笑いの種になると批判した(後に阿川は新幹線が世界の鉄道斜陽論を覆すに至るまでの成功を収めたのを見て、十河の後を継いで国鉄総裁を務めた石田礼助との対談において、自らの不明を悔やむ発言をしている)。

そのような厳しい状況下で、十河と島は東海道に新たな大規模高速輸送用の鉄道路線(新幹線)を実現すべく政治的活動(十河が担当)と、技術的プロジェクト(島らが担当)を続けた。

技術的裏付けの下、1958年に建設計画が承認され、翌1959年4月20日に起工式が行われた。
総工費は当初予定から修正され、3,800億円にまで膨らんだ。
元々十河などが国会 (日本)内での承認を得るために安く見積もっていたこと、さらには新幹線建設に集中するために地方路線建設の請願を蹴っていた事で国会議員の不興を買っていた事もあっった。
そのため、後には国会で責任問題に発展した。
新幹線開業前に責任を取る形で十河は国鉄総裁を退任し、島も国鉄を退職する事になる。

1961年5月1日に国鉄はこのプロジェクトに対し、世界銀行から8,000万アメリカ合衆国ドル(当時は1ドル360円の固定相場制)の融資を受けたが、1964年までに完成させるという厳しい条件が付けられた(この融資は1981年に返済が完了した)。
この融資を受けたことで、新幹線プロジェクトは国内事情によって中断することは許されなくなった。

その建設に関しては前述の通り、戦前の「弾丸列車計画」の際に開削されたトンネルや、買収された用地の多くが活用された。
5年という短期間で完成したのは、この時の用地買収及び工事があったからだともいわれている。
また大阪府・京都府内では、完成した新幹線の線路を高架工事中の仮線として用いて、暫定的に阪急京都本線の電車を走らせていたこともあった(→東海道新幹線新幹線の線路を先に走った阪急電車)。

鴨宮モデル線区

1962年には神奈川県小田原市近郊に鴨宮モデル線区(小田急線高座渋谷駅付近 - 東海道線鴨宮付近)が完成した。
ここが試験地域に選ばれた理由は以下の通りである。

戦前の弾丸列車構想に際してすでに用地を取得しており、早い時期に着工する事が可能である。

直線・カーブ・トンネル・鉄橋と、線形や地上設備のシチュエーションが一通り揃っており、データ収集が容易である。

鴨宮付近では東海道本線と隣接しており、車両・資材などの搬入に便利である。

鉄道技術研究所からも近く、問題が発生した時も対処が容易である。

ここで2編成の試作電車「新幹線1000形電車」が走行テストを繰り返した。
2両編成の「A編成」(1001・1002)と、4両編成の「B編成」(1003 - 1006)が製造され、台車や車内設備、窓形状などに差異を付けて比較材料としている。

試験中の1963年3月20日、1000形B編成は256km/hの国内速度記録を達成している。

鴨宮モデル線区での研究は、初代新幹線電車となる新幹線0系電車や、線路設備の開発に活かされる事になった。

しかし、この鴨宮モデル線区にはある欠点があった。
相模湾に近く、冬でも比較的温暖な鴨宮では、降雪時の高速運転を想定した試験データは十分に得られなかったのである。
まれに降雪があり、若干の積雪が観測された際も、試運転の開始時には雪が溶けてしまい、テストにならなかった。
そのため、ジャガイモを線路の上に置いて、車体側のスカートの降雪時の耐雪シミュレーションのテストを行ったという記録が残っている。

東海道新幹線の名古屋 - 新大阪間経路は、当初計画した鈴鹿山脈経由ルートが費用や技術、工期の制約から断念され、東海道本線同様に関ケ原町を経由するルートに変更されていた。

関ヶ原周辺は谷間で高さも高く、冬期には激しい降雪のある地域でもある。
このような区間を冬期に高速列車で通過する状況の研究が、開業前には十分に行えなかった。
このことは、1964年の開業後初めての冬期に関ヶ原での着雪による車両故障を頻発させる原因となった。

この鴨宮モデル線区は、開業後も設備が無駄にならないよう、建設中の路線の一部を先行完成させて利用する手法が採られた。
このため、東海道新幹線開業に当たっては、その一部に組み込まれている(新横浜駅 - 小田原駅間の一部)。
この手法は後続の東北新幹線の小山実験線や、リニア実験線にも踏襲されている。
小山実験線には実際に駅施設も設けられ、後に小山駅となった。

またテストに使われた試作電車は、東海道新幹線開業後に改造を受けた。
A編成は救援車941形に、B編成は電気軌道総合試験車922-0形となり、それぞれ役立てられる事になる。
941形は全く活躍することなく廃車となったが、922-0はその後0系を元とした「ドクターイエロー」が登場するまで生き永らえた。

国鉄分割・民営化まで

1964年10月1日に、東京オリンピックの開催に合わせて東海道新幹線が開業した。
併せて専用の新幹線0系電車が開発され、営業に投入された(→1964年10月1日国鉄ダイヤ改正も参照)。
なお、開通に先立つ同年4月22日からアメリカ合衆国のニューヨークで開催されたニューヨーク万国博覧会 (1964年)の日本館に実物大モックアップが展示され、日本の技術力を誇示した。

開業当初の営業最高速度は200km/h(東京 - 新大阪間「ひかり」4時間、「こだま」5時間)。
路盤の安定を待って翌年に210km/h運転(同「ひかり」3時間10分、「こだま」4時間)を開始した(→1965年10月1日・11月1日国鉄ダイヤ改正も参照)。

日本の二大都市である東京 - 大阪間は、1958年から在来線の特急で日帰り可能になっていたものの滞在時間がわずか2時間余りしか取れなかった。
しかし新幹線の開通により、日帰りでも滞在時間を充分取れるようになり、社会構造に著しい変化を及ぼした。
ビジネスやレジャーの新しい需要を喚起し、東海道新幹線においては当初の12両編成が、1970年の日本万国博覧会の開幕を機に16両編成まで拡大され、高速大量輸送機関としての確固たる地位を確立した。

その一方で、新幹線の建設や特急・急行列車の増発、さらには都市部における通勤輸送増強(通勤五方面作戦など)などの設備投資に追われた。
このから、新幹線の開業した1964年度から国鉄収支は赤字に転落し、以後それは拡大する一方となって、結果的に新幹線建設は国鉄破綻の1つの原因となったと言われる。
これに対し、東海旅客鉄道の葛西敬之会長は著書の中で「東海道新幹線はあくまで内部留保された資金と借金で建設資金をまかない、それらを運賃・料金収入のみですべて回収したものであり、新幹線建設が国鉄破綻の引き金を引いたという認識は誤りだ」と指摘している。
いずれにせよ、以後の国鉄において、新幹線は重要な収入源ともなっていく。

