同志社大学 (Doshisha University)

概観

建学の精神

同志社の建学精神はキリスト教精神に基づく「良心」である。
新島襄は建学の目的として、「良心を手腕に運用する人物」の育成を掲げた。
知識教育に偏ることのないよう、キリスト教に基づく「徳育」を並行して進めることで、「良心の全身に充満」した人々を輩出したいと願ったのである。
その思いを彼の筆跡のまま刻んだ碑が、今出川・京田辺両校地の正面入口に存在する。
この良心碑には、「良心之全身ニ充満シタル丈夫ノ起リ来ラン事ヲ」という言葉が刻まれている。

また、この「良心」教育を具体的に実現するための教育理念として、「キリスト教主義」「自由主義」「国際主義」が掲げられ、これらを通じて「一国の良心」たる人物を輩出することを目指している。

教育および研究

11学部12研究科を設置している。
また、日本国内には数少ない神学部を持つ。

学風および特色

キリスト教プロテスタント系の大学で、会衆派教会(組合教会)の流れをくむ。
しかし、いわゆるミッション系大学とは性質が異なり、キリスト教伝道を主たる目的としない(教育そのものを伝道の手段としない)キリスト教主義大学である。

略歴

1875年、明治六大教育家の一人である新島襄により設立された同志社英学校を前身とする大学である。

同志社英学校時代

1875年 新島襄が京都寺町に官許同志社英学校を開校する。
教員2人、生徒8人。

1876年 今出川校地(旧薩摩藩邸跡)に移転。
同志社英学校に余科を併置。
この時、熊本バンド約35人が入学。

1887年 医学校(医学部)構想の一環として、同志社病院・京都看病婦学校を創設。
同志社予備校設置。

1888年 同志社英学校と同志社予備校を併せて同志社学院(予備学部、普通学部、神学部)設置。
「同志社大学設立の旨意」を全国の主要な雑誌・新聞に発表。

1889年 同志社学院を同志社予備学校、同志社普通学校、同志社神学校と改称。

1890年 新島襄永眠。
同志社ハリス理化学校(現工学部)を9月に開校。

1891年 同志社政法学校開校。
政治学科(現法学部)と理財科(現経済学部)を置く。

1892年 同志社ハリス理化学校を同志社ハリス理科学校と改称。

1893年 同志社徽章を制定。

1896年 同志社普通学校を同志社高等普通学校と改称。

1897年 同志社高等普通学校、同志社政法学校、同志社波理須理科学校を同志社高等学部文科学校、同志社高等学部政法学校、同志社高等学部波理須理科学校に改制。

1904年 専門学校令による同志社神学校と同志社高等学部文科学校及び同志社高等学部波理須理科学校を合併し、専門学校令による同志社専門学校を設置。
同志社高等学部政法学校廃止。

1908年 同志社カレッジソング制定。

1911年 専門学校として再編成し、神学部、英語師範部、高等商業部(現商学部)、政治経済部の4部を置く。

同志社大学時代

1912年 同志社専門学校、同志社神学校廃止。
専門学校令により同志社大学(神学部、政治経済学部、英文科)を開校。

1919年 英文科を文学部、政治経済部を法学部と改称。

1920年 関西地区で初めて大学令に基づいて大学に昇格。
同志社大学文学部(神学科、英文学科)、法学部(政治学科、経済学科)、大学院、予科を開校。

1922年 専門学校令による大学を同志社専門学校と改称再編し、神学部、英語師範部、高等商業部、政治経済部を設置。

1923年 法学部法律学科を増設。

1926年 文学部神学科に神学専攻、倫理学専攻を設置。

1927年 文学部哲学科を増設。

1930年 同志社専門学校高等商業部を廃止し、同志社高等商業学校を設置
1937年 ヘレン・ケラー女史が講演。
専門学校神学部廃止

1940年 文学部哲学科倫理学及教育学専攻を倫理学、教育学専攻に分割。

1941年 文学部(神学科、英文学科、哲学科)を神学科(神学専攻)、文化学科(哲学倫理学、心理学、英語英文学、文芸学、厚生学専攻)に改制。

1944年 同志社大学研究所(現・人文科学研究所)設置。
法文学部(神・厚生・法経の3学科)1学部に縮小。
同志社工業専門学校を設置し、電気通信科、機械科、化学工業科を設置。

1946年 元の2学部に復旧。
厚生学科は文学部社会学科へ改組。

1947年 文学部神学科から神学部へ改組。

1948年 新制大学開校、4学部(神学部、文学部、法学部、経済学部)を開設。

1949年 商学部、工学部を開設、6学部体制となる。
日本の大学では初となる点字での入試を開始。
学友会発足。

1950年 大学院修士課程、神・文・法・経済・商各研究科を開設。
短期大学部(夜間2年制)英語・商・経・工各学科を開設。

1951年 大学教養学部(一般教育課程)を廃止。

1952年 同志社各専門学校を廃止。

1953年 大学院博士課程設置。

1955年 工学研究科修士課程開設。

1957年 同志社大学研究所を同志社大学人文科学研究所へ改称。

1958年 アメリカ研究所開設。

1959年 理工学研究所開設。

1974年 新町別館開館。

1976年 EU資料センター設置。

1986年 田辺校地(現・京田辺校地)開校。
文学研究科社会福祉学専攻博士課程(後期課程)、国文学専攻博士課程(後期課程)開設。

1988年 文学研究科美学および芸術学専攻修士課程開設。

1991年 初の大学院独立研究科として、アメリカ研究科を開設。
学術情報センター発足。

1993年 言語文化教育研究センター開設。
宗教センターをキリスト教文化センターへ改称。
文学研究科教育学専攻修士課程、文学研究科社会学専攻修士課程、アメリカ研究科アメリカ研究専攻博士課程(後期課程)開設。

1994年 工学部知識工学科、機能分子工学科、物質化学工学科を開設。
また機械工学科を機械システム工学科に、機械工学第二学科をエネルギー機械工学科に改組。
工学部および工学研究科、理工学研究所を田辺校地に統合移転。
同志社大学政法会設立。

1995年 大学院独立研究科として、総合政策科学研究科を開設。

1996年 商学研究科専門職コース内に「ベンチャービジネス・プログラム」を開設。
経済学研究科応用経済学専攻に「高度専門職コース」を開設。
文学研究科美学および芸術学専攻に博士課程(後期課程)を開設。

1997年 文学研究科社会学専攻と総合政策科学研究科総合政策科学専攻に博士課程(後期課程)を開設。
昼夜開講制を実施。

1998年 文学研究科新聞学専攻に博士課程(後期課程)を開設。
工学研究科に知識工学専攻修士課程、および数理環境科学専攻修士課程を開設。
2学期制を実施。
エコール・サントラル(仏国立理工科学学院)のダブルディグリーシステム開始。

1999年 留学生別科を設置。

2000年 工学研究科知識工学専攻に博士課程(後期課程)を開設。
同志社女子大学と学生証による図書館相互利用(貸出)開始。

2001年 文学研究科教育学専攻に博士課程(後期課程)を開設。

2003年 文学研究科産業関係学専攻修士課程を開設。
同志社ローム記念館プロジェクト開始。
学友会解散。

2004年 政策学部、専門職大学院(司法研究科、ビジネス研究科)開設。
工学部2学科増設。
学生部から学生支援センターへ名称変更。
GPA導入。

2005年 文学部社会学科から社会学部に改組。
文化情報学部開設。
アンチエイジングリサーチセンター開設。
京田辺市と包括協定締結。
京都・宗教系大学院連合に加盟。

2006年 工学部知識工学科をインテリジェント情報工学科に改組。
外国語オナーズ(外国語科目成績優秀者表彰制度)導入。
プロジェクト科目導入。
オープンコースウェア開設。
ミラノ大学と学術交流協定及び学生交換協定を締結。
神戸親和女子大学通信教育部発達教育学部児童教育学科(初等教育学コース)(男女共学)との連携プログラム「小学校教諭(一種)取得プログラム」開始。
スタンフォード日本センター設置。
D-egg(インキュベーション施設)が完成。

2007年 アンチエイジングドック開設。
助教授から准教授へ名称変更。

2008年 工学部から理工学部に改組、それに伴い、2学科を改組、1学科増設。
生命医科学部(3学科)、スポーツ健康科学部(1学科)、大学院生命医科学研究科開設。

2009年 文学部心理学科が心理学部に改組され、それに伴い全学年を京田辺校地へ移動。
心理学研究科も京田辺校地に設置。
神学部、社会学部の全学年を今出川校地へ統合。

