秋篠寺 (Akishino-dera Temple)

秋篠寺(あきしのでら)は、奈良県奈良市秋篠町にある寺院。
本尊は薬師如来、開基(創立者)は善珠とされている。
山号はなし。
宗派はもと法相宗、真言宗、浄土宗に属したが現在は単立である。
技芸天像と国宝の本堂で知られる。

起源と歴史

奈良市街地の北西、西大寺 (奈良市)の北方に位置する。
奈良時代の法相宗(南都六宗の1つ)の僧・善珠が創建したとされ、地元の豪族秋篠氏の氏寺とも言われているが、創建の具体的な時期や事情については、たしかなことはわかっていない。
『続日本紀』に宝亀11年(780年)、光仁天皇が秋篠寺に食封(じきふ)一百戸を施入したとあるのが文献上の初見である(食封とは、一定地域の戸(世帯)から上がる租庸調を給与や寺院の維持費等として支給するもの)。
また、『日本後紀』には大同 (日本)元年(806年)、桓武天皇の五七忌が秋篠寺で行われたことが見え、天皇家とも関連の深い寺院であったと思われる。

秋篠寺は保延元年(1135年)の火災により講堂以外の主要伽藍を焼失した。
現存する本堂(国宝)は、旧講堂の位置に建つが、創建当時のものではなく、鎌倉時代の再建である。
宗派は当初の法相宗から真言宗、浄土宗に代わり、現在は単立となっている。

境内

拝観入口は東門になっているが、本来の正門は南門である。
南門と本堂の間には、雑木林の中に金堂、東西両塔の跡があり、それぞれ礎石が残っている。

本堂(国宝)

-鎌倉時代の建立で、当時の和様建築仏堂の代表作の1つである。
屋根は寄棟造、本瓦葺き。
堂の周囲には縁などを設けず、内部は床を張らずに土間とする。
正面の柱間5間にはいずれも開口部(格子戸または窓)を設けている。
全体に簡素な構成で、鎌倉時代の再建でありながら奈良時代建築を思わせる様式を示す建物である。
内部には本尊薬師三尊像(重要文化財)を中心に、十二神将像、地蔵菩薩立像(重文)、帝釈天立像(重文)、伎芸天立像(重文)などを安置する。

文化財

国宝

本堂

-既述。

重要文化財

伝・技芸天立像

-本堂仏壇の向かって左端に立つ。
瞑想的な表情と優雅な身のこなしで多くの人を魅了してきた像である。
頭部のみが奈良時代の乾漆造、体部は鎌倉時代の木造による補作だが、像全体としては違和感なく調和している。
「伎芸天」の彫像の古例は日本では本像以外にほとんどなく、本来の尊名であるかどうかは不明である。
なお、秋篠寺にはこの像と同様に、頭部は奈良時代の乾漆造、体部は鎌倉時代の木造の像があと3体ある。

薬師三尊像

-本堂の本尊である。
中尊の薬師如来が素木仕上げであるのに対し、脇侍の日光・月光(がっこう)菩薩像は彩色仕上げで作風も異なり、本来の一具ではないと思われるがいずれも平安時代の作とされる(中尊像については鎌倉時代以降の作とする見方もある)。

帝釈天立像

-頭部は奈良時代の乾漆造、体部は鎌倉時代の木造。
本堂に安置。

梵天立像

-頭部は奈良時代の乾漆造、体部は鎌倉時代の木造。
奈良国立博物館に寄託。

伝・救脱菩薩立像

-頭部は奈良時代の乾漆造、体部は鎌倉時代の木造。
奈良国立博物館に寄託。

木造地蔵菩薩立像

-平安時代。
本堂に安置。
(1909年重文指定)

木造地蔵菩薩立像

-平安時代。
京都国立博物館に寄託。
(1906年重文指定)

木造十一面観音立像

-平安時代。
東京国立博物館に寄託。

脱活乾漆像残欠(乾漆断片8片、心木2躯分)

-奈良時代。
奈良国立博物館に寄託。

木造大元帥明王立像

-鎌倉時代。
本堂西側の大元堂に安置。
大元帥明王の彫像として稀有の作。
6本の手をもち、体じゅうに蛇が巻き付いた忿怒像で、秋篠寺が真言密教寺院であった時代の作である。
秘仏で、6月6日のみ公開される。

[English Translation]