その後、東海道新幹線に続いて、同じように需要の増加していた山陽本線の抜本的輸送力改善と高速化を目的として、1967年に東海道新幹線を延伸する形で山陽新幹線が着工された。
1972年3月15日に岡山まで、1975年3月10日には博多まで開業した(→1972年3月15日国鉄ダイヤ改正・1975年3月10日国鉄ダイヤ改正も参照)。
「ひかりは西へ」がそのキャッチコピーであった。

さらに東北方面への延伸も計画された。
1971年に東北新幹線と上越新幹線が着工され、1974年には建設中の成田国際空港へのアクセス路線として成田新幹線も工事に入った。
折しも田中角栄内閣総理大臣によって、国土開発を促進する「日本列島改造論」が提唱され、整備は順調に進むかに見えた。

だが、実際には東北・上越新幹線反対運動による用地買収の難航やトンネル工事での異常出水などがあった。
このため、前者2つの新幹線は予定より工事が5年も遅れ、成田新幹線に至っては工事中止となってしまった(ただし、後に東日本旅客鉄道と京成電鉄の成田空港乗り入れの際にこの新幹線建設で作られた設備が生かされることになる)。
また、新幹線沿線での騒音・振動による公害問題がこの頃深刻化した(名古屋新幹線公害など)。
さらに国鉄財政の悪化に伴う運賃・料金値上げの繰り返し、労働紛争によるストライキの頻発化などから、既存新幹線の乗客が減少傾向に陥った。
そして経営問題と労働紛争の影響から技術革新も見られなくなり、新幹線の発展・発達は一時停滞した。

1982年に大宮発着という暫定的な形で東北新幹線と上越新幹線は開業し(→1982年11月15日国鉄ダイヤ改正・新幹線リレー号も参照)、1985年には用地買収の関係で遅れていた都心(上野)乗り入れを果たした(→1985年3月14日国鉄ダイヤ改正も参照)。
これにより東北・上越地方における鉄道シェアは大幅に拡大した。
だが、国鉄財政はそれら新幹線の建設費負担も重なって遂に破局的状態となり、中曽根康弘内閣の下で断行された1987年の国鉄分割民営化に至るのである。

JR発足から現在までの流れ

国鉄の分割・民営化後、東北・上越新幹線は東日本旅客鉄道、東海道新幹線は東海旅客鉄道、山陽新幹線は西日本旅客鉄道の運営とされた。
しかしながら、当初設備は第3種鉄道事業者の「新幹線保有機構」が保有し、各会社が第2種鉄道事業者として路線を借り受けて運営する形とした。
新幹線の保守費用は各社が負担し、新幹線保有機構は設備の貸し代だけを受け取るものであった。
その目的は、利益の出る新幹線事業によって赤字となる他地域JR会社への補填を行うことであった。

しかし、前記JR3社の経営が安定化して、東京証券取引所などへの株式公開が視野に入ると、輸送量に応じて貸し賃が変わるこの制度のままでは会社の営業努力が反映されないことや、各社の資産・債務の額が確定できないことなどが問題視されるようになった。
結局1991年に制度を変更し、各鉄道会社が新幹線資産を新幹線保有機構を改編した鉄道整備基金から60年賦で買い取ることにした。

分割・民営化後、技術・営業面で停滞していた新幹線も新型車両の登場、新形態など積極的な流れが見られるようになった。

後者の代表として、JR東日本は新幹線規格(フル規格)の線路を新規に建設することなく、既存の在来線を改良し、専用の車両を新造したうえで、新幹線と在来線が直通運転できるようにしたミニ新幹線を整備した。

1992年に新幹線400系電車を新造し、山形新幹線として奥羽本線の福島駅 (福島県) - 山形駅が、1997年に新幹線E3系電車を新造し、秋田新幹線として田沢湖線・奥羽本線の盛岡駅 - 秋田駅が、1999年に新幹線E3系電車1000番台を増備し、山形新幹線の延伸として奥羽本線の山形駅 - 新庄駅が、それぞれ順次営業運転を開始した。

JR西日本は山陽新幹線博多総合車両所への車庫線を旅客線化し、1990年に博多南線として博多駅 - 博多南駅を、こだま号に使用される車両を用いる在来線特急という形態で営業運転を開始した。

また最高速度は210km/hの時代が長く続いた。
しかしながら、国鉄末期頃(→1985年3月14日国鉄ダイヤ改正・1986年11月1日国鉄ダイヤ改正も参照)から次第に向上されるようになり、2008年現在では東海道新幹線で270km/h、東北新幹線区間で275km/h、山陽新幹線区間で300km/hに至っている。
また時速アップ以外にも、停車駅での停車時間の短縮や、停車駅間の速度を出来るだけ高速度で維持するなどして、僅かな分単位ながら主要駅間の時間短縮を図る工夫もされている。

国鉄末期に建設が凍結されていた整備新幹線は工事が再開され、東北新幹線(盛岡 - 八戸・2002年)・北陸新幹線(長野新幹線・1997年)・九州新幹線(新八代 - 鹿児島中央・2004年)が部分開業した。
残った区間や未開業の北海道新幹線なども工事が次第に進みつつある。

また20世紀末以降、新幹線による通勤・通学が増加しつつある。
これは、いわゆるバブル景気以降の大都市における地価の高騰で、新幹線で通勤・通学が可能な郊外(主に東京への通勤・通学を目的に栃木県、群馬県、静岡県東部が多い)の住宅に住む人が増えたためである。
1983年2月の新幹線定期乗車券販売開始をきっかけに、新幹線通勤定期券を支給する企業の増加、さらに企業が支給する通勤定期券代の所得税非課税限度額の引き上げがそれに輪をかけた。
朝・夕の新幹線においては通勤客で混雑が激しくなり、通勤客向けのダイヤも設定されるようになった。
これに対応してJR東日本ではMax (鉄道車両)という多座席型の2階建車両を投入し、1列車あたりの定員を大幅に増やした。

新幹線の安全性

1964年10月1日に最初の新幹線である東海道新幹線が開業して以来、40年以上に亘って新幹線に乗車していた乗客の(新幹線に起因する)死亡事故は発生していない。

投身自殺による死亡例は多数発生しており、またドアに乗客の手を挟んで引き摺り死亡させたケース(1995年、三島駅乗客転落事故を参照)はあった。
しかしながら、これらは新幹線システムそのものの根本的欠陥に起因する事故ではないため例外と考えられた。
そのため、新幹線の安全性は概して非常に高いものと捉えられている。

新幹線の安全を確保するシステムが的確に運用され、恒常的に維持されてきている。
このことは、日本の鉄道技術の水準を端的に示す要素であるとも言える。
この事実は新幹線の安全神話などと称される。
しかし死者こそ生じなかったものの、重大な事故に至る一歩手前の事態は過去に何度か発生している。

新幹線における事故の事例

1973年に東海道新幹線の大阪運転所(鳥飼基地)からの回送列車が脱線した事故、1991年9月30日のひかり291号(100系X編成)が、車輪が固着したまま三島駅までATC頭打ち速度(225km/h)で走行した事例、そして1999年に山陽新幹線福岡トンネルで通過中の列車に福岡トンネルコンクリート塊落下事故等は、安全確保に悪影響を及ぼす事例と考えられ、重大視された。