所在地

同志社大学では「~校地」をキャンパスの正式名称としている。
ただし、「~キャンパス」といった名称も併用している。
(学研都市キャンパスのみ正式に~キャンパスと使われる。)

今出川校地(〒602-8580 京都府京都市上京区今出川通り烏丸東入)
新町校地(京都府京都市上京区)
室町校地(京都府京都市上京区)
京田辺校地(〒610-0394 京都府京田辺市多々羅都谷1-3)
学研都市キャンパス(〒619-0225 京都府木津川市木津川台4丁目1-1)
大阪サテライト(〒530-0001 大阪府大阪市北区 (大阪市)梅田2丁目1-22 野村不動産西梅田ビル9階)
東京オフィス(〒100-0004 東京都千代田区大手町2丁目6番2号 日本ビルヂング5階566区)

象徴
徽章
正三角形を3つ寄せたもので、国あるいは土を意味するアッシリア文字「ムツウ」を図案化したもの。
知・徳・体の三位一体あるいは調和をめざす同志社の教育理念をあらわすものと解釈されている。
考案者は湯浅半月。

スクールカラー
紫(古代紫と江戸紫の中間色)と白の2色。
創立者新島襄の母校、アマースト大学のスクールカラーと同色。

校歌

Doshisha College Song(ウィリアム・メレル・ヴォーリズ作詞・カール・ウィルヘルム作曲)
ドイツ民謡「ラインの守り」をもとにし、ウィリアム・メレル・ヴォーリズが詞をつけた。
また当時の多くの宣教師の出身校であるイェール大学の校歌にも同じメロディが使われている。
たまにカラオケにも入っている。

同志社大学歌(北原白秋作詞・山田耕筰作曲)
同志社大学で毎年新入生に配布される、カレッジソング集(CD)に収録されている。
2004年度までは同大学グリークラブによる伴奏なしの男声合唱のものが収録されていたが、2005年度からアカペラで混声5人とボイスパーカッションによるアレンジで収録されている他、同志社交響楽団によるオーケストラver.も収録されている。
編曲、歌は同大学のアカペラサークル 「One Voices」。

応援歌

Doshisha Cheer

スポーツの応援時以外にもあらゆるイベントで歌われる。

Doshisha Heroes
学生数
同志社大学には約26,000人の学生が学ぶ。

学部

神学部

1999年に神学部神学科と明示される。

現在は、特定教派の牧師養成のみを目的とせず、一神教を中心に幅広く宗教を学べる学部となっている。
キリスト教神学のみならず、ユダヤ教、イスラーム関連科目が設置されていることも特徴。
卒業後の進路は他学部と変わらず一般企業への就職が多い。
1、2年次は京田辺校地で学び、3、4年次は今出川校地で学ぶ。
2009年度より全学年を今出川校地へ統合。

神学科
文学部
もともと文学部には英文学科、文化学科、社会学科が存在したが、2005年度より社会学科が社会学部へ改組されたのに伴い、文化学科の各専攻が学科へ改組。
1、2年次は京田辺校地で学び、3、4年次は今出川校地で学ぶ。

英文学科
哲学科
心理学科
2009年度より、心理学科を心理学部へ改組し、全学年を京田辺へ移動。

美学芸術学科
文化史学科
国文学科
第2部文化学科国文学専攻は2003年3月廃止。

社会学部
現在の社会学部の前身は1941年4月に設置された文学部文化学科厚生学専攻。
1944年10月に法文学部厚生学科に改組され、1946年4月に文学部社会学科が誕生する。
その後、2005年度に社会学部へ改組された。
1、2年次は京田辺校地で学び、3、4年次は今出川校地で学ぶ。
2009年度より全学年を今出川校地へ統合。

社会学科
社会福祉学科
メディア学科
2004年4月文学部社会学科新聞学専攻より名称変更。

産業関係学科
教育文化学科
法学部
現在の法学部の前身は1891年に開校された同志社政法学校の政治科である。
1904年に専門学校令によって各専門学校が統合され同志社政法学校は廃校し、同志社専門学校が開校する。
1912年に専門学校令によって同志社大学が開校され政治経済学部ができる。
1920年には大学令によって同志社大学が開校され、法学部政治学科として誕生する。
1922年には専門学校令による大学を同志社専門学校とし、政治経済部が置かれる。
1944年に同志社専門学校高等英語部と法律経済部を統合され同志社外事専門学校が設置される。
また、同年に大学令による同志社大学は再編成され、法文学部政経学科になる。
2年後の1946年には元の学部編成に戻り、法学部政治学科、法律学科に戻る。
1948年に新制大学として法学部が置かれる。
そしてそして1949年に同志社外事専門学校は同志社大学に吸収、1952年に専門学校は廃止され、同志社で政治、法律を学ぶところが一本化される。

1、2年次は京田辺校地で学び、3、4年次は今出川校地で学ぶ。
ゼミは必修ではない。
第2部は2004年3月廃止。
コース制は2005年4月廃止。
学生の間では「あ法学部(あほ)」と呼ばれた時期もあったが、これは以前の内部進学者の中でも学力の低いものが行く学部だったためである。

法律学科
政治学科
経済学部
現在の経済学部の前身は1891年に開校された同志社政法学校の理財科である。
1904年に同志社政法学校は廃止される。
1912年に専門学校令によって同志社大学が開校され政治経済学部ができる。
1919年に政治経済学部が法学部に改称される。
1920年には新制大学令による同志社大学が開校され、法学部経済学科として誕生する。
1922年には専門学校令による大学を同志社専門学校とし、政治経済部が置かれる。
1944年に同志社専門学校高等英語部と法律経済部を統合され同志社外事専門学校が設置される。
また、同年に大学令による同志社大学は再編成され、法文学部政経学科になる。
2年後の1946年には元の学部編成に戻り、法学部経済学科に戻る。
1948年に新制大学として経済学部が置かれる。
そして1949年に同志社外事専門学校は同志社大学に吸収、1952年に専門学校は廃止され、同志社で経済を学ぶところが一本化される。
1999年に経済学部経済学科と明示される。

専門科目のほとんどが週に2回の4単位の授業でカリキュラムが構成されている。
そのため、一つ一つの授業が重くのしかかる。
このカリキュラムを比喩して受験生や在学生の間では「やめと経済学部(やめとけ)」といわれている。
1年次春学期に基礎ゼミナールという必修の少人数制ゼミ形式のカリキュラムが組まれている。
本格的なゼミは2年次秋学期より履修可能で、必修ではない。
そのため、卒業論文も必修ではない。
ゼミの数はおよそ50で、各ゼミの人数にかなりばらつきがある。
1、2年次は京田辺校地で学び、3、4年次は今出川校地で学ぶ。
第2部は2004年3月廃止。
コース制は2005年4月廃止。

経済学科
商学部
現在の商学部の前身は1922年に同志社専門学校の再編時に開設された高等商学部である。
その後1930年12月に同志社専門学校を同志社高等商業学校に改称する。
1944年に同志社経済専門学校に改称される。
1949年に同志社大学に商学部が開設され、1949年に同志社経済専門学校は同志社大学商学部に吸収され、同志社経済専門学校は1952年に廃止される。
1999年に商学部商学科と明示される。

1学年の人数は約1000人弱で大規模なクラスが多い。
専門科目でも出席を取ってくれる授業や、国際コミュニケーション英語能力テストスコアでの単位認定など、他学部と比べ比較的に楽に単位が取得できてしまうことから「楽商学部(楽勝)」といわれることもある。
ゼミは3年次春学期より履修可能で、必修ではない。
そのため、卒業論文も必修ではない。
商学部のカリキュラムが平成19年度の特色ある大学教育支援プログラム、学生と教員の幸せな出会いをめざす導入教育~大規模学部における組織的教育改善とその効果の測定~として採用された。
1、2年次は京田辺校地で学び、3、4年次は今出川校地で学ぶ。
第2部は2003年3月廃止。

商学科
政策学部
2004年に同志社大学としては55年ぶりに新設された学部。
法学・経済学・社会学などの特定の分野に偏らず、社会科学の幅広い領域を学ぶ。
実際は何を専門に勉強したのかよくわからなくなってしまう学生が多く、主体性が求められる。
全学年を今出川校地(主に新町校地)で学ぶ。

政策学科
文化情報学部
2005年に開設された学部。
日本では珍しい学部。
情報を収集・分析し、文化を解明する方法を学ぶ。
客員教授に鳩山由紀夫を招き、授業も担当している。
全学年を京田辺校地で学ぶ。

