西本願寺 (Nishi Hongan-ji Temple)

西本願寺(にしほんがんじ)は、京都府京都市下京区にある浄土真宗本願寺派本山の寺院。
正式の寺号は本願寺(ほんがんじ)。
同じ下京区内にある東本願寺(正式名称は真宗本廟)と区別するために「西本願寺」「お西さん」などと呼ばれることが多い。

2011年4月9日より本願寺御影堂にて親鸞聖人750回大遠忌法要開始予定。

歴史

宗祖親鸞聖人入滅後、末娘の覚信尼が1272年(文永9年)に現在の京都市東山区林下町(知恩院塔頭・崇泰院付近)に廟を営み、遺骨を安置したのが本願寺の発祥とされる。
その後、廟堂は内紛のため破壊されたが、3代覚如が再建して専修寺と号し、さらに本願寺と改称した。
その後、各地に寺基を移転、1591年(天正19年)、豊臣秀吉により寺地の寄進を受け、天満にあった寺基より現在の堀川六条に移転する。
廟堂は江戸時代初頭、東山五条坂西大谷に移り現在の「大谷本廟」となっている。

11代顕如の子教如が徳川家康によって本願寺の東に寺領を与えられ、1602年に本願寺が東西に分かれた際、教如が開いた寺を真宗本廟と呼んだため、それまでの本願寺は西本願寺と通称されるようになった。

(東西に分裂以前の歴史の詳細は本願寺の歴史の項目を参照)

幕末期には京都を守る剣客集団新選組の本拠地ともなっている。
現在まで境内地に大きな変化は無いが、1876年(明治9年)に真宗興正派が独立した際に南境内地を割譲。
近年、境内地北側の旧本圀寺跡地(日蓮宗大本山、山科区に移転)を購入している。
本願寺の寺基自体は400年以上に渡り移転していない。

文化財

境内には桃山文化を代表する建造物や庭園が多く残されており、境内が史跡に指定されている。
また、平成6年(1994年)12月には、古都京都の文化財の一部として国際連合教育科学文化機関の世界遺産(文化遺産)に登録された。
建物の配置と構造は真宗建築の典型で、親鸞聖人像が安置されている御影堂(ごえいどう)が本堂よりも大きく造られている。
寛永13年(1636年)に建立された御影堂は、現在「寛政の大修復」寛政12年(1800年)以来2回目の「平成大修復」(1999年 - 2008年12月)を行っている。

国宝

書院(対面所及び白書院)

北能舞台

黒書院及び伝廊 2棟

飛雲閣 - 金閣(鹿苑寺)、銀閣(慈照寺)と並んで『京の三閣』と呼ばれる。

唐門

紙本墨画親鸞聖人像(鏡御影) 附絹本著色親鸞聖人像(安城御影)・ 絹本著色親鸞聖人像(安城御影副本)

『阿弥陀経註』 親鸞筆

熊野懐紙(後鳥羽天皇宸翰以下11通)附伏見宮貞敦親王御添状1巻、飛鳥井雅章添状1巻

西本願寺本三十六人家集37帖、附後奈良天皇宸翰女房奉書1幅

重要文化財

建造物

本堂(御影堂)

阿弥陀堂

玄関、浪之間、虎之間、太鼓之間 1棟

能舞台、附橋掛

浴室(黄鶴台)附廻廊

鐘楼

美術工芸品

紙本著色親鸞・如信・覚如三上人像

紙本著色善信上人絵(琳阿本) 2巻

銅鐘(梵鐘)

『歎異抄』 2巻 蓮如書写奥書

『顕浄土真実教行証文類』 6冊

『伏見天皇宸翰歌集』(99首)

『栄花物語』 15帖

「恵信尼自筆書状類」 覚信尼宛 (10通)

「証如上人極官関係文書」 3幅、2巻

「親鸞自筆書状類」(4通) 2巻

『天文日記(光教日記)』自筆本 56冊、11巻

「本願寺御影堂留守職歴代譲状」(18通)12巻

特別名勝

本願寺大書院庭園(史跡)

名勝

滴翠園

門主

大谷光瑞 - 第22世法主。
大谷探検隊を率いて西域仏跡探検を行う

大谷光真 - 現門主(住職)(即如)。

別院

詳しくは浄土真宗本願寺派別院・教堂を参照

本願寺築地別院 - 1617年(元和 (日本)3年)に第12代門主准如が西本願寺の別院として建立。

本願寺鷺森別院 - 1467年(文明 (日本)8年)に第8代門主蓮如が建立。

アクセス

京都市営地下鉄烏丸線五条駅 (京都市営地下鉄)下車。

[English Translation]