特に1990年代末期からトンネルのコンクリート剥落事故が多発した。
これらの事故は、山陽新幹線が建設された昭和40年代以降、高度成長期の建設ブームのもと、促成による手抜き施工が新幹線工事でも随所で行われていたことを露呈させた。
そのため、JR各社は設備保全の徹底した対策を求められている。

また在来線と直通運転する山形新幹線では、つばさ (列車)号と自動車との踏切事故がしばしば発生している。
この様なケースは新幹線の事故というよりは、在来線での日常的事故の範疇に属するものである。
しかしながら、新幹線の在来線直通における高速運転の課題として常に想起される事例でもある。

大井川河口を震源とする地震の事例

東海道新幹線が開業してから約半年が経過した1965年4月20日、静岡県の大井川河口を震源とするマグニチュード6.1の地震が発生し、静岡市周辺の盛り土が崩れた。
発生直後に全ての列車の運行を停止し、運転本数が少なかったこともあり(1時間に片道2本)大きな被害は出なかった。
しかし、当時の運行責任者であった斎藤雅男(元国鉄新幹線運転車両部長、鉄道工学の専門家)次のように言っている。、
「当時は雨の影響で地盤が弱くなっており、大きく陥没していたところもあった。」
「仮に崩れた路盤上に列車が来ていたら間違いなく脱線して大惨事になっていた。」
なお、山陽新幹線の一部区間と東北新幹線以後の新幹線にはスラブ軌道が採用されている。

阪神・淡路大震災の事例

1990年代以降、日本国内における大きな地震災害の多発により、高速鉄道の地震に対する脆弱性が指摘される様になった。

1995年1月17日の阪神・淡路大震災では、被災地域において山陽新幹線の高架橋が破損・一部落下し、新大阪 - 姫路間が80日間に亘り不通となった。
地震発生は午前5時46分で、この日の営業運転が始まる前であったため、惨事には至らずに済んだ。
これを機に高架橋の補強などの耐震対策が進められた。

新潟県中越地震の事例

さらに、2004年10月23日の新潟県中越地震においては、上越新幹線が甚大な被害を受けた。
高架やトンネルなどの構造物に損傷が発生したほか、上越新幹線列車の「とき (列車)325号」(10両編成、新幹線200系電車K25編成)が長岡駅の手前付近を約200km/hで走行中に脱線した。
これはまた新幹線史上初の営業運転中の脱線事故となった。

上越新幹線には地震感知システム「ユレダス」をカスタマイズした「コンパクトユレダス」が採用されていた。
しかし、「とき325号」のケースでは通過地点でほぼ直下型の地震であったため、初期微動(地震波)検知後にブレーキをかけたものの地震の被害を受ける前に停車する事はできなかった。

この200km/h走行時の脱線の衝撃で、レールの多くは道床の締定が外れ、一部のレールはねじ曲がるなどの大きな被害を受けた。

通常、列車がこの規模の地震に震源地付近で直撃された場合、例え停車していても脱線は免れ得ないと考えられる。
しかしながら、この事例では脱線したとはいえ編成全体の横転などには至らず、死者・重傷者などは奇跡的に生じなかった。
とき325号の事例では、対向列車の不在が幸いした。
地震発生5分後に対向列車とすれ違うダイヤになっていたこともあった。
対向車と正面衝突していれば重大な事故を起こしたことは想像に難くない。

また、事故現場は積雪の多い地帯のためレール脇に雪を融かして流すための溝があり、そこに車体の一部が填まり込むことで横転せずに済んでいた。
一般にはレール脇は平坦であるため、もしそのような場所で脱線していれば車体は完全に横転していたかもしれない。
この事故は新幹線を運営するJR各社に、新幹線における地震対策の重要性を強く認識させる事になった。

災害・テロへの対策不足

新幹線では、航空機や船舶と異なり、通常の運行では乗客名簿などは整備されない。
万一、転覆事故などで多数の死傷者が生じた時には、死傷者の身元特定に支障を来すのではないか、との指摘もある。
もしそうなった場合、家族への連絡や事故の補償などで大きな問題となることが予想される。
しかしながら、新幹線を運営する各鉄道会社はこの課題について踏み込んだ対策を採るまでには至っていない。

20世紀末から世界的に増加しているテロリズムに対しても、新幹線は脆弱ではないか、との指摘もされている。
現状では航空機のような搭乗時の手荷物検査がなく、その気になれば車内やプラットホームに、爆発物や刃物を容易に持ち込むことができるのも事実である。
また高架橋などの軌道設備には周囲から容易に接近できる箇所が多く、この面でもたやすくテロの対象となりうる。

なお、東海道新幹線・山陽新幹線の最新式車両新幹線N700系電車はデッキに防犯カメラをとりつけている。
しかし、ロンドン同時爆破事件の事例のごとく、防犯カメラを取り付けてもテロに対する抜本的な予防策にはならない。
また、防犯カメラの設置が「プライバシーの侵害につながらないか」と危惧する声もある。

ちなみに、JR東日本の各新幹線では、テロ対策のため、車内のゴミ箱を一切利用停止にしていた時期があったが、乗客からの不便という声が高まり、現在は利用を再開している。
また、JR東海では「アメリカ同時多発テロ事件」以降、系列の警備会社と連携し、沿線を24時間体制で巡察している。

救命対策

2008年7月28日に東海道新幹線・山陽新幹線では、2008年12月より全編成において自動体外式除細動器(AED)を配備すると発表した。

世界の高速鉄道の最高速度

世界初の210km/h運転を達成した新幹線の成功は、欧米各国に影響を及ぼした。
鉄道先進国を自負していたフランスは、1967年5月28日より高速列車フランス国鉄TGS気動車 をヨーロッパにおいて初めて200km/hで運転し、その後も複数の列車を200km/hで運行していた。
新幹線の開業後、1981年に本格的な超高速列車TGVを開発し、営業最高速度260km/hというスピード世界一の一覧を達成し、新幹線の記録を凌駕した。

その他、ドイツ (ICE) やイタリア(ペンドリーノ)でも高速列車が計画され、実現に移された。
イタリアのペンドリーノは欧州初の高速新線であり、1970年に工事が始まり、1978年に部分開業を迎え、1983年に250km/h運転を開始したものの、その後の整備で仏独に遅れを取り、全線が開業したのは1992年である。

スペインは、高速新線の導入を検討していたが、TGV方式の高速列車を採用、その他にもフランスからTGVを導入する国が増えている。

ロシアの高速列車ソコル (列車)は1997年、ドイツ鉄道の技術支援を受け、モスクワ - サンクトペテルブルグ間654kmを営業時の最高速度250km/hで結んだことにより、それまで4時間20分掛かっていたものが、2時間30分に短縮された。

