福知山線 (Fukuchiyama Line)

福知山線(ふくちやません)は、兵庫県尼崎市の尼崎駅 (JR西日本)から京都府福知山市の福知山駅に至る西日本旅客鉄道(JR西日本)の鉄道路線(幹線)である。

東海道本線の大阪~尼崎間を含む大阪~篠山口間にJR宝塚線(ジェイアールたからづかせん)の愛称がある。
阪急電鉄にも阪急宝塚本線があるため、混同を避けるために愛称に「JR」と付けている。
また尼崎~谷川間が大都市近郊区間に含まれ、JR宝塚線の区間はアーバンネットワークの路線の一つとなっている。
塚口・尼崎間で東海道本線に合流し大阪駅に至る。

JR宝塚線としての日本の鉄道ラインカラー一覧は黄色(■)であり、選定理由は「これからの新しい開発エリアを示すイキイキとしたイメージ」とされている。

大阪と北近畿を結ぶ路線であると同時に、兵庫県東部の各都市から大阪への通勤・通学路線となっている。
また、大阪と山陰地方を結ぶルートの一つである。

尼崎~篠山口間のJR宝塚線各駅ではJスルー・ICOCA、及び東日本旅客鉄道(JR東日本)のSuica、東海旅客鉄道(JR東海)のTOICA、またスルッとKANSAIのPiTaPaが使用できる。

路線データ

管轄(事業種別):西日本旅客鉄道(鉄道事業者)

路線距離(営業キロ):106.5km

軌間:1067mm

駅数:30駅(起終点駅含む。JR宝塚線としては23駅)

複線区間:尼崎~篠山口間

電化区間:全線電化(直流1500V)

閉塞 (鉄道):自動閉塞式

保安装置:尼崎~新三田間自動列車停止装置P形(パターン形)(自動列車停止装置拠点P)/ATS-SW併設、新三田~福知山間自動列車停止装置改良形ATS(Sx形)

最高速度:110km/h

運転指令所:

尼崎~新三田:新大阪総合指令所

新三田~福知山:福知山運輸指令所

※尼崎~新三田間は西日本旅客鉄道大阪支社の直轄、新三田~福知山間は両端の駅を除き同・西日本旅客鉄道福知山支社篠山口鉄道部の管轄である(福知山駅は福知山支社直轄)。

沿線風景

1986年まで客車普通列車が走っていたり、生瀬~道場付近では武庫川の渓流の眺めを楽しめたりするなど、のどかなローカル路線の体であったが、同年の宝塚~新三田間の複線電化を機にそれらは姿を消し、沿線住宅開発の進展とJR東西線の開業などにより新型電車が行き交う通勤路線となっている。

宝塚以北の武庫川渓流沿いの旧線は廃線となったが(一部は遊歩道となっている)、それでもこの線は川との関係が深い。
宝塚駅から古市駅までは武庫川と何度も交差しながら遡り、篠山口駅から谷川駅は加古川支流の篠山川の渓流沿いに下る。
福知山線の最大の特徴はトンネル無しに分水界を越えること。
石生駅周辺は太平洋と日本海を分ける分水嶺の高度が本州で最も低い所(この辺りでは分水田圃)であり、田圃の中を走っているうちにいつの間にか日本海へ注ぐ由良川沿いの福知山駅に到着する。
福知山駅の手前では、再建された福知山城天守閣が見える。

川西池田駅から西宮名塩駅間、三田駅から丹波大山駅間、柏原駅から福知山駅間は国道176号とほぼ並行している。

運行形態

福知山線は尼崎駅が起点だが、すべての列車が尼崎駅を介して大阪駅(一部はさらにその先のJR京都線)に、もしくはJR東西線を経由し片町線に乗り入れている。
福知山駅からは特急列車が山陰本線・北近畿タンゴ鉄道に直通している。

優等列車

北近畿ビッグXネットワークの一角(「X」の左斜め下の部分が福知山線)としての機能があり、以下の列車が福知山線全線を通して運転され、さらに北近畿タンゴ鉄道・宮津駅方面、山陰本線・豊岡駅 (兵庫県)・城崎温泉駅(下り)方面まで運転されている。
2004年10月16日に急行「だいせん (列車)」が廃止されてからは、夜行列車の運転は無くなり、昼行列車のみの運転となっている。

