位階 (Ikai (the court rank))

位階(いかい)とは官吏の序列をいう。

日本では勲等と並び位階勲等と称され、主に律令法(律令制)によって定められたものを指す(主に明治時代から昭和前期までは金鵄勲章功級も含まれた)。
律令制下の位階制においては、親王に対する位階は品位 (日本史)として別途4階が定められた。
位階は主に王 (皇族)および人臣が対象であり、人臣の位階については律令法が廃止された明治時代以降は、官吏であった者や特に功績のあった者などに与えられる栄典の一つとなった。
今日においても日本国憲法に基づく栄典のひとつされ、毎年功労ある物故者に授けられている。

なお、位階に叙すことを叙位(じょい)と言い、平安時代以後は、宮中で五位以上の位階を授ける儀式(正月五日頃に行われる。)のことも叙位と言った。
また、位階と混同して用いられることの多い「官位」とは「官職と位階」を指し、位階とは異なる。

日本の位階制度

位階制度は、他の政治行政制度と共に中国から継受し、日本で独自の発展を遂げた。
初めて官吏を序列付けたのは、603年(推古天皇11年)の冠位十二階である。
その後数度の変遷を経て(→冠位・官位制度の変遷)、701年(大宝 (日本)元年)の大宝律令および718年(養老2年)の養老律令によって位階制度の基本が固まった。

673年以降は神にも位階が与えられた(神階参照)。

概要

位階制度は、位階と官職を関連づけることにより(官位制)、血縁や勢力にとらわれず適材適所を配置し、官職の世襲を防いだ。
また、天皇が位階を授与することで、全ての権威と権力を天皇に集中し、天皇を頂点とした国家体制の確立を目的とした。

大宝令・養老令のうち官位について定めた『官位令』によれば、皇族の親王は一品(いっぽん)から四品(しほん)までの4階、諸王は正一位から従五位下まで14階、臣下は正一位から少初位下(しょうそいげ)まで30階の位階がある。
位階によって就くことのできる官職が定まり、位階に応じて衣類などにも制限が加えられる。
また、五位以上の者には位田が支給される規定となっていた。

なお、律令制における「貴族」とは五位以上の者を指し、これには昇殿などの特権が与えられた。
「貴族」に対し、六位以下無位までの者を「地下」(ぢげ)もしくは「地下人」と呼ぶ。

朝廷及び明治新政府では、故人に対して生前の功績を称え位階または官職を追贈がなされることがあった。
位階を贈ることを贈位、官職を贈ることを贈官といった。
(例)贈正四位、(例)贈内大臣。

正○位の「正」は「せい」でなく「しょう」、従○位の「従」は「じゅう」でなく「じゅ」と読む。
また、三位は「さんい」でなく「さんみ」、四位は「よんい」でなく「しい」、七位は「なない」でなく「しちい」と読む。

蔭位の制

蔭位の制(おんいのせい)とは、高位者の子孫を一定以上の位階に叙位する制度。
父祖のお蔭で叙位するの意。
令によれば、子孫が21歳以上になったとき叙位され、蔭位資格者は皇親・五世王の子、諸臣三位以上の子と孫、五位以上の子である。
勲位・贈位も蔭位の適用を受ける。
蔭位の制は中国の律令制に倣った制度だが、中国の制度よりも資格者の範囲は狭く、与えられる位階は高い。

皇族・諸王
親王の子 → 従四位下
諸王の子 → 従五位下
五世王の嫡子 → 正六位上
(庶子は一階を降す。)

諸臣
一位の嫡子 → 従五位下
以下逓減して
従五位の嫡子 → 従八位上
(庶子は一階を降し、孫はまた一階を降す。)

刑法上の特典

儒教の経典である『礼記』には「礼は庶人に下らず、刑は大夫に上らず」とされ、律令法では八虐などによる死罪 (律令法)(実際は流罪及び除名で代替される場合もあった)を例外として、五位以上の官人には実刑を加えないことが原則とされていた。