なお、既に標準軌の鉄道網が整備されているこれらの国では、駅周辺は従来の路線をそのまま使用し、郊外区間では諸条件によって高速新線建設と在来線改良を使い分けることが多い。
したがって、システム的には全線を新線として建設する新幹線とは別物と言える。

走行試験を除く営業運転速度は、2008年10月現在、日本の新幹線はやて (列車)やドイツのICE3の技術を導入した中国北京・天津高速鉄道の350km/hが世界最高である。
フランスTGVの320km/h、JR西日本の500系 (300km/h)、ドイツが自国開発したICE (300km/h) がそれに続く。
大韓民国では2004年、フランスのTGV方式の韓国高速鉄道 (KTX) が300km/hで開業し、台湾では2007年、日本の新幹線方式(一部仏独の技術を導入)の台湾高速鉄道が300km/hで開業した。

TGVは360km/hへの速度向上を計画している。
2007年後半からフランスのTGV方式のスペインのAVEは、マドリード - バルセロナ間630kmの新造線で、ドイツのICEの技術に使われているシーメンス製のVelaro Eという列車を使い350km/hで運転する計画がある。
それが実現すれば、マドリード - バルセロナ間は2時間30分に短縮される。

さらにロシアやベトナムでも新幹線をモデルにした最高速度350km/hの高速鉄道建設が計画されている。

浮上式鉄道を含めた2008年現在における世界最速の旅客営業鉄道路線は、2003年にドイツの技術によって開業した中国・上海浦東国際空港へのアクセス用に建設された上海トランスラピッドで、最高速度は430km/hである。

走行試験も含めた鉄道における最高速度の世界一は、日本のジェイアール式マグレブが山梨リニア実験線で記録した581km/h。
浮上式鉄道を除くとフランスTGVの高速試験車V150編成が記録した574.8km/hである(日本の非浮上式鉄道の最高記録はJR東海の新幹線955形電車によって達成された443km/hで世界第2位)。

東海道新幹線は建設時期が古く、カーブなどの線路状況が200km/h台の設計になっている。
より新しい山陽新幹線・東北新幹線などもフランスやドイツなどと比較すると山岳区間が多く、路線の起伏やカーブの設計などにおいて高速化を妨げる点が多い。
特に後者は上越新幹線共々寒冷地の耐寒・耐雪装備が不可欠であり、重量的に不利である。
また沿線に住宅地が多いため、騒音への対策も必要となるなど、300km/h以上の運転には解決すべき課題が多い。

しかしJR東海・西日本では2007年より山陽新幹線で新幹線500系電車と同じ最高速度300km/h、東海道新幹線でも従来の車両では255km/hまで減速する必要のあった半径2500mのカーブを、車体傾斜装置を搭載することで270km/hで通過できる新幹線N700系電車の導入を開始した。
また、JR東日本は2004年から360km/h走行を前提とした試験車両(新幹線E954形電車・新幹線E955形電車)の開発を開始しており、2005年からはE954形、2006年からはE955形も走行試験を行っている。
E954系をベースとして320km/hでの走行を前提にした新幹線E5系電車の製造も開始される。

浮上式鉄道を除く、営業運転での最高速度記録

1964年 - 東海道新幹線開業。
210km/h。
軌道の安定を図るため一部区間で180km/h運転

1965年 - 東海道新幹線の徐行運転が解除され、全線で210km/h

1972年 - 山陽新幹線開業。
210km/h

1981年 - フランスでTGVがパリ - リヨン開業。
260km/h

1982年 - 東北新幹線・上越新幹線開業。
210km/h

1983年 - フランスでTGVが270km/h

1985年 - 東北新幹線で240km/h

1986年 - 東海道・山陽新幹線で220km/h

1988年 - 上越新幹線で240km/h

1989年 - 山陽新幹線で230km/h

1989年 - フランスでTGVが大西洋線を開業。
300km/h

1990年 - 上越新幹線で275km/h(清水トンネル下り坂利用)

1992年 - 東海道新幹線で270km/h

1993年 - 山陽新幹線で270km/h

1997年 - 東北新幹線で275km/h

1997年 - 山陽新幹線で300km/h(500系電車による)

1997年 - 長野新幹線開業。
260km/h

2002年 - ドイツでICE-3が開業。
300km/h

2004年 - 九州新幹線開業。
260km/h

2004年 - 韓国で韓国高速鉄道 (KTX) が開業。
300km/h

2007年 - フランスのTGVが320km/h

2007年 - 台湾高速鉄道が開業。
300km/h

2008年 - 中国で北京・天津高速鉄道が開業。
350km/h

2010年 - 東北新幹線で320km/h(予定)

台湾

台湾の南港駅 - 高雄駅間のうち、台北駅 - 新左営駅の約340kmで運行中の高速鉄道路線(台湾高速鉄道)は、独仏連合との熾烈な受注競争の末、日本連合が最終的に逆転、受注に成功した。
この高速鉄道は新幹線のシステムを導入して建設されており、車両には新幹線700系電車をベースとした台湾高速鉄道700T型電車が用いられている。
日本が受注した背景には、技術や安全性もさる事ながら、台湾は歴史的にも日本に対し親近感を持っている事、地理的に日本と類似した条件にある事、地震に備えるシステムが構築されている事などが挙げられるが、最終的には日本側が提示した資金面での優遇措置を加えた事が契約締結の決め手となった。

当初は2005年10月の開業を目指して建設が進められたが、台湾高速鉄道のコンサルタント業務を欧州連合が先に受注していたため、施工方法やスケジュールの調整が難航。
また建設工事の一部区間を受注していた韓国の現代建設による路盤の手抜き工事が発覚するなど、各国企業の思惑が入り乱れた。
このため、開業時期が徐々に遅れ、結局2007年1月5日に板橋駅 (台北県) - 左営間で仮開業し、全線は2007年3月に正式開業。

現在、台北 - 南港間が建設中であり、左営 - 高雄駅間の着工は未定である。

尚、台湾高速鉄道の顧問には、日本における新幹線計画の実現に大きく貢献した島秀雄の次男島隆が就いている。

イギリス

2009年からイギリスのロンドン - ケント州間を高速新線CTRL(HS1、旧名CTRL Channel Tunnel Rail Link) 経由で運行される高速列車 “Olympic Javelin” の専用車両クラス395電車として、日立製作所が29編成計174両を受注し、2007年8月から引き渡しが始まった。
車両は香港上海銀行 Rail UKが保有し、サウスイースタン (鉄道)が列車の運行を担当する。

UIC規格路線を走る初めての日本製高速鉄道車両であり、HS1上においてTGVベースのユーロスターと混在して運行される事となる。
営業最高速度は、HS1上で140マイル毎時 (225km/h)、在来線では70mph (112km/h) で、将来的には時速170mph (275km/h) を目指す。