エル特急「北近畿 (列車)」(新大阪-福知山・豊岡・城崎温泉:10.5往復)

特急「文殊 (列車)」(新大阪-天橋立:1往復)

特急「タンゴエクスプローラー」(新大阪-宮津・豊岡:2往復)

普通列車

全線直通運転を行う普通列車(快速列車を含む)は、朝と夕方以降に限定されており、昼間時間帯は尼崎~篠山口間、篠山口~福知山間で運行系統が分かれている。

快速列車は大阪またはJR東西線方面から篠山口・福知山方面まで運転されている。
昼間時の大阪~篠山口間には「快速(大阪発着)、丹波路快速」が運転されている。
昼間時には、各駅停車がJR神戸・京都線直通、「快速」がJR東西線方面直通の快速列車、および「丹波路快速」が大阪発着の快速列車として区別されている。

JR東西線直通の快速列車と大阪発着の快速列車とでは性格が違ってくるためここでは分けて述べる。

快速(JR東西線直通)

JR東西線・片町線と直通する快速列車は終日ほぼ15分間隔で運転される。
昼間時間帯は宝塚駅までの運転、ラッシュ時には新三田(一部列車は篠山口)までの運転。
全列車がJR西日本207系電車電車で運転され篠山口まで7両編成で運転される。
尼崎駅ではJR神戸線の快速列車と相互接続を行う(時間帯によっては新快速・普通列車とも接続をする場合もある)。
早朝・深夜にはJR東西線・学研都市線で区間快速(一部は普通)に種別が変わる列車がある(この場合下りは京橋で、上りは尼崎で、列車番号が変わる)。
この列車は駅の時刻表では区間快速として案内される。

快速(大阪発着)、丹波路快速

大阪発着の快速列車の本数は区間・時間帯によって異なり、ラッシュ時には本数が増える。
なお特急列車が設定されるサイクルには大阪始発の快速の設定はない。

「丹波路快速」は昼間時にJR西日本221系電車電車によって大阪~篠山口間で運転される快速列車の愛称である。
快速に221系電車が増投入された2000年3月のダイヤ改正で登場した。
昼間からラッシュ時を除く夕方までの閑散時に毎時2本運転される。
停車駅は他の快速と同一である。
丹波路快速の多くは4両編成であるが一部6両以上で運転されるものがある。
昼間の毎時1本は篠山口で福知山行きに相互接続する。
「丹波路快速」運行時間帯の他の「快速」は全て東西線直通となる。
朝・夕方以降の快速列車は運転区間を問わずすべて「快速」となる。

大阪発着の「快速」にも221系電車が中心的に使われるが、ラッシュ時には国鉄113系電車電車とJR西日本207系電車電車も使われ、篠山口以北に乗り入れる普通・快速には113系と221系が使われる。
2005年までは快速列車に国鉄117系電車電車も使われていたが、ATS-Pが搭載されていないために当線から撤退し、下関地区や嵯峨野線、湖西線へ転出した。
なお篠山口以北はホーム有効長が6両のため、8両編成で運転される場合は篠山口で増解結して以北は4両編成となる。
福知山発着の快速列車は途中駅で特急列車に追い抜かれることがある。

快速列車は日本国有鉄道時代は1日に数本程度運転されるだけであった。
国鉄末期の1983年頃のダイヤでは、大阪~篠山口間に尼崎・伊丹・宝塚・武田尾・三田・広野・相野・古市を停車駅とする快速列車が1日2往復のみ設定されていた。
快速列車が多数運転されるようになったのは1989年3月からである。
1997年3月から広野・藍本・草野・古市・南矢代駅を通過する列車も夕方以降の下りに設定されていたが、2003年12月のダイヤ改正で廃止された。
この快速列車には207系電車が使用されていた。
なお、臨時列車では新三田以北にも通過駅のある列車がしばしば設定されている。

普通列車(各駅停車)

JR京都線と直通し京都・高槻~大阪~新三田間に運転される列車が中心である。
早朝・朝ラッシュ時、深夜などには大阪~福知山間の列車やJR東西線直通列車(新三田~北新地~四条畷・松井山手・京田辺・木津間)がある。
平日朝ラッシュ時には野洲発、草津発及び草津行きの普通列車も存在する。