文化情報学科
理工学部
現在の理工学部の前身は1890年に設置された同志社ハリス理化学校である。
同志社ハリス理化学校はその後1892年に同志社ハリス理科学校に改称、1897年には同志社高等学部波理須理科学校に改称される。
1904年に同志社高等学部文科学校と合併し、専門学校令による同志社専門学校が設置されるが、1912年に廃止される。
1944年に同志社工業専門学校が設置され、電気通信科、機械科、化学工業科が置かれる。
1949年には同志社大学に工学部(電気学科、機械学科、工業化学科)が設置され、同志社工業専門学校は吸収され、1952年に同志社工業専門学校は廃止される。
1954年に夜間の第二部ができ、電気工学科、機械工学科、工業化学科が設置される。
1962年に電気学科を電気工学科、機械学科を機械工学科に改称。
1963年3月に第二部は廃止され、1963年4月から電子工学科、機械工学第二学科、化学工学科が増設される。
1994年には工学部を全学京田辺校地に移転し、知識工学科が増設された。
機械工学科を機械システム工学科、機械工学第二学科をエネルギー機械工学科、工業化学科を機能分子工学科、化学工学科を物質化学工学科に改組。

この大学の学部の中で生命医科学部と並んで一番授業料が高い学部。
そのため「親不孝学部」といわれることもある。
全学年を京田辺校地で学ぶ。
2008年度より工学部から改組。

インテリジェント情報工学科
1994年に知識工学科が開設される。
2006年に知識工学科からインテリジェント情報工学科に改称される。

情報システムデザイン学科
2004年度より開設。

電気工学科
電子工学科
機械システム工学科
エネルギー機械工学科
機能分子・生命化学科
1994年に機能分子工学科が開設される。
2008年度より機能分子工学科から改組。

化学システム創成工学科
1994年に物質化学工学科が開設される。
2008年度より物質化学工学科から改組。

環境システム学科
2004年度より開設。

数理システム学科
2008年度より開設
生命医科学部
全学年を京田辺校地で学ぶ。
2008年度より開設。

医工学科
医情報学科
医生命システム学科
スポーツ健康科学部
全学年を京田辺校地で学ぶ。
2008年度より開設。

スポーツ健康科学科

大学院

神学研究科(前期・後期)
1950年に修士課程が開設され、1953年に博士課程が開設される。
日本で最も長い歴史を持つ神学教育機関。

神学専攻
聖書神学研究コース
歴史神学研究コース
組織神学研究コース
実践神学研究コース
一神教学際研究コース
文学研究科(前期・後期)
1950年に修士課程が開設され、1953年に博士課程が開設される。
2005年度に文学研究科と社会学研究科に分割される。

哲学専攻
英文学・英語学専攻
2005年度に英文学専攻から改称。

文化史学専攻
心理学専攻
国文学専攻
美学芸術学専攻
社会学研究科(前期・後期)
2005年度に文学研究科より分割される。

社会福祉学専攻
メディア学専攻
2005年度に新聞学専攻から改称。

教育学専攻
社会学専攻
産業関係学専攻
法学研究科(前期・後期)
1950年に修士課程が開設され、1953年に博士課程が開設される。

政治学専攻
私法学専攻
公法学専攻
経済学研究科
1950年に修士課程が開設され、1953年に博士課程が開設される。

理論経済学専攻(前期)
応用経済学専攻(前期)
経済政策専攻(後期)
商学研究科(前期・後期)
1950年に修士課程が開設され、1953年に博士課程が開設される。

商学専攻
工学研究科(前期・後期)
1955年に修士課程が開設された。

情報工学専攻
2008年度より知識工学専攻から改組。

電気電子工学専攻
2008年度より電気工学専攻から改組。

機械工学専攻
工業化学専攻
数理環境科学専攻
文化情報学研究科(前期・後期)
2007年度に博士課程(前期)、博士課程(後期)が開設される。

文化情報学専攻
アメリカ研究科(前期・後期)
1991年度に日本で最初のアメリカ研究の独立研究科として修士課程を開設。
1993年度に修士課程を博士課程(前期)と改称し、博士課程(後期)を増設。

アメリカ研究専攻
総合政策科学研究科(前期・後期)
総合政策科学専攻
公共政策コース
企業政策コース
国際政策コース
技術・革新的経営(TIM)研究コース
2008年度より前期課程新設。

ソーシャル・イノベーション研究コース
ヒューマン・セキュリティ研究コース
生命医科学研究科(前期・後期)
2008年度より開設。

生命医科学専攻
医工学コース
医生命システムコース
司法研究科(専門職学位課程、法科大学院)
2004年度に開設される。
室町校地の寒梅館で学ぶ。
寒梅館には模擬法廷や、24時間使用できる自習室が設置されている。
平成19年度の新司法試験の合格者数は全国で9位だが、受験者数161人に対して合格者数57人で合格率は35.0%である。
全国の平均合格率は40.2%で、大きく下回る。
また、私学だけで見ても合格率は35.0%なので合格率はあまり高くはない。

経営学修士(専門職学位課程)
2004年度に開設される。

別科

留学生別科(日本語教育センター)

附属機関

研究所
ワールドワイドビジネス研究センター
技術企業国際競争力研究センター
一神教学際研究センター
ヒューマンセキュリティ研究センター
社会的共通資本研究センター
メディア・コミュニケーション研究センター
日本会社法制研究センター
代アジア研究センター
EU研究センター
竹の高度利用研究センター
バイオミメティックス研究センター
エネルギー変換研究センター
知能情報研究センター
こころの生涯発達研究センター
感情・ストレス・健康研究センター
医工学研究センター
バイオマーカー研究センター
再生医療研究センター
アンチエイジングリサーチセンター
言語文化教育研究センター
人文科学研究所
アメリカ研究所
理工学研究所
生命医科学研究センター
複合材料研究センター
日韓地方自治研究センター
バイオ・ナビゲーション研究センター
界面現象研究センター
日韓地方自治研究センター

付属機関
教育開発センター
知的財産センター
リエゾンオフィス
研究開発推進機構
キリスト教文化センター
同志社ローム記念館
スタンフォード日本センター
EU資料センター
総合情報センター(図書館・情報環境)
1991年に図書館、計算機センター、視聴覚教室が統合され発足。

D-egg(インキュベーション施設)
テュービンゲン大学日本語センター
AKP同志社留学生センター

図書館

概要
同志社の図書館の歴史は1876年に図書縦覧室を設け、創立者である新島襄が自らの書籍を公開、貸し出ししたことが始まりである。
1887年に初代図書館(現有終館)が完成。
当時この図書館は日本で最大であった。
1915年に2代目図書館(現啓明館西館)が完成。
1920年に現在の啓明館本館が完成した。
1973年に現在の今出川図書館が完成。
1986年に京田辺校地開校に伴いラーネッド記念図書館が完成。
現在の蔵書数は702,309冊(2001年度末)

図書館一覧
今出川図書館(今出川校地)
ラーネッド記念図書館(京田辺校地)
年表
1876年 図書縦覧室を設け、創立者である新島襄が自らの書籍を公開、貸し出しを開始。

1882年 同志社政法学校開校に伴い図書を分置。

1887年 初代図書館(現有終館)が完成。

1912年 図書館の教室への転用のためさらに分置が進む。

1915年 2代目図書館(現啓明館西館)が完成。

1917年 同志社図書館規則を制定。
館長をおくことが明文化される。

1918年 同志社職制が制定され、館長と司書をおくことが定められる。
さらに、同志社本部・同志社大学・同志社女学校と並ぶ機関の一つと位置づけられる。

1920年 2代目図書館本館(現啓明館本館)が完成。
また、同志社全体の図書館から大学令bによる同志社大学開校に伴い、女子大学などの図書と分散する。

1921年 初代図書館を有終館に改称。

1946年 同志社大学図書館学講習所を開設。

1949年 同志社図書管理規定が制定され同志社全体として図書管理の一元化を図る。

1954年 図書の各学校個別管理を図る。

1967年 新町読書室を開設。

1973年 現在の今出川図書館が完成。

1976年 EU情報センターを開設。

1986年 京田辺校地開校に伴いラーネッド記念図書館が完成。

1991年 図書館、計算機センター、視聴覚室を統合した学術情報センターが発足。

1996年 図書館利用カード(バーコード)を廃止し、学生証・社員証(磁気カード)と兼用化。

2001年 総合情報センターに名称変更。

蔵書数の変化

資料館
同志社社史資料センター
歴史資料館

21世紀COEプログラム

21世紀COEプログラムとして、2件のプロジェクトが採択された。

2003年
社会科学
技術・企業・国際競争力の総合研究
学際・複合・新領域
一神教の学際的研究

私立大学学術研究高度化推進事業

ハイテク・リサーチ・センター整備事業
平成18年度
界面現象研究センター
界面微細構造制御により発現する物性の評価研究
平成19年度
複合材料研究センター
先進複合材料の開発とその応用
ハイテク・リサーチ・センター
平成13年度より採択
工学研究科
ナノハイブリッド構造応用技術の研究
学術フロンティア推進事業
平成16年度

