草津線 (Kusatsu Line)

草津線(くさつせん)は、三重県伊賀市の柘植駅から滋賀県草津市の草津駅 (滋賀県)に至る西日本旅客鉄道(JR西日本)の鉄道路線(幹線)である。
全線が大都市近郊区間に含まれる。

路線データ

管轄(事業種別):西日本旅客鉄道(鉄道事業者)

路線距離(営業キロ):36.7km

軌間:1067mm

駅数:11駅(起終点駅含む)

複線区間:なし(全線単線)

閉塞 (鉄道):自動閉塞式(特殊)

電化区間:全線電化(直流1500V)

最高速度:95km/h

運転指令所:亀山指令所

※柘植駅を除き西日本旅客鉄道京都支社の管轄。
柘植駅のみ同西日本旅客鉄道大阪支社亀山鉄道部が管理。

概要

主に、杣川(そまがわ)、野洲川沿いの忍者の里甲賀市を走る。
沿線の町は、旧宿場街や農村を形成し、田畑を中心に広がっている。
比較的平地を走るが、三雲~貴生川間では山と川の狭間の林を縫って旧杣街道と併走する(実際、全線が杣街道の道筋に沿って走っている)。
甲賀~柘植間も森林地帯を貫いている。
一部区間を除き線路状態もよく、電化されているので表定速度は速い。
また、草津から名古屋までの距離は、米原経由より草津線から四日市を経由する方が短い。
しかし、後述の通り現在は直通列車はなく、時間的には乗り換えなどで所要時間は長くなる。

甲西・寺庄・油日以外の各駅で列車交換ができる。

貴生川~草津間の各駅ではJスルー・ICOCA、及び東日本旅客鉄道(JR東日本)のSuica、東海旅客鉄道(JR東海)のTOICA、またスルッとKANSAIのPiTaPaが使用できる。

明治期の早い時期に敷設されたが、沿線の鉄道構造物(駅のプラットホーム、立体交差部など)で、現在に至って使用されているものが多く、その構造や装飾などに(ここだけではないが)意匠に富んだものがしばしば見られる。

「南びわ湖駅」関係

米原~京都間に東海道新幹線の新駅南びわ湖駅(仮称)が計画・着工され2012年度に開業予定であった。
そのため、草津線にも草津~手原間に接続の駅が設けられる計画だった。
しかし2006年7月の滋賀県知事選で新駅建設凍結派の嘉田由紀子が当選したため、予定が大幅に変更になり2007年10月に新幹線新駅の建設中止が決定した。
この一連の問題については南びわ湖駅の項目参照。

もとより栗東市を除く沿線自治体は新幹線新駅の費用負担に消極的で、新幹線新駅よりむしろ草津線複線化を求める声も多かった。
しかも、新幹線新駅が県と栗東市、周辺自治体の共同出資に対し、草津線接続新駅に滋賀県は関与しない(草津線新駅は栗東市の都市整備事業の中で行うべきもの)というスタンスだったため、今後草津線に新駅ができるかどうかは微妙である。

運行形態

戦前から1965年まで続いた姫路~鳥羽間の快速列車(俗に参宮快速などと呼ばれ、戦前は食堂車も連結されていた)と、その格上げ列車の「志摩 (列車)」のほか、京都と名古屋を草津線経由で結ぶ「かすが (列車)」、京都から南紀へ向かう「南紀 (列車)」などの気動車急行があったが、日本国有鉄道末期にいずれも廃止になり、優等列車は姿を消した。

そのため現在は普通列車のみの運転。
運行本数は毎時1~2本程度(草津~貴生川間は1~3本)である。
客車時代には多くが京都やまた鳥羽へ直通していたが、気動車化、さらには電車化により線内折り返しが主となった。
その経緯と、かつ草津線乗客の大多数の流動が大津・京都を向いていることもあり、朝夕には京都(平日朝は大阪駅)まで直通する電車もある。
かつては網干駅発着の直通電車があったものの、2006年3月ダイヤ改正で網干発柘植行が野洲行に変更されたのをもって、草津線直通電車が大阪以西を走ることはなくなった。

かつて草津線から京都への直通列車が客車の時代は外側線を走行し瀬田は通過していた。
電車化後瀬田停車となったが、依然として外側を走る普通電車は残っている。

なお、時折お伊勢参りの団体や関西から伊勢志摩へ向かう修学旅行生の臨時列車が関西本線直通で走っている。
また、気動車列車の時代には信楽高原鐵道信楽線への直通もあり、JR化後もしばしば臨時の直通列車があったが、1991年の信楽高原鐵道列車衝突事故後、直通列車は運転されていない。