新三田以南の各駅停車は207系、321系電車7両編成で運転。
大阪駅でJR京都線・JR神戸線の新快速に、尼崎でJR東西線~JR神戸線直通の普通列車(松井山手~西明石)と相互接続をする。
また、川西池田駅ではJR東西線直通・大阪発着の快速列車(または特急の通過待ち)と緩急接続を行う(朝ラッシュ時には塚口駅で快速の通過待ちする列車もある)。

新三田~篠山口間に関しては早朝・深夜を除き各駅停車の運転がなく、この区間で各駅に停車する丹波路快速や快速が各駅停車の役割を果たしている。
なお、尼崎~宝塚間は基本的に普通列車よりも快速列車の方が本数が多く、普通停車駅と快速停車駅の乗降客の二極化が起こっている。

また、大阪~篠山口間の快速と接続して篠山口~福知山間の列車が運転されている。
篠山口~福知山間では主に昼間は113系が2両でワンマン運転を行っていて、毎時1本程度運行されている。
福知山で列車番号が変わるものの、日中に山陰本線の城崎温泉駅から篠山口まで直通運転を行っている列車が1本ある。
なお、篠山口~福知山間の列車のうち朝の下り2本と夜の上り1本については大阪方面から(へ)の列車とは接続しない。

JR京都線と直通する列車は塚本駅に停車するが、早朝などに見られる大阪駅始終着列車は塚本駅を通過する。
大阪発着の普通列車は113系、207系、221系、321系電車が使われる。
221系の普通列車はラッシュ時に数本存在するのみで、ワンマン運転時を除いても113系の普通列車のほうが圧倒的に多い。
過去には早朝・深夜のみ新大阪駅始終着の普通列車も存在していた(こちらも塚本駅は通過)。

2008年3月15日のダイヤ改正より平日朝ラッシュのピーク時(8時台)の下り列車は特急および篠山口行きの普通列車を除き全てJR東西線からの直通列車となった。
このために尼崎駅折り返しの普通列車との接続を取るケースが増えている。

JR宝塚線(大阪~尼崎~篠山口)

JR西日本207系電車(快速・普通列車)

JR西日本321系電車(普通列車)

JR西日本221系電車(丹波路快速・快速・普通列車)

国鉄113系電車(快速・普通列車)

篠山口~福知山

221系 - 朝夕の快速・普通列車で乗り入れ。

113系 - 大阪からは朝夕に乗り入れ、区間運転は終日。
区間運転では専用の3800番台が運用される。

特急列車

国鉄183系電車(特急「北近畿」「文殊」)

国鉄キハ65形気動車(臨時特急カニカニ北近畿・臨時特急カニカニエクスプレス) - 以前は特急エーデル北近畿・丹後・鳥取、急行だいせんでの運用があったが、これらが廃止されたため、定期運用はない。

北近畿タンゴ鉄道KTR001形気動車(特急タンゴエクスプローラー)

国鉄485系電車(特急北近畿)

過去の使用車両

国鉄201系電車(普通列車)

国鉄205系電車(普通列車)

国鉄117系電車(快速・普通列車) - 2001年までは奈良線と共通運用だった。

国鉄103系電車(普通列車)- 1981年4月~2003年8月。
また、JR福知山線脱線事故の車両となった207系の車体塗装の塗り替えによる運用離脱が相次いだため、路線の運転再開後に一時的ではあるが応援運用にも入った。

北近畿タンゴ鉄道KTR8000形気動車(特急タンゴディスカバリー)- 1996年から1999年まで新大阪発着列車が「タンゴディスカバリー」を名乗っていた。
また、2005年6月19日~2007年3月17日の間、北近畿タンゴ鉄道KTR001形気動車の代替でタンゴエクスプローラーに使用されていた。

国鉄キハ58系気動車(特急エーデル北近畿・丹後・鳥取、急行だいせん、急行丹後、普通列車)

国鉄キハ40系気動車 (2代)(快速・普通列車)

国鉄キハ80系気動車(特急まつかぜ)

国鉄キハ181系気動車(特急まつかぜ)

国鉄12系客車(急行だいせん・普通列車)

国鉄14系客車(急行だいせん)

国鉄20系客車(急行だいせん)

国鉄オハ35系客車(普通列車)

国鉄スハ43系客車(普通列車)