中華人民共和国

中華人民共和国は北京市 - 上海市間1,300kmの北京・上海間高速鉄道計画など、8路線合計7,000kmの旅客専用線(最高速度350km/h)をはじめ、中国全土に最高速度200 - 350km/hの高速鉄道網の建設を進めている。
しかしながら、国産高速車両「中国国鉄DJJ2型電車」の開発で多くのトラブルに見舞われたこともあって、日本・フランス・ドイツ・カナダなどからの技術導入を図っている。

2007年から主要都市間の在来線高速化 (200 - 250km/h) 用にスウェーデンのRegina (鉄道車両)(カナダ・ボンバルディア製)をベースにした中国高速鉄道CRH1型電車(CRHは“China Railway High-Speed”の略)、イタリアのペンドリーノETR600電車(フランス・アルストム製)をベースにした中国高速鉄道CRH5型電車と共にJR東日本の新幹線E2系電車(川崎重工業車両カンパニー製)をベースにした中国高速鉄道CRH2型電車「子弾頭」が、2008年の北京オリンピックに合わせ開業した北京 - 天津市間の北京・天津高速鉄道 (350km/h) にはCRH2型の旅客専用線仕様とドイツのICE(シーメンス製)をベースにした中国高速鉄道CRH3型電車が導入された。
一部は完成車で納入されたが、残りは部品の現地組み立てまたは技術供与による現地生産となっている。

なおJR各社では、JR東日本が受注に積極的なのに対し、中華民国への技術供与を行ったJR東海の葛西敬之会長は、法整備が不十分な中華人民共和国においてトラブルが発生した場合の責任問題や技術流出の危惧から反対の意見を表明している。

韓国

韓国の高速鉄道「韓国高速鉄道」計画においては、日本の新幹線方式も入札に参加していたが、最終的にはフランスのTGV方式となった。

その他

ベトナムではハノイ - ホーチミン市間 (1,630km) で借款での南北高速鉄道(最高速度350km/h)の建設計画があり、完成すれば現在30時間以上掛かっている所要時間が10時間弱に短縮されると期待されている(ベトナム高速鉄道計画)。

アメリカ合衆国ではカリフォルニア州のロサンゼルス - サンフランシスコ間に建設計画がある。
州の予算や採算性の問題もあり、建設時期は未定のままだが、バラク・オバマがマニフェストに掲げたグリーン・ニューディール政策によって、具体的に進行し始めている。
JR東海が積極的に新幹線を売り込んでいる。
アメリカ西部は地震も多く、開業以来地震に対する対策を採ってきた新幹線はその点で各国の高速鉄道よりもアドバンテージがあるのでは、とする声もある。
建設プロジェクトを紹介するインターネットのウェブサイトには、700系新幹線をイエローとブルーのツートンカラーにした車両のコンピュータグラフィックス動画が公開されている。

ロシアではモスクワ - サンクトペテルブルグ高速鉄道運行プロジェクト(路線距離645km、最高速度350km/h)が進行中であり、同プロジェクト一行が日本企業と接触している。
2009年12月からは同区間の在来線にICE3ベースの新型車両が導入され、最高速度250km/hで運転される予定。
さらにモスクワ - ニジニ・ノヴゴロド間、エカテリンブルク - チェリャビンスク間などにも高速新線の建設が計画されている。
モスクワ - ウラジオストック間を結んでいる路線距離世界一 (9,288km) のシベリア鉄道についても、一部高速新線(最高速度350km/h)の建設を含む近代化計画がある。

インドは高速鉄道の導入に本格的に乗り出した。
2007年5月、インド国鉄は事前事業化調査のための説明会を開催し、日本やヨーロッパの車両メーカーも参加した。
計画はアフマダーバード - ムンバイ間、アムリツァル - ニューデリー - ラクナウ間、バトナ - コルカタ間、チェンナイ - バンガロール間の4路線。

世界的に見ると、高速鉄道を必要とする国には、日本の様に地理的条件や騒音対策、輸送量の面で過酷な条件に置かれているケースはさほど多くはない。
そのため、新幹線方式よりもコスト面でより有利なTGVに代表される半動力集中式を採用するケースが多い。

新幹線による貨物輸送

いわゆる「貨物新幹線」は、東海道新幹線の建設時から構想だけは存在したものの(旅客列車のない深夜に超高速コンテナ電車を走らせる構想があった)、いまだに実現されていない。
新幹線による貨物輸送は、最高速度や制動距離などの違いからダイヤグラム上で旅客列車と混在させることは現状では困難である。
また、高速で走ったとしても積み替え等の時間が必要なことから、時間短縮効果が旅客ほど出てこないともされる。
なお、約40年の時を経て同様のコンセプトを持つ列車が在来線で「JR貨物M250系電車(スーパーレールカーゴ)」として登場した。

東海道新幹線建設時の計画は、実際のところは世界銀行からの新幹線建設の資金調達のため、旅客だけでなく貨物輸送もあるというポーズをつけるための、ダミー構想といえるものであった。
当時の欧米は鉄道斜陽論が台頭していた上、世界銀行のあるアメリカ合衆国では、すでに鉄道は旅客利用ではなく貨物が中心となっていた。
このため、「旅客専用」の新しい鉄道建設を理解してくれないだろうから、建設資金を貸し出さないだろうと考えていた。
しかしダミー構想ながら、新幹線大阪第二車両所(鳥飼基地)の京都駅側に、東海道新幹線の本線を跨ぐ構築物や、事業用地などに使われている線路用地の跡など、新幹線貨物輸送の構想の遺構が確認できる箇所もある。
また、日本貨物鉄道の大阪貨物ターミナル駅は新幹線貨物輸送で大阪府側の貨物取扱駅として用意されていた土地を転用したものといわれており、可能ならば実用化しようという姿勢自体は見られた。

2005年から建設が始まった北海道新幹線は、青函トンネルとその前後の区間を在来線の貨物列車と共用する。
そのため、同区間では片道あたり新幹線・貨物それぞれ2本/時しか走らせることができないと予想されている。
北海道旅客鉄道ではこのボトルネックを緩和する方法の1つとして、在来線の貨車をそのまま搭載する専用列車(トレイン・オン・トレイン)の研究が進められている。

運賃

新幹線の運賃は、並行在来線の営業キロを元に決められる。
これは元来新幹線が並行在来線の別線増設として建設されたという歴史的経緯や、運賃計算の繁雑化を避けた事によるものである。
詳しくは以下の通り。

注「並行在来線」とは、東海道新幹線では東海道本線、山陽新幹線では東海道本線・山陽本線・鹿児島本線、東北新幹線の東京駅 - 盛岡駅間では東北本線、上越新幹線では(東北本線)・高崎線・上越線・信越本線、九州新幹線の川内駅 (鹿児島県) - 鹿児島中央駅間では鹿児島本線のこと。

新幹線と並行在来線は原則として同一路線とみなされる(「幹在同一視」)。
そのため、新幹線を利用した場合と在来線を利用した場合とで基本的に運賃は変わらない(後述するように例外もある)。