ワールドワイドビジネス研究センター

政府・国家と企業に関する研究、ワールドワイドビジネスの企業行動に関する法的な研究、ワールドワイドビジネスの企業行動に関する経済学的な研究、ワールドワイドビジネスの戦略的マネジメントにおける新傾向の研究
平成17年度
知能情報研究センター
人間と生物の賢さの解明と,その応用
医工学研究センター
医工学研究の新展開-生体適合材料と福祉・介護システムの開発
学術フロンティア推進拠点
平成9年度より採択
工学研究科
先端材料と複雑系科学など
平成10年度より採択
トータル・ヒューマンケア・サポート研究機構
少子高齢化社会における"こころ"と"からだ"の生涯健康教育に関する多角的研究
平成11年度より採択
ワールドワイドビジネス研究センター
ワールドワイドビジネスの総合的研究
平成12年度より採択
工学研究科
知能情報科学とその応用
平成15年度より採択
エネルギー変換研究センター
次世代ゼロエミッション・エネルギー変換システム
平成15年度より採択
トータル・ヒューマンケア・サポート研究機構
トータル・ヒューマンケア・サポート研究プロジェクト

教育

産官学連携

同志社大学は様々な方法で産官学連携を行っている。

同志社ローム記念館プロジェクト
同志社ローム記念館プロジェクトは産官学地域連携を通し、文化の創造・発信と次世代社会を担う人材を育成することを目的とした課外プロジェクト。
京田辺校地にある同志社ローム記念館にプロジェクトルームを与えられ活動する。
プロジェクトは学生主体で運営され、同志社大学や協賛企業から金銭面、物品面の支援もある。
コアプロジェクトと呼ばれるプロジェクトが置かれ、同志社ローム記念館プロジェクト全体の運営を取り仕切る。
平成16年度の現代的教育ニーズ取組支援プログラムに「プロジェクト主義教育による人材育成 『プロデュース・テクノロジー』の創成」として採択された。

プロジェクト科目
2006年度より、従来の教室での座学中心の授業形態とは異なった実践型・参加型の科目で、全学共通の教養教育科目として「プロジェクト科目」が設置された。
地域社会や企業と連携し、学生に生きた智恵や技術を学ばせるとと現場に学ぶ視点を育み、問題の「所在」と「解決」を考え抜く力を陶冶することを目的としている。
平成18年度の現代的教育ニーズ取組支援プログラムに「公募制のプロジェクト科目による地域活性化―往還型地域連携活動のモデルづくりを目指して-」として採択された。

飛び級制度
3年次終了時に成績が特に優秀と認められた場合には4年次を受けることなく大学院に進学することができる飛び級制度を設けている。
大学は中退扱いになるので学位は取得できない。

ダブルディグリーシステム
工学研究科とエコール・サントラル国立理工科学学院の両大学の修士を取得することができるダブルディグリーシステムを導入している。

学内ダブルディグリーシステム
同志社大学の工学研究科とビジネス大学院で工学修士とビジネス修士を3年間で取得することができる。

外国語オナーズ
外国語オナーズは2006年度より作られた外国語科目の成績優秀者を表彰する制度。
受賞者には、学長表彰と成績証明書への記載がされる。

学部奨励学生制度
学部生の身分のままで研究科前期課程の科目の履修を開始し、大学院入学後、1年で前期課程が終了できる制度。

採択されたプログラム
現代的教育ニーズ取組支援プログラム(現代GP)
平成16年度
プロジェクト主義教育による人材育成 「プロデュース・テクノロジー」の創成
平成17年度
けいはんな知的特区活性化デザインの提案-環境・都市再生の教育プログラムによる学生参加の街づくり-
企業法務プロフェッショナル育成-プログラムの開発・実践-
平成18年度
公募制のプロジェクト科目による地域活性化-往還型地域連携活動のモデルづくりを目指して-
平成19年度
アクションプラン主導型発見的キャリア教育−学生の主体的成長を促す体験型教養教育としての複合的キャリア形成支援プログラム−
特色ある大学教育支援プログラム(特色GP)
平成16年度
大学連携による新しい教養教育の創造
大学コミュニティーの創造
平成17年度
産官学地域連携による人材育成プログラム
平成18年度
情報環境の整備と成績評価の厳格化
平成19年度
学生と教員の幸せな出会いをめざす導入教育~大規模学部における組織的教育改善とその効果の測定~
法科大学院等専門職大学院教育推進プログラム
平成18年度
「伝統産業グローバル革新塾」プロジェクト
法科大学院等専門職大学院形成支援プログラム
平成16年度
実務技能教育教材共同開発共有プロジェクト
平成17年度
ビジネススクール教育の質保証システム開発
サイバーキャンパス整備事業
平成14年度
同志社大学サイバーキャンパス整備事業
「魅力ある大学院教育」イニシアティブ
平成17年度
総合政策科学研究科・ソーシャルイノベーション研究コース
社会人の学び直しニーズ対応教育推進プログラム
平成19年度
ソーシャル・イノベーション型再チャレンジ支援教育プログラム
新たな社会的ニーズに対応した学生支援プログラム
平成19年度
地域コミュニティによる学生支援方策 ~京町家を拠点にした異世代共同プロジェクト~
大学院教育改革支援プログラム
平成19年度
研究センター連携型オープンフィールド教育 - 文学研究科・心理学専攻
国際的「理論・実践循環型」教育システム(福祉各界で活躍する高度専門職業人の育成) - 社会学研究科・社会福祉学専攻
電力・通信インフラ研究者・技術者育成課程 - 工学研究科・電気工学専攻
専門職大学院等教育推進プログラム
平成19年度
全国法曹キャリア支援プラットフォーム(13の大学共同。申請は明治大学。)

課外イベント

Whats on Thursdays(WOT)
開講期間中の毎週木曜日に、室町校地の寒梅館ハーディーホールを利用した映画上映、コンサート等様々なプログラムを開催される。
在学生、職員は無料で参加でき、地域社会にも有料で広く開放されている。

♭(ふらっと)
開講期間中の毎週、室町校地の寒梅館ハローホールを利用した映画上映、コンサート、文化プログラムが開催される。
いずれも料金は無料で、地域社会に広く開放されている。

部活動・クラブ活動・サークル活動

同志社大学で活動する団体は学生支援センター登録団体と学友団公認団体とに分けられる。
新入生入学時期にオリエンテーション時期が設けられ、各団体は校地内にブースを設け壮絶な新入生獲得競争が行われる。
あまりの多さにフリーペーパーも発行される。
同一スポーツでも数多くの団体が存在するため、テニスではDoshisha Tennis League (DTL)、サッカーではD-Leagueなど連盟を結んでいる団体が存在する。

学生支援センター登録団体
学生支援センターに団体の登録申請を提出すれば登録団体と認められる。
ただし人数や、顧問を置くことなどの条件がある。
コピー機や会議室など様々な学校の備品が使えるようになる。
およそ230団体。

学友団公認団体
学友団公認団体は学生支援センター登録団体を経て審査をパスすればなることができる。
登録団体の特権に加え、BOXと呼ばれる部室の提供、補助金など大学からの支援が多くなる。
体育会も公認団体に属し、およそ170団体。

学園祭

同志社大学の学園祭は今出川校地で行われる「同志社EVE」と京田辺校地で行われる「同志社京田辺祭」がある。
どちらの学園祭も地域社会に開かれている。

同志社EVE
創立記念日の11月29日の前日まで行われるため「EVE」と名づけられた。
今出川校地内にブースが立ち並び、教室ではライブや展示会などが行われる。
学友団の公認団体だけではなく、学生支援センター登録団体や、ゼミ単位での出店も多く見られる。
同志社の学生のみならず他大学の学生や一般人も多く出入りする。
同志社EVEの歴史は古く、およそ60回続いている。
正式名称は第○○○回同志社EVEであり、この○○○は同志社設立からの年数であり、「同志社EVE」の開催回数ではない。
この学園祭は大学主導で行われるのではなく、毎年同志社EVE実行委員会が結成され、運営にあたる。
尚、同志社EVEは学生内で一般に「EVE祭」と呼ばれるが、同志社EVEは「学生活動の発露の場」である。
他大学の学園祭とは趣旨が違うため、「EVE祭」と呼ぶのは間違い。
翌日の創立記念日は全学休講となる。
毎年大成寮の行う「オカマバー」や、軽音楽部が最終日に行うシブサシラズという軽音楽部全員による仮装ライブが人気。
また、この時期から年末にかけて西門(烏丸通に面した門)付近の大きなヒマラヤスギにイルミネーションが施され、雑誌に紹介されるなど人気である。
これは毎年の恒例となっているがJR福知山線脱線事故の起こった年は実施されなかった。