国鉄60系客車(普通列車)

国鉄10系客車(普通列車)

国鉄50系客車(普通列車)

利用状況

福知山線は大阪と北近畿を福知山駅経由で「南北」に結ぶ鉄道である。

従来、福知山線は単線の地方ローカル線として運行されていた。

乗車人員が少ない駅が多かったが、1986年11月1日の宝塚以北電化、宝塚~新三田間複線化を機に、篠山口駅以南では沿線の開発が急ピッチで進められ、その上並行する阪急電鉄阪急宝塚本線・阪急伊丹線から大幅に乗客がシフトしたこともあって乗客数は急増。
JR発足時は、1日の運転本数が100本足らずだった福知山線は、1997年のJR東西線開業以降は1日360本を超える過密ダイヤ(近隣の同じ複線路線である阪和線や大和路線に比べれば本数はまだ少ないが、これがJR福知山線脱線事故の一因になったともいわれる)へと変化していった。
篠山口駅以南の複線化による増発で大阪駅へのアクセスが飛躍的に向上し、JR東西線の開業で大阪市内や大阪東部、奈良方面とのアクセスも充実した。
福知山線で最も利用者の多い駅は宝塚駅で、2004年度現在 での1日の乗車客数約3万人。
その他の乗車客数1万人以上の主要駅は、順に伊丹駅 (JR西日本)が約2万1千人、川西池田駅が約2万人、三田駅 (兵庫県)が約1万6千人、新三田駅が約1万4千人である。
アーバンネットワーク内でも新三田以北では利用者数が少なくなり、7駅合計で約1万人に留まる。

大阪~篠山口間と篠山口~福知山間では乗客数に大きな差があるため、一部の全線直通運転の快速列車は篠山口駅で増解結が行われ、大阪~篠山口間では8両、篠山口~福知山間では4両で運転される。
また特急列車は4両編成で運行されることもある。
上りは朝ラッシュ時に下りは夕方から夜にかけてのラッシュ時に篠山口~大阪間を走行する列車が篠山口駅で増解結を行う。
その他の全線直通列車は始発駅から終点に到着するまで一貫して4両編成か6両編成で運行される。

ワンマン列車や特急列車が中心で電車の本数は特急列車と普通列車が1時間に1本ずつ(ラッシュ時は普通列車が1時間に2~3本)しかなく、乗降客の少ない駅が多い。

また、尼崎~宝塚間も含めて国鉄時代に大阪電車特定区間に含まれなかったため大阪近辺のJR線にしては運賃が高くなっているのが特徴である。

国有化以前

福知山線の発祥は、川辺馬車鉄道が開業させた尼ヶ崎(のちの尼崎港)~伊丹間の馬車鉄道である。
のちに摂津鉄道と改称して馬車鉄道を蒸気動力の軽便鉄道に改築し尼ヶ崎~池田(現在の川西池田)間を開業させた。
当時の池田駅は呉服橋西詰付近にあった。

摂津鉄道は、大阪市から舞鶴市までの鉄道を計画していた阪鶴鉄道に合併され、改軌した上で宝塚駅まで開業。
以後順次延伸されて、1899年には福知山南口駅(堀内田町付近)まで開通した。

1904年、軍部からの要請で対ロシア戦略の軍用鉄道として舞鶴鎮守府までの開通を急がされた福知山~綾部~新舞鶴(現在の東舞鶴駅)間が官設で開通。
阪鶴鉄道も現在の福知山駅(天田)まで延伸し、福知山~新舞鶴間の貸与を受けて、大阪~舞鶴間を結ぶ鉄道が完成した。

国鉄時代

阪鶴鉄道は1907年に国有化され、官設区間とあわせて阪鶴線と呼ばれていたが、山陰本線の京都~出雲今市(現在の出雲市)間が1912年に開通したのを機に、神崎(現在の尼崎)~福知山間、塚口~尼ヶ崎間が福知山線となった。