山陽本線には岩国駅 - 櫛ヶ浜駅間を含む区間について岩徳線経由のキロ数で運賃を計算する特例がある(経路特定区間)が、山陽新幹線にもこの特例が適用される。
なお、山陽新幹線の実際のルートは岩徳線沿いになっている。

並行在来線と接しない新幹線駅については、それに最も近い(もしくは対応する)並行在来線の駅に相当するものとして営業キロを定める(例新花巻駅は花巻駅の営業キロを用いる)。

並行在来線(の一部)が廃止されたり第三セクター鉄道に転換されたりして「並行するJR線」が消滅した区間(長野新幹線の高崎駅 - 軽井沢駅 - 長野駅間・東北新幹線の盛岡駅 - 八戸駅間・九州新幹線の新八代駅 - 川内駅間)については、実際のキロ数を営業キロとする。

幹在同一視の原則により、普通乗車券片道乗車券の経路に新幹線とそれに対応する区間の並行在来線の両方を含む事はできない。

例として名古屋駅→(新幹線)→静岡駅→焼津駅と乗車する場合、静岡 - 焼津間が重複となるため1枚の片道乗車券にはできず、名古屋→静岡と静岡→焼津の別々の乗車券が必要である(普通乗車券連続乗車券にする事もできる)。

一方、新幹線と並行在来線とを完全に同一視すると旅客にとって不利になる場合を考慮して、以下のような例外がある。

並行在来線と接しない新幹線駅を含む区間(例:品川 - 新横浜 - 小田原)については別の路線として扱う。

例えば大阪駅→新大阪駅→(新幹線)→名古屋→大垣駅と乗車する場合は、名古屋 - 大垣間を重複とせず全体を1枚の片道乗車券にする事ができる。

また山陽新幹線の新下関駅 - 小倉駅 (福岡県) - 博多駅間については、新幹線(JR西日本)と在来線(JR九州)とで管理する会社が異なることから、他の区間とは扱いが異なっている。

基本的には同一の路線として扱うにも関わらず、運賃が異なる。

JR九州管内となる下関以西の在来線では乗車距離に応じた加算額が課されるのに対し、JR西日本管轄の新幹線ではそれがないため。

運賃が異なることに起因して、片道乗車券の発売条件の判定がかなり煩雑である。
規則を厳密に解釈すると、条件によっては片道乗車券でも連続乗車券でも発売できない経路が存在する。

詳しくは、旅客営業規則第16条の2、第16条の3及び第16条の4を参照。

特急料金

新幹線(山形・秋田新幹線を除く)の特別急行券は、乗車券や在来線の特急列車のような対キロ制ではなく、各駅の区間ごとに決められた、いわゆる三角表方式となっている。

新幹線と在来線の乗り継ぎについては、一定の条件で在来線の特急・急行料金を半額に割り引く制度がある(乗り継ぎ料金制度新幹線)。
これは、新幹線が開業する前は1本の(特急等の)列車で済んでいたものが、開業したことによって複数の(新幹線と特急等の)列車に分割されることによる合計後の特急料金等の負担増を軽減することをそもそもの目的として設けられたものである。

なお、制度上在来線である山形新幹線と秋田新幹線については、新在直通運転を行うという特殊性をもている。
そのため、以下のような取扱いになっている。

福島駅 (福島県) - 新庄駅の区間内相互間、および盛岡駅 - 秋田駅の区間内相互間での利用の場合

在来線として扱い、A特急料金を適用する。

東北新幹線と福島・盛岡で乗り継ぎまたは直通する場合

東北新幹線区間の特急料金に、在来線区間の乗車距離に応じた特定の特急料金を加算する。
この在来線区間の料金は、通常のA特急料金とそれに乗継割引を適用した金額との中間的な額になっている。

また、九州新幹線には乗継割引の制度がないが、新八代で鹿児島本線の特急列車と改札を出ずに乗り継ぐ場合は、両方の列車を通じて特定の特急料金を適用する。
ただし、鹿児島本線の特急列車からさらに山陽新幹線に乗り継ぐ場合はこの取扱いをしない。
このように、複雑な制度になっている。
詳しくは乗り継ぎ料金制度九州新幹線についての項を参照のこと。

航空便との競合

長距離移動においては航空会社との競合が続いていた。
しかいながら、航空会社の規制緩和による各種割引運賃の一般化(早割、特割、激割など)や、さらに旅行会社とタイアップして宿泊料金込みで格安の料金を打ち出して来る。
このような航空便に対し、事実上、値段(運賃)の面では太刀打ちできなくなっているのが現状である。

また、航空会社によるマイレージサービスの存在も大きく影響している。
高頻度の利用客に対し通常より多いボーナスマイルや専用ラウンジの用意、渡航先宿泊の割引など高いサービスを与えて優遇する制度がある。
これらのサービスが存在しない新幹線を利用しない旅客も多い。
エクスプレス会員に対しポイントシステムを開始しているが、そのサービス内容や、高頻度利用客への優遇サービスは格段の違いがある。
さらに新幹線には飛行機のような手荷物検査が一切ない。
そのため、セキュリティの面で不安感が残っている点も不利であるともいえる。
しかし、新幹線には、割引料金に対する予約変更の優位性、発車場所へのアクセス性、前後のアクセスにJR線を利用する場合に運賃通算が可能、本数(輸送力)の多さと定時性、手荷物検査や持込品目の制限などの煩雑さがない優位性がある。

航空会社との対抗については、航空路線と競合する区間を中心に割引率の大きい特別企画乗車券の発売や、ビジネス客の多い東海道・山陽新幹線ではJR東海エクスプレス・カードとJ-WESTカード(エクスプレス)による「エクスプレス予約」、東北や上越・長野新幹線では「えきねっと」といった、運行会社自身の会員制インターネット予約による割引特急券の発売が行われている。
とりわけ2006年の神戸空港や北九州空港の開港は、競合する東海道・山陽新幹線への影響が大きかった。
そのため、「エクスプレス予約」の山陽新幹線への拡大、300km/hの高速性能と700系車両を上回る居住性の両立を目指した次世代車両であるN700系車両の共同開発など、それまで対立の多かったJR東海とJR西日本両社は連携を強化する体制に転換しつつある。
一方、航空会社も東京 - 大阪間でのみ使える予約変更自由、航空会社選択自由のシャトル便往復割引を導入して迎え撃っている。
そのほか、東京国際空港の滑走路増設による発着能力増強や、横田空域の一部返還により、更なる所要時間短縮による競争力強化が見込まれている。
また、京浜急行電鉄や名古屋鉄道といった空港連絡鉄道路線を持つ鉄道各社とのタイアップも行っている。
これらの鉄道会社が保有する路線の多くは、JRの在来線と競合しているため、その影響もあると見られている。

なお、JR各社がインターネット予約サービスを設けている。
しかしながら、主にビジネス客向けの会員カード制である点や、それぞれ各社が独立して運営しているので、JR同士であっても会社が異なると発券や割引が受けられないといったことが起きている点は、閉鎖的なサービスとみられ、航空会社のそれに比べると劣っているともいえる。