路線の環境

徐々に列車本数は増加しており、JR化後に草津~貴生川間は昼間毎時2本の運転まで拡大された。
沿線は自動車依存の強い地域ではあるが、この地域の動脈である国道1号線の道路事情がよくないこともあり、利用者数が減少するまでには至っていない。
また、地域の自治体が草津線の各駅を始終端とするコミュニティバスを多数運行し、地域の足として草津線が位置づけられているため、自治体・利用者からは比較的暖かく迎え入れられている。

とはいえ単線であり、また甲西駅等に行き違い設備がないことから、ラッシュ時も含め1時間に3本以上の列車本数の増加は難しく、利便性向上は望めないため自治体・住民からはJR西日本に対して複線化・増発要望が出ている。
しかし、JRはこれ以上の利用増は見込めないとして消極的である。
今後もしばらくこの沿線の特に草津方では人口増が見込まれ、また県と地元市の公費補助による新駅設置や複線化の可能性もあり、さらなる展開もありうる。

使用車両

国鉄113系電車 - 湖西線開業・草津線電化時に投入された700・2700代車を中心に使用され、草津線電車の主力。
原型の湘南色の他、車体更新をした新色車も多い。
4両編成に組まれて運転される他、朝夕には2編成連結の8両編成も見られる。

国鉄117系電車 - 新快速の運用離脱後に草津線で運用開始。
原型車と福知山線用に一部ロングシート改造したものが走っている。
6両編成で運転。

JR西日本223系電車 - 2006年3月改正では夜の上りと、翌朝の大阪直通の1往復に8両貫通編成が使われている。

歴史

旧東海道沿いに大津市と名古屋市を結ぶ鉄道を計画した関西鉄道の最初の路線として1889年に開業した。

1969年には東海道本線の複々線化に合わせて、手原~草津間の一部区間が高架化され、東海道本線を乗り越す立体交差で合流するようになった。
あわせて、草津駅を出て同駅構内の転車台直前でカーブしていた旧線は廃止され、営業距離が0.3km伸びている。
1980年には全線が電化された。

1889年(明治22年)12月15日 - 関西鉄道により草津~三雲間(9マイル72チェーン (単位)≒15.93km)が開業。
石部駅、三雲駅開業。

1890年(明治23年)2月19日 - 三雲~柘植間(12M63C≒20.58km)が延伸開業し全線開通。
貴生川駅、深川駅、柘植駅開業。

1898年(明治31年)4月19日 - 本線を草津~名古屋駅間から名古屋~加茂駅 (京都府)間に変更し、柘植~草津間は支線となる。

1900年(明治33年)12月29日 - 近江鉄道本線乗り換え駅として貴生川駅開業。

1901年(明治34年)1月25日 - 全線で6C(≒0.12km)短縮。

1902年(明治35年)11月12日 - 営業距離の単位をマイル・チェーンからマイルのみに簡略化(22M49C→22.6M)。

1904年(明治37年)3月1日 - 大原駅(現在の甲賀駅)開業。

1907年(明治40年)10月1日 - 関西鉄道が国有化。

1909年(明治42年)10月12日 - 線路名称制定、柘植~草津間を草津線とする。

1918年(大正7年)5月1日 - 大原駅を大原市場駅に改称。

1922年(大正11年)11月5日 - 手原駅開業。

1930年(昭和5年)4月1日 - 営業距離の単位をマイルからメートルに変更(22.6M→36.4km)。

1956年(昭和31年)4月10日 - 大原市場駅を甲賀駅に、深川駅を甲南駅に改称。

10月2日 - 一部列車を気動車列車に置き換え。

1959年(昭和34年)12月15日 - 油日駅開業。

12月25日 - 寺庄駅開業。

1969年(昭和44年) 11月23日 - 東海道線乗り越え交差完成。

11月29日 - 石部~手原間、気動車列車に落下岩石が衝撃。
運転士1名死亡、乗客17名乗員2名負傷。

12月1日 - 手原~草津間営業距離変更 (+0.3km)。

1972年(昭和47年)10月2日 - 蒸気機関車引退に伴い無煙化。

1979年(昭和54年) 7月4日 - 自動信号化。

12月20日 - 列車集中制御装置化。

1980年(昭和55年)3月3日 - 全線電化。

1981年(昭和56年)10月1日 - 甲西駅開業。

1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により西日本旅客鉄道が承継。
日本貨物鉄道が貴生川~草津間の鉄道事業者となる。
柘植~貴生川間の貨物営業廃止。

1999年(平成11年)3月31日 - 日本貨物鉄道の第二種鉄道事業(貴生川~草津間)廃止。

[English Translation]