大阪と山陰方面を結ぶ亜幹線とされたが、線路改良や電化などの近代化は大幅に遅れた。
さらに国鉄C54形蒸気機関車や国鉄DD54形ディーゼル機関車が配属され、特急「まつかぜ (列車)」が福知山線経由で1961年から設定されていたが、1972年に新設された特急「はまかぜ (列車)」に至っては時間短縮を理由に姫路経由となるなど亜幹線として機能しているとは言い難い状況であった。
加えて、普通列車は永らく国鉄DD51形ディーゼル機関車牽引による旧型客車が使用され続けるなど、車両面での近代化は大きく遅れていた(ただ車両については1980年代前半に生瀬~武田尾間を走行中の普通列車から身を乗り出していた小学生が誤って転落死したこともあり、大阪発着の客車列車に関しては、1985年3月のダイヤ改正で自動扉がついた国鉄12系客車客車に置き換えられて近代化している)。

設備面では、1970年代後半から近代化が進められた。
1979~1980年にかけて塚口~宝塚間が順次複線化され、翌1981年に尼崎~宝塚間の電化が完了。
また、1980年代前半まで腕木式信号機が現存したが列車集中制御装置化により姿を消した。
だが、近代化後も利用客はほとんど伸びず、宝塚まで電化と同時に国鉄103系電車6両編成による普通電車が大阪~宝塚間で運転を開始したものの、後に4両編成に減車されている。
当時の普通電車は毎時1本しかなく、さらに宝塚以北は気動車か客車での運転だったので、三田から大阪へ向かう客も宝塚で阪急宝塚本線に乗り換えされるなどしていた。
また当時は神戸電鉄経由(当時は北神急行電鉄北神線が開業していなかったので鈴蘭台・新開地経由)での所要時間とは大きく差がなかったが、本数は福知山線の方が相当少なかった。

福知山線にとって劇的な変化が起こるのは、1986年に宝塚~新三田間の複線化、福知山までの全線電化(電化は山陰本線城崎温泉駅まで)が完成してからである。
全線電化の少し前に、武庫川の渓谷沿いに走っていたため複線化が困難であった生瀬~道場間について、トンネルの連続する複線の新線を新規に建設して切り替えられた。
全線電化以降、電車特急「北近畿」の運転開始に加え、普通電車は国鉄113系電車2両編成を主体として日中毎時3本(1本が大阪~福知山、2本が大阪~新三田)に増発されたが、2両編成は短過ぎて多くの列車で満員となり遅延が続発、特に22時台以降から最終電車にかけては時に積み残しが出るなど苦情が相次いだ。

反面、福知山線最初の開業区間でもあった塚口~尼崎港間の通称尼崎港線が、旅客営業を1981年に廃止した後、1984年に完全に廃止された。
同線は1898年に東海道本線の尼崎駅への連絡線を設けて大阪方面との直通運転を始めてからは、塚口~尼崎港間の盲腸線となっていた。
晩年の旅客列車の本数は1日2往復であった。

国鉄民営化以後

その後は車両増結で対処したが、当時人口が急増していた西宮市北部地区や三田市の住民から快速列車の設定を希望する声が相次いだため、民営化後の1989年より快速が登場(快速の区間は現在と同じく、大阪~三田間のみ)。
この時点で日中は特急0~1本、快速2本、普通4本の現在とほぼ変わらぬ姿となる。

1997年には、篠山口駅までの複線化が完成し、JR東西線・片町線(学研都市線)との直通運転が開始された。

2005年、塚口~尼崎間を走行中の快速列車が脱線し、多くの死傷者を出すJR福知山線脱線事故が発生。
この事故は、JR西日本の経営体質や社員の管理にまで言及されることとなった。

年表

1891年(明治24年)9月 - 川辺馬車鉄道 尼ヶ崎~伊丹間が開業。
馬車鉄道。

1892年(明治25年)6月 - 川辺馬車鉄道が摂津鉄道に改称。

1893年(明治26年)12月12日 - 尼ヶ崎~池田間(8マイル35チェーン (単位)≒13.58km)を軌間762mmの軽便鉄道に改築。
尼ヶ崎駅(後の尼崎港駅)、(貨)長洲駅、伊丹駅、池田駅(現在の川西池田駅)開業。