なお山陽新幹線においては、終点である博多駅と福岡空港がほぼ隣接している。
このような他の地域にはない特徴もあり、福岡 - 名古屋間では新幹線と航空会社との競争が非常に激化している。
福岡 - 大阪間は従来競争が激しかったが、「ひかりレールスター」の登場などにより、鉄道側の巻き返しが見られる。

他の鉄道との競合

私鉄特急との競合

東海道新幹線の開業以来、新幹線と競合した私鉄特急としては、近畿日本鉄道(近鉄)、東武鉄道、小田急電鉄、名古屋鉄道(名鉄)の特急があった。

私鉄特急はいずれの場合も、到達時間では新幹線に太刀打ちできないので、運賃・料金の割安さ、駅の立地、車両の居住性などで対抗することになった。

近鉄特急との競合

直接の競合は、名古屋 - 大阪間で見られる。
大阪側では、特に新幹線ターミナルの新大阪から離れたミナミに対しては、乗換を必要としないエリア(なんばなど)があることなどの意味で、近鉄特急にも優位性がある。

競合は1964年の東海道新幹線開業時に始まる。
当初は運賃・料金でも差が小さかったことや、到達時間の差などから客を新幹線に次々と奪われ、大阪万博のあった1970年を除き、1970年代前半までは低迷が続いた。
近鉄の名阪ノンストップ特急(甲特急)は汎用車両の2両編成による運行を余儀なくされた。
一時は単行車両の導入も検討されたといわれている。

しかし、昭和50年代には、国鉄の頻発する運賃・料金の値上げとストライキに対する嫌気から、名古屋 - 大阪間においては、特に急がない個人客を中心に、新幹線から近鉄特急への乗客移行が多く見られた。
このことにより1980年代に入ると同区間の近鉄特急も3両編成、後には6両編成にまで復調したが、運用される車両は汎用車両のままであった。

その後、100系車両の投入(1985年)とJR東海の発足(1987年)による東海道新幹線の競争力強化を受けて、1988年に近鉄特急も新型車両「近鉄21000系電車」を投入した。
2000年代には更なる新型車両「近鉄21020系電車」投入や「アーバンライナー」の「アーバンライナーplus」へのリニューアルを実施、運賃面でも割引乗車券の名阪まる得きっぷが導入された。
このように、主に運賃面と快適性をアピールする形になった。

一方では、伊勢志摩・奈良方面など、新幹線と競合しない区間では、むしろ東海道新幹線と近鉄特急は補完関係ですらある。
1964年の東海道新幹線開業で、近鉄は自社特急網を新幹線の培養ルートとして育成し、新幹線で大阪・京都・名古屋に到達した旅客を自社沿線の観光地へ誘致する戦略を採った。
伊勢志摩方面ではまだ在来線列車「みえ (列車)」との競合も見られるが、JR東海の特別企画乗車券の中には、新幹線と接続する京都駅から奈良方面への移動にJR西日本の奈良線ではなく、近鉄線を指定しているものも存在する。

もっとも名古屋 - 大阪間については新幹線が災害などで運転を見合わせた場合の代替路線の機能を果たしている。

なお、上述した歴史的経緯の詳細は、近鉄特急史に詳しい。

東武鉄道優等列車との競合

東京都・埼玉県南部 - 栃木県・群馬県の一部地域について、競合が見られる。

ただし、上述の近鉄特急と異なり、日光市・鬼怒川温泉・足利市・赤城山など、スペーシア・「りょうもう」などといった特急が直接乗り入れる箇所(新幹線では在来線や私鉄・バス等との乗換えが必要)を除き、必ずしも東武特急は優勢とはいえない。
東京側の発着地が都心にある新幹線と異なり、東武は浅草・北千住という東側に偏った位置(下町)にあることなどが主因とされる。
なお、東北・上越新幹線が東京駅に乗り入れる1991年以前から、この様な状況であった。
当時「きぬ」「けごん」で栃木県内の途中駅で停車するものが少なかったことなども一因と考えられる。

ただし、運賃・料金の割安感や乗り心地・車内設備(新幹線では廃止されたビュッフェや、東武1720系電車時代ではジュークボックスなど)、東京側での地下鉄との乗り換えなどにおいては、東武特急にも優位性がある。
また、JR東日本との特急直通運転化がされており、一概に対立しているとはいいがたい。

小田急ロマンスカーとの競合

東京 - 小田原において、「はこね (列車)」などとの競合が見られる。

ただ、運賃格差の大きさと箱根方面への輸送を含むというその性質の差、それに東京側ターミナルの違い(新幹線・東京駅、小田急・新宿駅)などが作用して、新幹線の開業によって大きな影響があるとはいい難く、棲み分けがなされているとも看做せる。
むしろ新幹線よりもJR東日本の湘南新宿ラインが直接の競合相手といえる。

また東海道新幹線を運営するJR東海とは、国鉄時代から継続して小田急線から御殿場線に乗り入れる「あさぎり (列車)」を設定するなどしており、対立が生じているとは看做しにくい。

名鉄特急との競合

愛知県の名古屋市 - 豊橋市について、競合が見られる。
しかし、豊橋駅に停車する新幹線は毎時2本の「こだま」と2時間に1本の「ひかり」だけである。
さらに、時間帯を選んで乗らない限り速達性を存分に発揮できない上に、別途特急料金もかかる。
したがって、名鉄特急と本格的に競合しているのは、むしろ同区間の在来線を走行するJR東海の追加料金不要の快速電車(新快速・特別快速を含む)であるといえる。

JR(国鉄)同士 の競合

国鉄時代から、新幹線に並行する在来線特急との競合はあったが、同一事業者なので一般的には「競合」とはみなされていなかった。
しかし、国鉄民営化後、新幹線と在来線特急が別会社となった場合には、営業的にも競合関係となった。
具体的な例は、以下である。

福岡県内(北部九州)

山陽新幹線の小倉 - 博多間がそのひとつである。
西日本旅客鉄道(新幹線)は小倉 - 博多間のみの「こだま」を増発している。
一方九州旅客鉄道(在来線・鹿児島本線)では特急料金の値下げや高頻度の運行で対抗している。
この区間には西鉄バスによる低廉(片道1,100円)な予約不要の高速バス「ひきの号」・「なかたに号」・「いとうづ号」も多数運行されており、三つ巴の様相を呈している。

南関東

他には、東京方面からの富士箱根伊豆国立公園方面へのアクセスにおける、東京・品川 - 熱海間(JR東海・東海道新幹線とJR東日本・東海道本線)の競合があげられる。
“棲み分け”が成されているとも見ることもできる。
しかしながら、両社はこの区間において在来線同士の直通運転を除き、新幹線と在来線の相互連携は特に見られない(特別企画乗車券「伊豆フリーQきっぷ」で、東京 - 熱海 - 三島間で東海道新幹線あるいは在来線特急(踊り子 (列車))自由席の利用が可能である程度)。
JR東日本側では在来線特急を伊豆急行線や伊豆箱根鉄道駿豆線と東京を直通させている。

