慈眼院 (Jigen-in Temple)

慈眼院(じげんいん)は大阪府泉佐野市にある真言宗御室派の寺院。
山号は大悲山。
近世末までは、隣接する日根神社の神宮寺であった。
国宝の多宝塔は石山寺塔、金剛三昧院塔とともに日本の多宝塔の3名塔の一つとして知られる。
また境内が「日根荘遺跡」の一部として国の史跡に指定されている。
仏塔古寺十八尊第十二番。

歴史
伝承によれば、天武天皇2年(673年)、天皇の勅願寺として、井堰山願成就寺無辺光院の名で覚豪阿闍梨により開創され、奈良時代の天平年間、聖武天皇の勅願寺となり、寺領1千石が加増されたという。
その後、弘仁6年(815年)、 空海(弘法大師)によって多宝塔、金堂をはじめとする諸堂が再興されたと伝える。

南北朝時代_(日本)の正平8年(1353年)、戦火を受けて焼失。
その後、後村上天皇と後亀山天皇の勅命により再興された。

慈眼院の位置する日根(日根野)荘は、五摂家の1つである九条家の荘園であった。
文亀元年(1501年)から4年間、前関白の九条政基が日根に滞在して領地の直接経営にあたり、日記「政基公旅引付」(宮内庁書陵部蔵)を残している。

天正13年(1585年)には豊臣秀吉の根来寺攻めの兵火を受けて、金堂、多宝塔を除いた全山が焼失。
その後慶長7年(1602年)、豊臣秀頼によって伽藍の再興が始められ、奥之坊・山之坊・明王院・戒躰院・稲之坊・中之坊・下之坊・東方寺・上之坊・明神社・観音堂・毘沙門堂・護摩堂の堂宇が建立された。
寛文年間には岸和田藩藩主岡部氏により修復が行われ、寛文5年(1665年)、中之坊が仁和寺の性承門跡から現在の院号「慈眼院」を賜り、仁和寺の末寺となった。

伽藍
多宝塔(国宝)
- 鎌倉時代、文永8年(1271年)建立。
高さ約10m。
屋外にある木造多宝塔で国宝・重要文化財に指定されているものの中では日本最小。
石山寺塔、金剛三昧院塔とともに日本の多宝塔の3名塔の一つとされる。
初層内部には大日如来坐像(大阪府指定文化財)を安置する。

金堂(重要文化財)
- 鎌倉時代後期、 方3間、単層、寄棟造、本瓦葺。

毘沙門堂(一願薬師堂)
- 「柿経(笹塔婆)」安置
食野家十三重石塔
- 江戸時代
本邦洋式製革始祖碑
- 明治時代

札所等
仏塔古寺十八尊 第12番
和泉西国三十三箇所 客番
新大阪百景

所在地
〒598-0021 大阪府泉佐野市日根野626

拝観情報
開門時間
- 800~1700(要予約)
交通アクセス
- 南海電鉄 泉佐野駅または阪和線 日根野駅から南海バス「犬鳴山」行きで8分、「東上」下車すぐ

周辺情報
日根神社
- 延喜式神名帳。
慈眼院の旧下之坊が日根神社の社務所

総福寺天満宮
- 本殿が重要文化財

[English Translation]