馬車鉄道時代は東海道線と平面交差していたが、改築後は貨車を除いて横断を禁止され、南北に構内を分断された長洲駅を旅客は徒歩連絡、貨車は人力で横断させていた。

1894年(明治27年)3月6日 - 大物駅、塚口駅開業。

1897年(明治30年)2月16日 - 摂津鉄道が阪鶴鉄道に合併。

12月27日 - 池田~宝塚間(4M50C≒7.44km)が軌間1067mmで延伸開業。
中山駅(後の中山寺駅)、宝塚駅開業。
池田駅移転。

12月28日 - 尼ヶ崎~池田間の軌間を1067mmに改軌・改キロ、同区間で43C≒0.87km短縮。

1898年(明治31年)6月8日 - 宝塚~有馬口間(1M11C≒1.83km)、神崎~塚口間(1M38C≒2.37km)延伸開業。
有馬口駅(後の生瀬駅)開業。
東海道本線神崎駅(現在の尼崎駅)に乗り入れ。
長洲~塚口間(1M19C≒1.99km)廃止、尼ヶ崎~長洲間は孤立区間となる。

1899年(明治32年)1月25日 - 有馬口~三田間(9M68C≒15.85km)が延伸開業。
武田尾駅、道場駅、三田駅開業。

3月25日 - 三田~篠山間(15M29C≒24.72km)が延伸開業。
有馬口駅を生瀬駅に改称。
広野駅、相野駅、藍本駅、古市駅、篠山駅(現在の篠山口駅)開業。

4月10日 - 改キロ、全線で2C≒0.04km延長。

5月25日 - 篠山~柏原間(13M34C≒21.61km)が延伸開業。
大山駅(後の丹波大山駅)、下滝駅、谷川駅、柏原駅開業。

7月15日 - 柏原~福知山南口間(15M68C≒25.51km)が延伸開業。
石生駅、黒井駅、市島駅、竹田駅(後の丹波竹田駅)、福知山南口駅(後の福知駅)開業。

1900年(明治33年)度 - 尼ヶ崎~長洲間(1M58C≒2.78km)休止。

1902年(明治35年)11月12日 - マイル・チェーン表記からマイル表記に簡略化(神崎~福知山南口間 66M55C→66.7M)。

1903年(明治36年)4月30日 - 池田~中山間に花畑臨時駅が開業。

8月1日 - 花畑仮停車場廃止。

11月1日 - 福知山南口駅を福知駅に改称。

1904年(明治37年)11月3日 - 福知~福知山間(0.7M≒1.13km)が延伸開業し、官設鉄道福知山駅に乗り入れ。
同日開業した官設鉄道 福知山~綾部~新舞鶴(現在の東舞鶴駅)間を阪鶴鉄道が借り入れ。

1905年(明治38年)7月13日 - 貨物支線 塚口~長洲間(1.2M≒1.93km)が再開業、長洲~尼ヶ崎間(1.7M≒2.76km)が再開、東海道線と立体交差化。
尼ヶ崎駅再開。
大物駅、(貨)長洲駅廃止。