同志社京田辺祭 (愛称:ADAM祭)
もともと京田辺校地には学園祭はなく、京田辺市との包括協定の一環として2005年度から開催されている。
「大学と地域が連携した全く新しいお祭り」を目指しており、学生だけでなく市民も模擬店やステージ発表に参加できる。
その他アーティストライブやOB・OGによる講演会なども行われる。
今出川校地で行われる「同志社EVE」に対して「ADAM祭」と呼ばれている。
この「ADAM」という名称は童話「アダムとイブ」から付けられたものであるが、EVE実行委員会からは「同志社EVEの由来を間違って認識されてしまう」とクレームが入った。
主催は大学であるが、企画・運営は学生が実行委員会を組んで行われている。
また京田辺市が共催し、広報などの面でバックアップをしている。
来場者数は約2万人。
開催時期は「EVE」よりも早く11月上旬ごろで、京田辺市主催の「市民文化祭」と同日。
スポーツフェスティバルもあわせて開催される。

スポーツフェスティバル
2002年度から京田辺校地で行われている。
開催時期は同志社京田辺祭と同じ11月上旬で、地域社会にも広く開かれている。

スポーツ

同志社大学体育会硬式野球部は関西学生野球連盟に加盟、同立戦は関西の大学野球ファンにはよく知られている。

同志社大学ワイルドローバーはアメリカンフットボールのチームの愛称で、新島襄が脱国し、アメリカ合衆国に渡った時の船名に由来する。

同志社大学ラグビー部は関西学生ラグビー界屈指の強豪として知られ、80年代前半には全国大学ラグビーフットボール選手権大会において3連覇を含む4度の優勝を成し遂げた。

法人

株式会社同志社エンタープライズ

同窓会

地域別
同志社校友会
同志社大学の同窓会は「同志社校友会」と称し、おもに地域別に支部が存在する。

学部別
同志社大学商学部樹徳会
同志社大学商学部の卒業生で組織される。
1926年に結成された徳照会が前身。

同経会
同志社大学経済学部卒業生で組織される。
1961年に設立。

同志社大学政法会
同志社大学法学部卒業生で組織される。
会員数は約4万7千人。
1994年に設立。

キャンパス

下記の校地以外にも京町屋キャンパス(京都府京都市中京区)がある。
京町屋キャンパスは公式サイトには記述がないが、大学の広告などで公式に使われている。
江湖館(こうこかん)という町屋一軒だけのキャンパスではあるが、総合政策科学研究科や、2007年度に採択された社会人の学び直しニーズ対応教育推進事業のソーシャル・イノベーション型再チャレンジ支援教育プログラムなど幅広く活用されている。
また、2010年10月に移転予定の市繊維技術センターの敷地(約7700平方メートル)を買収し、新たなキャンパスを開設予定である。

概要

今出川校地は旧薩摩藩邸の跡地で、隣接して冷泉家、南に京都御所、北に相国寺がある。
今出川校地内では同志社礼拝堂、クラーク記念館など、5棟が国の重要文化財に指定されている。
これらの建物は現在でも講義・事務所・礼拝等に使用されている。

なお、2010年度に、今出川校地内にある同志社中学校の同志社岩倉校地への移転、同地の同志社高等学校との統合、跡地の大学による利用が決定している。
同志社女子大学今出川校地、同志社幼稚園、同志社女子中学校・高等学校が隣接する。

今出川・新町・室町の3校地は近接しており、ほぼ一体として利用されており、3校地を併せて今出川校地と呼ぶことが多い。

歴史

同志社大学の前身である、同志社英学校時代からある校地である。
同志社英学校が1875年11月29日に開校した時には京都市上京区寺町丸太町上ルの高松保実の屋敷(現在は新島旧邸)の一角を借り、教室として寄宿舎として利用していた。
そのおよそ半年後に購入してあった土地、現在の今出川に建物ができたので学校を移す。
当初は2棟(第一寮、第二寮)の建物で1階を教室、2階を寄宿舎として使用していた。
また、同志社はキリスト教主義であるが、当時の京都ではキリスト教を排除する傾向にあり、住民の反対運動が相次いだ。
そのため、今出川校地において教育を行う際に聖書を教えてはいけないとの契約を京都府とも結んでいた。
そこで新島襄は現在のアーモスト館あたりにあった元豆腐屋を新島名義で買い上げ、学校外のその場所で聖書を教えることとなった。
しかし、実際には学校内で聖書を教えていたところを京都府の役員に発見されて新島が始末書を書いたこともある。
レンガ造りの建物がほとんどを占める同志社の建物だが最初に建てられたものは木造で、同志社に初めて登場するレンガ造りの建物は1884年に完成したアメリカン・ボードより寄付された彰栄館(京都で現存する最古のレンガ造り)である。
第二寮はその後1970年代に京田辺校地に移築された。

使用学部

学部:神、文、社会、法、経済、商学部の各3~4年次および政策学部全学年
研究科:神学、文学、社会学、法学、経済学、商学、アメリカ、総合政策科学研究科
神学部、社会学部は2009年度に今出川校地へ統合。
文学部心理学科は心理学部として改組され2009年度に全学年京田辺校地へ移動。
商学部、経済学部、法学部、文学部も2010年度に今出川校地に移転が予定されている。

教育施設

弘風館(K)
経済学部事務室、法学部事務室、教室
至誠館(S)
商学部事務室、教室
神学館(G)
神学部事務室、教室、神学館礼拝堂
クラーク記念館(CL)
キリスト教文化センター、教室、クラークチャペル
明徳館(M)
食堂、購買、教室、教育開発センター、研究支援課、学生ラウンジ
徳照館
文学部・文学研究科事務室
博遠館
教室、大学院共同図書室、アメリカ研究所・アメリカ研究科事務室、総合政策科学研究科事務室
今出川図書館
EU情報センターがあり、EU関連の書物やレポートも充実している。

扶桑館(F)
ワールドワイドビジネス研究センター、ヒューマンセキュリティ研究センター、社会的共通資本研究センター、国際センター(国際課)、日本語・日本文化教育センター(国際教育課)、生協書籍部
啓明館
人文科学研究所、同志社社史資料センター

運動施設

なし

その他施設

ハリス理化学館
入試センター、広報課、アドミッションズオフィス、校友課
有終館
庶務課
致遠館
人事課、経理課、資金課、学事課、企画課

アクセス

京都市営地下鉄烏丸線今出川駅下車すぐ

概要

2005年秋には政策学部と社会学部が主に使用する臨光館が改築、完成した。
臨光館は摂家のひとつの近衛家の邸宅の跡地でもある。
現在も地下に遺跡として眠っている。
また、学生会館があり、サークル活動の拠点として使用されている。
臨光館が新築され、政策学部が開設される前は主に外国語科目の再履修のクラスが多く行われていた。
新町校地(尋真館Z)に行かなくてはいけない学生を「Z戦士」といわれていた。

今出川・新町・室町の3校地は近接しており、ほぼ一体として利用されており、3校地を併せて今出川校地と呼ぶことが多い。

歴史

新町校地は、1959年に旧ジーエス・ユアサコーポレーション本社跡地に設置された。

使用学部

使用学部:主に社会学部の3~4年次および政策学部全学年、および外国語科目
使用研究科:なし

教育施設

臨光館(R)
教室、社会学部事務室、政策学部事務室
尋真館(Z)
教室、施設課、管財課
渓水館
社会学部事務室分室、政策学部事務室分室

運動施設

育真館(体育館)

その他施設

学生会館
新町別館

アクセス

京都市営地下鉄烏丸線今出川駅下車3分

概要

室町校地は、烏丸通を挟んで今出川校地の向かいに位置している。
旧大学会館跡地であり、2004年3月の寒梅館完成時に命名され、寒梅館一棟のみが室町校地と呼ばれている。
延床面積は18,115平方メートルで、1階にはレストラン、アマーク・ド・パラディ、7階にはフランスレストラン、SECOND HOUSE willが入っている。
また、大規模なホールもあり、講演会や映画上映などで使用されている。