近畿圏

米原駅 - 大阪駅間についてJR東海の新幹線とJR西日本の琵琶湖線・JR京都線で競合が見られるが、棲み分けがなされているといえる。

新幹線ではJR東海とJR西日本に跨る京都駅 - 姫路駅間においては、JR西日本の路線を走る智頭急行の特急「はくと (列車)」と競合しているといえる。
神戸駅 (兵庫県)以東のJR神戸線およびJR京都線の各駅から岡山・広島方面へ向かう場合は、新大阪駅または新神戸駅で山陽新幹線に乗り換えるよりも、大阪・三ノ宮駅で特急スーパーはくと号に乗車して姫路で山陽新幹線に乗り換える方が料金的に有利であるケースが多い。
加えて神戸駅以東のJR神戸線各駅からは時間的にも有利であるケースが多い。

高速バスとの競合

高速バス昼行の長距離では、たとえ格安であっても新幹線の速度と定時性にはかなわないものがある。
しかしながら、既出の例を含む中距離区間や、新幹線が中心とされた東京・大阪間を初めとする区間を夜行バスで寝ている間に格安で移動できるということで、1980年代ごろから人気が出てきている。
国鉄の名残からJR新幹線沿線をJRバスが運行する路線もある(東京-名古屋・京阪神間が中心)。
しかしながら、JRグループ以外の競合会社(私鉄・専業系路線バスのほか、貸切バスによる会員制ツアーバスもある)の進出も急増し、各JR新幹線と実質競合している。
高速バスは、バスの特性を生かして都市の市街地(東京の新宿や渋谷、名古屋の栄 (名古屋市)、大阪の梅田や難波、広島の紙屋町・八丁堀、福岡の天神 (福岡市)など)やテーマパーク(東京ディズニーリゾートやユニバーサルスタジオジャパンなど)に直接乗り入れるなどしている。
このため、新幹線の駅を結ぶ競合でなくても新幹線の客を奪っているのである(ただ、運賃と所要時間が違いすぎるため、直接的な新幹線との競合というよりは、利用客のニーズの違いで使い分けられている感が大きい)。
なおJR新幹線は協定により深夜・早朝の運転を行わない。

政治の影響

新幹線の建設に関しては、その開業効果が大きいことから沿線の利害に関係することとして、建設時より様々な政治介入がなされてきたといわれる。

最も古い話では、東海道新幹線の建設時に起こった、京都駅の設置是非をめぐる問題や、大野伴睦の介入による岐阜羽島駅の設置騒動がある(ただし、岐阜羽島駅の設置には関ヶ原の降雪対策という、政治的な影響力とは別の理由もあり、政治力のみで設置されたわけではないと言われている)。

また逆に、一度は着工された駅新設が、その新設を争点とした選挙での県知事交代によって凍結に追い込まれた滋賀県の南びわ湖駅の例もある。

世界の高速鉄道の呼称

日本では、新幹線という単語が既に高速鉄道そのものを意味する普通名詞と化している。
そのため、報道などでは日本国外の高速鉄道についても国名を付けて「○○新幹線」「○○版新幹線」「○○の新幹線」と広く呼ばれている(例:TGVはフランス新幹線、ICEはドイツ新幹線、韓国高速鉄道は韓国新幹線、ソ連運輸省ЭР200型電車はロシア新幹線、台湾高速鉄道は台湾新幹線など)。

しかし、日本の新幹線は鉄道車両、軌道 (鉄道)、架線、信号 (ATC) などを総合した独自のシステムであり、ミニ新幹線を除けばヨーロッパのように在来線と相互乗り入れしているわけではない。
そのため、他の高速鉄道システムとは区別することがある。
英語では、日本の新幹線はenshinkansenと表記される様に、新幹線とは日本の高速鉄道システムの固有の名称として取り扱っている。
技術的には、他国の高速鉄道と異なり在来線とは独立したシステムとなっているのが特徴で、動力分散方式など独自性が強いのも特徴である。

駅での新幹線案内表示

新幹線の乗り入れる駅において、駅構内の表示では、ピクトグラムとして国鉄時代は新幹線0系電車・新幹線200系電車を元にした絵(丸型の先頭車両)が描かれていた。
JR東日本の東北・上越新幹線の駅、及び東京駅での東海道新幹線乗り場案内サイン(JR東日本構内)は現在もこれを踏襲している。
しかし、JR東海と西日本ではその後登場した車両の絵を用いている。

地下鉄など国鉄・JR以外の駅では、乗り換え表示に「JR線」と表示するのではなく「JR線・新幹線」と新幹線を在来線と分けて記載する例がみられる。

新幹線の英語表記の案内表示では表記が統一されていないものがある。
たとえば、「新横浜」をShin-Yokohamaと表記しているところもあれば、Shin-yokohamaと表記しているところもある。
この点は専門家の間でもまとまった意見は出ていないのが現状である。

警笛・走行音など

新幹線の「音」は「ビュワーン」という擬音表現が古くからよく知られ、メディアなどでも取り上げられることが多かった(新幹線を用いた旅行という設定のCM、後述する『はしれちょうとっきゅう』の歌詞など)。
これを新幹線の走行音と思う人も多かったが、実際は走行中(主に高速走行時)の警笛音である。
なお、この音で新幹線がイメージされることは、1980年代以降薄れた。
また、新幹線100系電車以降の東海道・山陽新幹線車両や東海道・山陽新幹線以外の新幹線については、この音をメディアなどで取り上げられることはなかった。

実際の新幹線の走行音は、低速運転時(少なくとも110km/h以下)の場合は在来線の走行音より静かである。

走行音の発生源としては車輪や架線、車体前面や側面・上面の突起物による風切り音(空力音)がある。
しかしながら、300km/h近くなると空力音がその大半を占めるようになる。
そのため高速走行には「新幹線車両」で述べたような空力音対策が必要とされる。

トンネル突入の際、圧縮された空気により、退出側の坑口周辺で凄まじい騒音が発生する。
トンネル微気圧波による騒音であり、圧縮波とも呼ばれている。
上記に同じく、対策が必要とされる。

地名における「新幹線」

静岡県田方郡函南町には「新幹線」という地名が存在する。
これは戦後の新幹線計画からの地名でなく、戦前の弾丸列車計画時代に丹那トンネルの工事を行うための従業員宿舎が置かれた場所である。
工事終了後に宿舎は撤去された。
しかしながら、その後同地に住宅団地が建てられ「新幹線」という地区が生まれる事となった。
この地区には新幹線公民館や「幹線下」という名のバス停留所も存在している。

また、東京都国分寺市の鉄道総合技術研究所のある場所の地名は「光町」である。
新幹線開発を記念し、東海道新幹線の列車愛称「ひかり」から付けられたという。

[English Translation]