日本では中国の八議(『周礼』では八辟)の制度を元にして名例律において六議の制が定められ、三位以上は6番目の「貴」とされて減刑の対象となり、更に五位以上でも「請」の手続を経ることで準用が認められた。

流罪以下の刑に処せられた場合、罪一等を減じた上で官当により自らの位記を返上して罪を贖った。
平安時代中期においては、官職の重要性が高まったために左遷や解官(官職罷免)による換刑が行われた。
散位や卑官の者に限って官当や贖銅で罪を贖うことで実刑を免れるのが一般的であった。

位階制度の形骸化

本来は能力によって位階を位置付け、その位階と能力に見合った官職に就けることで、官職の世襲を妨げることを大きな目的とした。
しかしながら、蔭位の制を設けるなど、世襲制を許す条件を当初から含んでいた。
そのため、平安時代の初期には形骸化して一部の上流貴族に世襲的な官職の独占を許すに到った。

明治維新により律令法が廃された後も、太政官においては、暫く続けられた(明治2年8月20日 (旧暦)に大少初位の代わりに正九位・従九位が設けられている)。
明治4年8月10日 (旧暦)には官等の導入によって一旦は廃止された。

明治20年~大正15年

1887年(明治20年)には、「叙位条例」(明治20年勅令第10号)が制定されて位階制度が復活した。
叙位条例以降は、正一位から従八位までの16階(叙位条例も同じ)とされた。
叙位条例によると「凡ソ位ハ華族勅奏任官及国家ニ勲功アル者又ハ表彰スヘキ功績アル者ニ叙ス」(叙位条例第1条)とされた。
叙位条例によると、従四位以上は勅授(宮内大臣から伝達)、正五位以下は奏授(宮内大臣が天皇に奏して叙位)とされた。
また位は従四位以上は華族に準じた礼遇を享けた。
従一位は公爵、正二位は侯爵、正従三位は伯爵、正従四位は男爵に準じた。

大正15年~終戦

1926年(大正15年)には「位階令」(大正15年勅令第325号)が制定された。
これにより、勲章 (日本)・褒章と並ぶ栄典制度の一つとして位階制度は維持されてきた。
叙勲と異なり、日本国籍を失ったときには位も失い、外国人を叙位することはない。
また、位階は臣民にのみ与えられ、皇族を叙位することはない(ただし、皇籍を離脱した者は叙位の対象となる)。
所管は宮内省宗秩寮。

位階令では、従来の叙位条例から叙爵対象の順序が変更され、「国家ニ勲功アリ又ハ表彰スヘキ功績アル者」・「有爵者及爵ヲ襲クコトヲ得ヘキ相続人」・「在官者及在職者」とされた。
結果的に、栄典制度としての側面をより強調することとなった。

位階令によると、正二位以下の授与形態に変更はなかったが、正従一位は特に親授(親授式で、天皇から位記を授与)とされた。

昭和39年~現在

第二次世界大戦後、叙勲と共に叙位は一時停止された。
その後、1964年、授与対象を故人に限って復活した。
そのため現在では、故人の功績を称え、追悼する意味合いが強い。
授与に当たっての選考基準は叙勲とほぼ同じだが、細部で異なっており、功績種別によっても選考基準が異なる。
叙勲の所管は内閣府賞勲局(中央省庁再編前は総理府賞勲局)、叙位の所管は内閣府大臣官房人事課(中央省庁再編前は内閣総理大臣官房人事課)である。
長く公的な職にあった者(議員・官吏・消防吏員・消防団員・教員等々)に叙位される例が多い。

叙位された場合、それを証する位記が交付される。
位記には縦書きで次のような記載がなされる。

従四位以上

氏名

従四位に敘する

御璽

平成 年 月 日

内閣総理大臣 氏名

正五位以下

氏名

正五位に敘する

平成 年 月 日 (内閣之印)

内閣総理大臣 氏名 宣

中国の位階制度

三国時代 (中国)-隋の文帝時代については九品官人法参照。

[English Translation]