今出川・新町・室町の3校地は近接しており、ほぼ一体として利用されており、3校地を併せて今出川校地と呼ぶことが多い。

歴史

旧大学会館跡地であり、2004年3月の寒梅館完成が完成した。
大学会館は新町別館に移される。

使用学部

学部:なし(法学部のゼミでの利用あり)
研究科:法科大学院、ビジネス大学院

教育施設

寒梅館(KMB)
学生支援センター、キャリアセンター、厚生館保健センター、リエゾンオフィス、司法研究科事務室、ビジネス研究科事務室、技術・企業・国際競争力研究センター、ITEC研究室、ハーディーホール、クローバーホール、会議室、教室

運動施設

なし

その他施設

Hamac de Paradis 寒梅館(アマーク・ド・パラディ 寒梅館)
室町校地の寒梅館1階にあるカフェレストラン。
昼間は学食として低価格で食事が、同志社生活協同組合の学食に比べ多少高め。
夕方から値段設定が変わり、酒も扱う。
寒梅館でイベントなどの後に貸切で懇親会を行うことが多々ある。
利用者は学生のみならず、一般の人も多い。
内装のデザインは森田恭通。

SECOND HOUSE will
室町校地の寒梅館7階にあるフレンチレストラン。
価格が高めに設定されており、学生食堂としての利用より、普通のレストランとしての利用のほうが多い。
眺めがよく、五山送り火の大文字が食事をしながら見れる。

アクセス

京都市営地下鉄烏丸線今出川駅下車すぐ

概要

ほどの体育設備があり、体育会系の部活動やサークル活動も活発に行われている。
ロームからの支援に基づいた同志社ローム記念館も位置していることから分かるとおり、理工系の研究拠点ともなっている。
しかし、今出川校地から電車やバス (交通機関)で約一時間も離れており、一部の学生からは不満の声もある。
また、検討中の課題として、京田辺校地にある文系学部1~2年次の今出川校地への移転や、文学部心理学科の改組による心理学部の京田辺校地設置などがある。
京田辺校地建設に伴い近鉄京都線興戸駅から大学に向かう通学路を建設したが、その通学路を通るより住宅街を通り抜ける方が距離的に近く、同志社前駅の上の高架橋を通ることなく通学できるため、多くの学生がその通学路を通っていない。
またその問題を毎日放送のVOICE (ニュース)にて放送された。

歴史

今出川校地が年々手狭になり、大学設置基準を満たすためにも学校法人同志社として京田辺市(当時田辺町)に土地を購入した。
1965年8月14日に同志社理事会において「田辺校地に関する基本方針」が承認され、1965年8月25日に校地拡張委員会、1965年12月4日には田辺用地専門委員会が組織された。
そして翌年の1966年9月7日に近畿日本鉄道と土地売買契約を交わし、その翌年の1987年にも土地を買収した。
一次買収では約47万平方メートルで、2次買収とあわせると約100万平方メートルを買収した。
買収した20年後の1986年3月27日に同志社女子大学と合同で同志社女子大学恵真館に於いて竣工式が行われた。
開校当時は各学部の1、2学年が学んでいたが、1994年に工学部(現理工学部)を全面移転する。
開校当時は学生新聞などに問題提起されるなど学生や教員の不満も多かった。

使用学部

学部:神、文、社会、法、経済、商学部の各1~2年次および文化情報、生命医科学部、スポーツ健康科学部、工学部全学年
研究科:工学、生命医科学、文化情報学研究科
神学部、社会学部は2009年度に今出川校地へ統合。
文学部心理学科は心理学部として改組され2009年度に全学年京田辺校地へ移動。
商学部、経済学部、法学部、文学部も2010年度に今出川校地に移転が予定されている。

教育施設

同志社ローム記念館(RM)
吹き抜けの大きなホールがあり、数々の催しが行われている。
また、ローム記念館プロジェクトのためのプロジェクトルームがあるほか、キャリアセンターや大学の総務課がある。

情報メディア館(RM)
パソコンを使う科目が多く開講されている。

知真館1号館(TC1)
小教室が多数あり、英語や第二外国語などの少人数制で行われる科目が多く開講されている。

知真館2号館(TC2)
1000人収容できる教室が2つあるなど大教室がある。
主に学生の多い学部の必修科目や教職科目、一般教養の科目が開講されている。

知真館3号館(TC3)
主に自然科学系の授業が開講される。

夢告館(MK)
文化情報学部・文化情報学研究科事務室、教室
恵道館(KD)
教室
創考館(SO)
実験室
磐上館
スポーツ健康科学部事務室、教務事務センター教養教育係教室
理化学館(RG)
理工学部・工学研究科事務室、理工学研究所事務室教室
香知館
光喜館
エネルギー変換研究センター
恵喜館
頌真館(TS)
情報システム課、情報処理教室
至心館(SC)
報辰館(HS)
医心館
生命医科学部事務室
香柏館
言語文化教育研究センター
ラーネッド記念図書館
図書館

運動施設

ラグビー場
アメリカンフットボール場
サッカー場
洋弓場
弓道場
射撃場
馬場
硬式野球場
軟式野球場
ソフトボール場
テニスコート(硬式・軟式)
バレーコート
屋外プール
デイヴィス記念館(体育館)
インラインスケート場
ゴルフ練習場

その他施設

嗣業館
教務事務センター、学生支援センター、国際センター、京田辺校地施設課
交隣館
講師控室、共同研究室
キリスト教文化センター
厚生館保健センター
厩舎
自動車練習場
グライダー格納庫
京田辺別館
業成館(D-eggインキュベーション施設)

アクセス

交通アクセス:片町線同志社前駅および近鉄京都線興戸駅下車。

奈良交通バスが近鉄京都線新田辺駅近鉄京都線三山木駅駅からも出ている。
「ウェルサンピア京都」行きで「同志社大学正門」下車、または校内まで乗り入れる「同志社大学デイヴィス記念館」行きもある。

概要

2005年12月にキヤノンエコロジー研究所跡地を買収し設置。
隣接する学研都市病院などとの医工分野における相互協力・連携を含む、新たな理工系研究施設として活用する。
敷地面積は約5万平方メートル、建物面積は約8,500 平方メートル。

教育施設

快風館(実験室、研究室、会議室)

運動施設

テニスコート

その他施設

なし

アクセス

片町線祝園駅および近鉄京都線新祝園駅から奈良交通にて6分「けいなわ通り」下車。
また、近鉄京都線木津川台駅より徒歩15分

岩倉校地

現在の同志社高等学校、同志社小学校が位置する土地(京都府京都市左京区)は同志社大学の運動施設として使用されていた土地である。

学生食堂

京田辺校地には周りに食べるところが無いという土地柄、5つの学生食堂と専門店街がある。

講堂

ハーディーホール
室町校地の寒梅館地下1階にある大ホール。
1000人の収容が可能。
木曜日にはWOT(Whats on Thursdays)で映画上映される。
映画系サークルの映画上映会や、学生団体のイベント、そして数々の講演会が催される。
ホールアートという学生のアルバイトがある。

クローバーホール
室町校地の寒梅館地下1階にある小ホール。
移動式客席で100人ほど収容可能。
ここでもハーディーホールと同じように様々なイベントが行われる。

自治寮

同志社大学の学生寮は、居住する学生自身によって管理・運営される点が大きな特徴である。
あくまで学生の自主管理であるため、大学が広範に管理を行う一般的な学生寮のイメージとは異なっている。

同志社大学ではこうした学生が自主管理を行う考え方を「自治理念」と呼んでいる。
「自治理念」とは、土地や建物は大学の施設であるものの、その管理・運営は、居住する寮生自身によって行うという考え方である。
実際、寮の管理・運営における大学との関係においては、自治精神を重視し、一定の緊張感を保った交渉を行っている。

同志社大学内では「自治理念」に基づいた寮であるため、学生寮のことを「自治寮」と呼んでいる。
「自治寮」という考え方については、学生運動の流れを汲んでいる。
昭和の学生運動が盛んなころ、日本全国の大学には、自主独立の気運が存在、同志社大学の学生寮においてもこのような理念が創出され、自治を重んじる風潮が生まれた。
なお、1990年代以降における学生寮と同志社大学の関係は良好である。
また、過去には、大学の設置者である学校法人同志社の理事にも寮出身者を輩出しており、2004年においても、理事を招いての式典等が開催された。

