等持院 (Toji-in Temple)

等持院(とうじいん)は、京都府京都市北区 (京都市)にある臨済宗天龍寺派の寺院。
山号は万年山。
足利尊氏の墓所としても知られる。

歴史

足利尊氏は、1341年(暦応4年)に現在の京都市中京区柳馬場御池付近に等持寺を建立し、その2年後の1343年、現在の京都市北区等持院北町に別院北等持寺を建立した。
尊氏の死後、別院北等持寺は尊氏の墓所となり、その名前を「等持院」と改称した。
その後、応仁の乱で柳馬場の本寺が焼失したため、別院だった現在の等持院が本寺になった。

作家の水上勉は小坊主としてこの寺に寄宿していた。
その当時の住職は栂道節で、京都商業学校(現京都学園高等学校)野球部にいた沢村栄治を東京巨人軍専務取締役市岡忠男に紹介した。

伽藍、庭園

方丈
現方丈は元和 (日本)2年(1616年)に福島正則が妙心寺海福院から移設したもの。

襖絵は狩野興以の作。
明治維新や映画撮影で一部破損。

庭園
夢窓疎石作と伝えられるが、様式的には江戸時代中頃の作と言われている。
方丈の北の庭には池をはさんだ対岸に茶室清漣亭がある。
庭の中程には尊氏の墓と伝えられる宝篋印塔がある。
庭園は本来は衣笠山 (京都府)を借景としていたが、立命館大学衣笠キャンパスの拡充により、今では校舎に眺めを遮られている。

霊光殿
方丈の西側に建つ。
本尊の地蔵菩薩像の他、足利歴代の将軍、徳川家康の木像がある。

霊光殿に安置されている足利歴代将軍木像
霊光殿安置されている足利歴代将軍以下のとおりである。

※歴代数は等持院のもので一般的な歴代数とは異なる。

向かって左側から
初代将軍:足利尊氏(等持院)
第2代将軍:足利義詮(寶篋院)
第3代将軍:足利義満(鹿苑院)
第4代将軍:足利義持(勝定院)
第6代将軍:足利義教(普広院)
第7代将軍:足利義勝(慶雲院)
第8代将軍:足利義政(慈照院)
向かって右側から
徳川家康(東照大権現)
※石清水八幡宮・宝蔵坊から移されたもの.
※足利歴代将軍ではないが、吉良氏・今川氏をはじめとする足利氏一族を高家として江戸幕府に取り立てた他、足利尊氏の三男である室町幕府初代鎌倉公方・足利基氏の子孫に下野国・喜連川藩5000石を与え、1万石に満たない少禄ながら10万石格の大名(喜連川家)に取り立てるなど、足利将軍家縁の者を重んじた。

第9代将軍:足利義尚(常徳院)
第11代将軍:足利義稙(恵林院)
第12代将軍:足利義澄(法住院)
第13代将軍:足利義晴(萬松院)
第14代将軍:足利義輝(光源院)
第15代将軍:足利義昭(霊陽院)

文化財

紙本淡彩等持寺絵図 - 国の重要文化財。

[English Translation]