1907年(明治40年)8月1日 - 阪鶴鉄道が国有化。

11月1日 - 神崎~福知山間改キロ、0.4M≒0.64km短縮。

1909年(明治42年)10月1日 - 福知駅廃止。

10月12日 - 線路名称制定、神崎~福知山~新舞鶴(現在の東舞鶴)間、塚口~尼ヶ崎間などを阪鶴線とする。

1911年(明治44年)9月6日 - 塚口~尼ヶ崎間の旅客営業再開。
神崎乗降場開業。

11月1日 - 竹田駅を丹波竹田駅に改称。

1912年(明治45年)3月1日 - 神崎~福知山間、塚口~尼ヶ崎間が阪鶴線から分離され、福知山線となる。

4月16日 - 支線に金楽寺駅開業。

1913年(大正2年)9月1日 - 惣川駅開業。

1915年(大正4年)9月11日 - 中山駅を中山寺駅に改称。

1917年(大正6年)5月1日 - 大山駅を丹波大山駅に改称。

1918年(大正7年)5月15日 - 伊丹~池田間に猪名川仮信号所を開設。

9月13日 - 猪名川仮信号所廃止。

1926年(大正15年)3月15日 - 惣川駅の旅客営業廃止。

1930年(昭和5年)4月1日 - マイル表示からメートル表示に変更(神崎~福知山間 67.0M→108.3km、塚口~尼ヶ崎間 2.9M→4.6km)。

1934年(昭和9年)5月15日 - 神崎~塚口間が複線化。

1944年(昭和19年)3月1日 - 篠山駅を篠山口駅に改称。

4月1日 - 北伊丹駅開業。

1949年(昭和24年)1月1日 - 神崎駅を尼崎駅に、尼ヶ崎駅を尼崎港駅に、神崎乗降場を尼崎乗降場に改称。

1951年(昭和26年)8月1日 - 池田駅を川西池田駅に改称。

1955年(昭和30年)10月24日 - 南矢代駅開業。

1956年(昭和31年)11月19日 - 尼崎~塚口間が電化。

1958年(昭和33年)3月27日 - 草野駅開業。

1961年(昭和36年)10月1日 - 特急「北近畿 (列車)」運転開始。

1969年(昭和44年)4月30日 - 尼崎乗降場を書類上尼崎駅に併合し、尼崎臨時乗降場とする。

1979年(昭和54年)7月1日 - (貨)惣川駅廃止。

9月27日 - 塚口~北伊丹間が複線化。

1980年(昭和55年)9月3日 - 川西池田駅が北伊丹方に0.2km移転。

12月5日 - 北伊丹~中山寺間が複線化。

12月11日 - 中山寺~宝塚間が複線化。

1981年(昭和56年)4月1日 - 塚口~宝塚間が電化。
猪名寺駅開業。
塚口~尼崎港間の旅客営業廃止。
金楽寺駅、尼崎臨時乗降場廃止。

1982年(昭和57年)2月27日 - 篠山口~福知山間CTC化。

1984年(昭和59年)2月1日 - 貨物支線(尼崎港線)塚口~尼崎港間 (4.6km) が廃止(貨)尼崎港駅廃止。

3月10日 - 広野~篠山口間CTC化。

1986年(昭和61年)8月1日 - 宝塚~三田間が複線化。
生瀬~道場間を新線に切り替え、1.8km短縮。

10月15日 - 三田~新三田間が複線化。
尼崎~広野間CTC化。

11月1日 - 宝塚~福知山間が電化し、全線電化完了。
西宮名塩駅、新三田駅開業。
全線の貨物営業廃止。
エル特急「北近畿 (列車)」運転開始。
特急「まつかぜ」廃止。

1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により西日本旅客鉄道が承継。

1988年(昭和63年)3月13日 - 大阪~篠山口間の愛称としてJR宝塚線を使用開始。
大阪~篠山口間に「ほくせつライナー」運転開始。

JR宝塚線については当初は新三田までであったが、発表直後に多紀郡(現篠山市)が反発し、篠山口までとなった。

1993年(平成5年)3月18日 - JR西日本207系電車投入。

1996年(平成8年)12月1日 - 広野~古市間が複線化。

1997年(平成9年)3月8日 - 新三田~広野間、古市~篠山口間が複線化。
JR東西線を経て片町線と直通運転開始。

9月1日 - 普通列車がJR京都線と直通運転開始。
それに伴い国鉄201系電車・国鉄205系電車運用開始。

2000年(平成12年)3月11日 - 「丹波路快速」運転開始。

12月2日 - 篠山口~福知山間の一部列車でワンマン運転開始。

2002年(平成14年)10月5日 - 「ほくせつライナー」廃止

2003年(平成15年)8月 - 国鉄103系電車運行終了。

2003年(平成15年)12月1日 - 快速の停車駅に中山寺駅追加。

2004年(平成16年)10月16日 - 急行「だいせん (列車)」廃止。
夜行列車が消滅。

2005年(平成17年)4月25日 - 尼崎~塚口間でJR福知山線脱線事故。
死者107名、負傷者555名の大惨事に。
これにより尼崎~宝塚間が不通となる。
詳細はJR福知山線脱線事故を参照。