基本は性別ごとの寮であるが、唯一男女寮なのが今出川校地内にあるアーモスト寮。

男女寮
アーモスト寮
アーモストの名は新島襄が留学した米アマースト大学に由来する。
約65,000ドルの募金が集められ、1931年8月に着工され、1932年5月に最初の21人が入寮する。
入寮の募集選考は2月から3月にかけて行なわれる。
現在は改修工事のため、2006年度より募集を停止。

男子寮
大成寮(たいせい-りょう)
入寮選考は年2回行われ、2月下旬と3月上旬。
同志社EVEに出店する「オカマバー」は毎年恒例の人気行事。

此春寮(ししゅん-りょう)
入寮選考は3月上旬。

壮図寮(そうと-りょう)
入寮選考は3月上旬に1泊2日で行われる。

暁夕寮(ぎょうせい-りょう)
入寮選考は3月上旬。

DRCハウス
ラグビー部の寮。
同志社大学ラグビー部OB会が一棟借りをしている。

女子寮
松蔭寮(しょういん-りょう)
入寮選考は3月上旬。

一粒寮(ひとつぶ-りょう)
入寮選考は一次選考と二次選考があり、2月下旬、3月上旬に行われる。

過去に存在した寮
布哇寮(はわい-りょう)
1936年に日米関係の悪化を憂えたホノルル在住のリチャーズ夫妻によって寄付された。
戦時中は接収され日赤の看護婦寮にされた歴史もある。
また、5年間に亘り同志社理事であった新渡戸稲造の京都時代の住居でもあった。
1970年代は学生運動の渦中にあり、外人部隊に篭城された。
そのこともあって1972年に寮運営委員会は解散して自治寮になった。
1988年に寮が閉鎖され、1997年からは同志社フレンドピースハウス(登録有形文化財)として生まれ変わった。

鴨東寮(おうとう-りょう)
岩倉寮(いわくら-りょう)

リチャーズハウス

同志社大学には自治寮とは別に大学が管理、運営する寮が存在する。
この寮は外国人留学生と日本人学生が共に生活を行う女子寮。
国際交流・文化交通を図ることが目的として建てられた。
入寮選考は二次選考まであり、12月に行われる。
外国人学生は国際センター、日本人学生は学生支援課が選考を行う。
入寮期間は1年または2年で、夏季休暇時は短期留学生受け入れのため退去しなければいけない。

地方自治体との協定

都市再生機構との連携「けいはんな知的特区活性化デザインの提案」(現代的教育ニーズ取組支援プログラム)
京田辺市南田辺北地区同志社山手
京田辺市との包括協定(2005年締結)
京田辺市
教育、文化、福祉の向上、スポーツの振興・発展のための連携
地域産業振興、新産業創出のための連携
人材育成のための連携
まつづくりのための連携
その他必要と認める連携

独立行政法人との協定

日本学生支援機構(JASSO)
2006年より障害学生修学支援ネットワーク事業の拠点校として連携
会計大学院
同志社大学には会計大学院は設置されていないが、準会員校になっている。

医療法人との協定

医聖会
医聖会学研都市病院は学研都市キャンパスに隣接しており、理工学部、生命医科学部との包括協定を結んでいる。

他大学との協定

学術交流包括協定
京都府立医科大学
国内相互留学制度
早稲田大学
同志社大学の学生が政治・経済・文化の中心である東京で、また早稲田大学学生が日本の文化や歴史を誇る京都で、異なる地域・風土で学び、視野を広げ、個性を磨くことを目的として行われる。
また、創立者の新島襄と大隈重信の関係が良好だったことも関連している。

単位互換制度
同志社女子大学
同志社大学にはない音楽系の科目などを取得することが可能。
女子だけではなく、男子も取得することが可能で毎年100人程度の学生が取得している。

大学コンソーシアム京都
立命館大学(大学院)
関西大学(大学院)
関西学院大学(大学院)
小学校教諭(一種)取得連携プログラム
神戸親和女子大学
2006年度より結ばれた協定。
今まで同志社大学では小学校教諭免許を取得することが不可能であったが、この協定により取得可能になった。

京都・宗教系大学院連合(K-GURS)
大谷大学大学院文学研究科
高野山大学大学院文学研究科
種智院大学仏教学部
花園大学大学院文学研究科
佛教大学大学院文学研究科
龍谷大学大学院文学研究科
2005年に設立された。
それぞれの宗教、宗派の特色を活かしたカリキュラムを展開し、宗教のプロフェッショナルを育成することが目的。
定例の研究会、公開シンポジウムを開催され、2006年度からは単位互換制度が開始。
協力団体として、高野山大学密教文化研究所、国際真宗学会、宗教倫理学会、種智院大学密教資料研究所、同志社大学一神教学際研究センター、南山宗教文化研究所、NCC宗教研究所、日本クリスチャンアカデミー、龍谷大学仏教文化研究所が加盟。

図書館協定
早稲田大学
立命館大学
龍谷大学
京都産業大学
関西大学
関西学院大学
大学コンソーシアム京都
国立情報学研究所(提携)
海外協定校

ケンブリッジ大学
ロンドン大学
エディンバラ大学
シェフィールド大学
ヨーク大学

ノルウェー科学技術大学

ヘルシンキ大学

日仏共同博士課程コンソーシアム
エクス・マルセイユ第3大学
パリ第10大学
パリ市立工業物理化学高等専門学校
リール中央学院
リール国立化学大学院
エコール・サントラル(リール・ナント)

イエーテボリ大学政経大学院

ワルシャワ大学

カレル大学

サラマンカ大学

ウィーン大学

テュービンゲン大学
ヨハネス・グーテンベルク・マインツ大学
ミュンヘン大学
ハンブルク大学
ベルリン大学

チューリッヒ大学

ミラノ大学

ヘブライ大学

アブンヌール・イスラーム学院

王立宗教間対話研究所

全南大学校
梨花女子大学校
ソウル女子大学校
延世大学校
監理教神学大学校

トリブバン大学

デ・ラ・サール大学
フィリピン大学ディリマン校

タンマサート大学

北京大学歴史学部
復旦大学
西北大学
中国海洋大学
中国人民大学
武漢大学
西安電子科技大学
香港中文大学
西安交通大学

国際イスラム大学

ガジャマダ大学

メルボルン大学
ニューサウスウェールズ大学
シドニー大学
ウロンゴン大学

ヴィクトリア大学ウェリントン校

アーモスト大学
ウィスコンシン大学ロースクール(法科大学院学術交流協定)
ベイツ大学
バックネル大学
カールトン大学
コルビー大学
コネチカット大学
カラマズー大学
ミドルベリー大学
マウント・ホールヨーク大学
オベリン大学
ポモナ大学
スミス大学
スタンフォード大学
カリフォルニア大学
ハワイ大学システム
ウェルズリー大学
オハイオ・ウェスリアン大学
ウィットマン大学
ウィリアムズ大学
ミシガン州立大学
ウィスコンシン大学
デューク大学
ワシントン大学 (UW)
ハートフォード神学校
ノースカロライナ大学チャペルヒル校

ビクトリア大学 (カナダ)
ウィニペグ大学

ラス・アメリカス大学

トルクァト・ディ・テラ大学

チリ・カトリック大学

高校との協定

滋賀学園高校(2008年度より)
キリスト教系高等学校との教育連携協定
新島学園中学校・高等学校
北陸学院高等学校
名古屋中学校・高等学校
学校法人近江兄弟社学園
九州学院中学校・高等学校

関係校

群馬県にある新島学園中学校・高等学校は、同志社の創立者である新島襄の理念に共感した湯浅正次(有田屋当主)が、その理念を元に設立した学校で、理念は共有しているが、新島学園中学校・高等学校を同志社が設立したなどといった関係ではない。
しかし、同志社大学への推薦枠を持ち、中学校・高等学校間で交流が行われているため、便宜上、ここにまとめる。

新島学園中学校・高等学校
新島学園短期大学

系列校

同志社諸学校は、大学を頂点とした付属校の形態を取らず、学校法人同志社のもとに設置された独立の学校群として位置づけられてきた。
なお、同志社小学校については、運営上、大学の付属校の扱いとなっているので、附属学校の項に記述する。

大学
同志社女子大学
高等学校
同志社高等学校
中高一貫校
同志社女子中学校・高等学校
同志社香里中学校・高等学校
同志社国際中学校・高等学校
中学校
同志社中学校
幼稚園
同志社幼稚園

社会との関わり

JR福知山線脱線事故

大学の2限に出席するために多くの学生が乗車しており、3名の学生が亡くなり、34人の学生が負傷するという事故が起きた。
被害が拡大した要因の一つとして同志社前駅の構造(詳細は同志社前駅)が問題視されている。

文化財

同志社大学には以下の文化財が存在している。

重要文化財

同志社大学に存在する日本国政府に指定された重要文化財には以下のものがある。

建築物

同志社礼拝堂 (今出川校地)

番号1575
種別1学校建築
指定年月日1963年7月1日
年代明治19年
構造形式煉瓦造、建築面積316.0㎡、一階建、一部中二階及び地下室付、鉄板葺
D.C.グリーンが設計し、1886年に竣工。
アメリカン・ゴシック調の鉄板葺き煉瓦造り。
アメリカン・ボードの寄付によって建築。
日本におけるプロテスタント派の煉瓦造りの礼拝堂としては現存する最古のもの。
施工は有終館も請け負った三上吉兵衛。
ステンドグラスが美しく、徳冨蘆花の小説、黒い眼と茶色の目の中で「五色の光線」が降ると形容された。
1963年に国の重要文化財に指定され、1987年から1990年まで半解体修理工事が行われた。
現在も礼拝堂として使用されており、毎週礼拝も行われている。
また、週末には同志社関係者に限り結婚式を挙げることもできる。
同志社の礼拝堂としては2代目(初代は木造)。

有終館 (今出川校地)

番号1575
種別1学校建築
指定年月日1979年5月21日
年代明治20年
構造形式煉瓦造、建築面積352.3㎡、二階建、地下一階、桟瓦葺(内装を除く)
即位式典の場所である御所は、同志社今出川校地の隣りなので、大学当局は即位式の間、全学あげて構内の警備をしていた。
ところがその詰所にしていた部屋の木製の大火鉢が加熱して出火してしまったのである。
これにより当時の海老名弾正総長および理事、監事は引責辞職。
同志社は国賊であるかのように罵られたという。
燃え残った有終館の駆体は撤去の予定であったが、当時隣の同志社女学校の建築を手がけていた武田五一が修理・保存を勧告した。
結局外壁の内部に15cmの鉄筋コンクリートの壁を作る方法で保存した。
有終館の名は図書館としての役目を終えた際に当時の総長であった海老名弾正が命名した。

ハリス理化学館 (今出川校地)

番号1575
種別1学校建築
指定年月日1979年5月21日
年代明治23年
構造形式煉瓦造、建築面積587.0㎡、東北隅実験室付、桟瓦葺(階段以外の内装を除く)
アメリカ合衆国コネティカット州ニューロンドン (コネチカット州)のJONATHAN N. HARRISの寄付によって建設された。
設計者は英国王立建築家協会員のALEX N. HANSELL。
1890年の竣工で、イギリス積みの煉瓦建築。
1979年5月21日に重要文化財に指定された。

クラーク記念館 (今出川校地)

番号1575
種別1学校建築
指定年月日1979年5月21日
年代明治27年
構造形式煉瓦造、建築面積389.4㎡、桟瓦葺、西南隅塔屋付、銅板葺
附指定建築仕様書等1冊、建築設計図1巻
ドイツのネオ・ゴシックを基調とする建築物で、「印象的な尖塔は同志社大学のシンボル的存在」と同志社大学関係者は考えている。
27歳でこの世を去った息子(バイロン・ストーン・クラーク)のためにとB.W.クラーク夫妻より6000ドル寄付され建設された。
そのため1階の壁面に「THE STUDY OF THE WORLD OF GOD WAS DEAR HIM」と刻まれている。
1894年の開館当時はクラーク神学館と呼ばれ、神学教育・研究の中心として使用された。
1979年5月に「設計図」、「新築仕様書」とともに重要文化財に指定された。
2003年1月から2008年2月まで約10億円をかけ改修工事が行われた。
この際、後世に改造された部分などは撤去され、当初の姿に復元された。
2006年度に行われた同志社EVEにおいて、補修工事に使われた100年は持つといわれている土居葺板に寄せ書きを行うイベントが開催された。

彰栄館 (同志社中学校)

D.C.グリーンが設計し、1884年に竣工。
アメリカン・ゴシック調の瓦葺きの煉瓦造り。
アメリカン・ボードの寄付によって建築。
京都市内に現存する煉瓦建築の中では最古のもの。

国登録有形文化財

同志社大学に存在する日本国政府に指定された登録有形文化財には以下のものがある。

建築物

アーモスト館 (今出川校地)

登録番号26-0200
構造鉄筋コンクリート造地上3階地下1階建、スレート葺、建築面積343㎡
年代明治7年
所在地京都府京都市上京区今出川通烏丸東入相国寺門前町632
原簿記載年月日2005年11月10日
官報告示年月日2005年12月5日
1931年11月29日定礎。
1932年3月20日竣工。
ニューイングランド・ジョージア様式で、左右対称の概観が特徴。
2005年6月27日に登録有形文化財(建造物)に指定。
学生寮(アーモスト寮)として使用されているが、現在は改修工事中。
設計はウィリアム・メレル・ヴォーリズ。
施工は清水組。

同志社啓明館本館(今出川校地)

登録番号26-0256
構造煉瓦及び鉄筋コンクリート造5階建、スレート葺、建築面積406㎡
年代大正9年
所在地京都府京都市上京区今出川通烏丸東入玄武町602-1
原簿記載年月日2007年7月31日
官報告示年月日2007年8月13日
1920年図書館(2代目大学図書館)として竣工。
設計はウィリアム・メレル・ヴォーリズ。
第二次大戦中、ランドン・ワーナー博士が米陸軍当局に提出した「爆撃してはならない日本の文化財目録」の中に入っていた。
1973年12月 に現在の図書館(3代目大学図書館)の竣工により、「啓明館」と改称する。
2007年7月31日に登録された。

同志社啓明館西館(今出川校地)

登録番号26-0257
構造煉瓦及び鉄筋コンクリート造4階建、スレート葺、建築面積153㎡、渡廊下付
年代大正4年
所在地京都府京都市上京区今出川通烏丸東入玄武町602-1
原簿記載年月日2007年7月31日
官報告示年月日2007年8月13日
1915年図書館(2代目大学図書館)として竣工。
設計はウィリアム・メレル・ヴォーリズ。
1973年12月 に現在の図書館(3代目大学図書館)の竣工により、「啓明館」と改称する。
2007年7月31日に登録された。

同志社フレンドピースハウス

登録番号26-0206
構造木造2階建、瓦葺、建築面積248㎡
年代明治中期
所在地京都府京都市上京区寺町通石薬師下る染殿町665-1
原簿記載年月日2006年3月2日
官報告示年月日2006年3月23日
以前同志社大学の布哇寮であり、現在は同志社フレンドピースハウスとして活用されている。

その他

薩摩藩邸跡 (今出川校地)
今出川校地の敷地一帯は幕末の薩摩藩邸がおかれていた。
1862年に京都市中京区から移転し、薩長同盟が結ばれるなど倒幕運動の拠点となった。

近衛殿跡 (新町校地)
新町校地の臨光館一帯は摂家の一つで公家の近衛家の邸宅があった。
現在も臨光館の地下に保存されている。

石敷き遺構 (室町校地)
2002年の寒梅館の建設に伴う発掘調査にて発見された。
石敷きの中から16世紀中頃の土器が出土した。
洛中洛外図により、寒梅館周辺は第12代将軍足利義晴が再築した花の御所のあった場所と推定され、出土したものと、洛中洛外図が一致するため、この石敷きは花の御所の北東隅の社とその南の築地基礎と推定される。
現在は寒梅館にて一部発掘したままの状態を見ることができるようになっている。

恐竜の足跡 (今出川校地)
アーモスト館とゲストハウスの渡り廊下に恐竜の足跡がある。
この足跡は、アメリカ合衆国のニューイングランド、コネチカット州の渓谷から出たもので「時の砂に押し残された足跡」と記されている。
有史前の足跡は「新世界」からアジアの「旧世界」へと学校法人同志社とアマースト大学、アメリカ合衆国と日本の長い絆を想起させるものとして贈られてきたものである。

附属学校

小学校
同志社小学校

2007年8月にゴメスコンサルティング株式会社の行った大学サイトランキングにて131大学のウェブサイト中総合3位。
3位になった主な理由として圧倒的なボリュームの統計データや、Cyber学長室、同志社クイズに見られる特徴的なコンテンツが評価された。
ウェブサイトの使いやすさで20位、情報公開度・先進性で2位。

[English Translation]