6月19日 - 尼崎~宝塚間運転再開。
尼崎~新三田間ATS-P使用開始。
北近畿タンゴ鉄道KTR001形気動車、国鉄117系電車運行終了。

11月26日 - 福知山駅付近高架化。

12月1日 - JR西日本321系電車運行開始。

2006年(平成18年)2月 - 205系電車運行終了。
全編成阪和線に転属。

2007年(平成19年)3月 - 201系電車運行終了。
KTR001形気動車がATS-P車上装置を設置の上で運行再開。

伊丹駅と空港のアクセス

現在、大阪国際空港(伊丹空港)には大阪高速鉄道が乗り入れているが、JRの路線は乗り入れていない。
そこで伊丹空港に近いJR伊丹駅から伊丹空港までの空港アクセス路線を建設する「JR福知山線分岐線構想」と言われる構想がある。
1990年代に入り一部筋から構想が持ち上がったが、猪名川を渡ったり滑走路を地下線で横断する必要があり大回りで建設費もかさむことから実現性の薄い構想といえる(建設主体や資金の手当てなどの現実的な案はない)。
しかも莫大な建設費の償還が必要な大阪モノレールを窮地に追い込むことからこの構想に異を唱える意見もある。
現在は阪急が蛍池駅に快速急行(急行)を停車させ大阪モノレールとの連携を強化し、都心への所要時間を短縮したことにより本構想は代替されたともいえる。

新駅設置計画

中山寺~宝塚間への新駅建設案が計画されている。
利用者の増加に役立つと見込まれている。

篠山口駅以北の複線化と現状

丹波市は、篠山口~福知山間の単線区間を複線化をJR西日本に要望している。
また丹波市は団体利用への運賃補助を行い、兵庫県も特急列車の料金補助を行う社会実験を実施している。
そして兵庫県は「乗って 近づく 複線化」、などと呼びかけている。
だが、2003年度の1日の乗車人員はこの区間の丹波大山駅から丹波竹田駅までの8駅を合わせても約3,600人であり、その多くが高校生であり、また篠山口駅以北では減少傾向にある。
また、尼崎駅~篠山口駅間の駅間距離が平均約2.9km(快速停車駅のみでも平均約4.1km)であるのに対し、篠山口駅~福知山駅間の駅間距離は平均約5.3kmであり、福知山線沿線に自宅を構えていても自宅から駅まで距離がある世帯が多い。
その上、快速列車(丹波路快速を含む)は三田駅以北の72.8km(福知山線全営業キロの約68%)が各駅停車で利便性・速達性に乏しく、特別急行列車を利用するにしても特急料金が発生して交通費が高額になってしまう。
このため、電車よりも車でアクセスする人が多い。
山間部ということもあり、複線化は困難な状態である。

なお、篠山口駅から柏原駅までの間は谷川駅を経由するため遠回りをしており、さらに途中の川代渓谷は急曲線続きで速度が上がらず、たびたび崖崩れが発生し防災上も問題があることから、過去に何度か谷川駅を通らない鐘ヶ坂176号線沿いに鐘ヶ坂を越えるルートへの移設が検討されてきたが、現在の利用状況では新線の建設は困難と考えられる。
旧西紀町経由では丹波大山駅または下滝駅から谷川駅までが廃線になると見られることから、谷川駅に「現行ルートでの複線化」を求める横断幕があるのはこういった背景がある。

廃止区間(尼崎港線)

※1981年の旅客営業廃止直前のもの。
尼崎港線の尼崎駅は東海道本線の駅とは約300m離れていた。
なお、塚口~尼崎間の実キロは約1.9kmだが、本線の同区間にあわせていた。

廃駅・廃止信号場

廃止区間(尼崎港線)にある駅を除く。

本線(括弧内は尼崎駅起点の営業キロ)

猪名川信号場 - 1918年廃止・伊丹~北伊丹間(約7.3km)

花畑臨時駅 - 1903年廃止・川西池田~中山寺間(約13.4km)

惣川駅 - 1979年廃止・宝塚~生瀬間 (18.5km)

福知駅 - 1909年廃止・丹波竹田~福知山間(約100.6km)

尼崎港線(括弧内は塚口駅起点の営業キロ)

長洲駅 - 1905年廃止・塚口~金楽寺間(約1.9km)

大物駅 - 1905年廃止・金楽寺~尼崎港間(約3.7km)

過去の接続路線

名称などは廃止時点のもの。

川西池田駅:能勢電鉄妙見線(能勢電鉄国鉄前線)(川西国鉄前駅)- 1981年12月20日廃止。

三田駅:国有鉄道有馬線 - 1943年7月1日休止。

篠山口駅:

国鉄篠山線 - 1972年3月1日廃止。

篠山鉄道(篠山駅) - 1944年3月21日廃止。

福知山駅:北丹鉄道 - 1971年3月2日休止、1974年2月28日廃止。

[English Translation]