名跡 (Myoseki (Family Name))

名跡(みょうせき)とは家制度と密接に結びつき、代々継承される個人名。
もしくは家名。
(みょうせきと発音する。
めいせきと発音するのは誤り)

概要
主に武家などにおいて名字を継承する。
(武家の場合は下の名前は継承しない)

ビジネスで、(旧い商家にて、)老舗家の当主が代々継承する名前(フルネーム)。

芸道・芸能や相撲・武道の世界などにおいて代々襲名する名前(フルネーム)。
相撲の場合はフルネームではない

日本古来の大家族・「家制度」と密接な関係を持っている。
そのため、(民法の相続編・親族編が昭和22年に改正され、イエ制度が崩壊してからは)現代人には分かりづらい制度になっている。

名跡により継承されるのは「信用」「伝統」「歴史」「良きイメージ」「芸統・気風」すなわちブランドであるが、それのみならない。
「顧客リスト(ハウス・リスト)」(=優良な顧客層。ご贔屓筋。スポンサー。スポンサー。タニマチ。借金の貸主)そのものも含む。
今日では顧客リスト(ハウス・リスト)こそが収益と同義語であることが明らかになっている。
名跡を継ぐためには名跡所有者の借金の全額を肩代わりすることが必要となる(借金の貸主を名跡所有者から引き継ぐことと同義)。
そして名跡所有者の大家族(の、とりわけ扶養義務)を継承することを要する。
それは一族内の生きている者を扶養するだけでなく、死者(一族の先祖)の墓を守ることをも含む。
そのため、長子相続が一般的であり、血縁外の者が継ぐ場合は一般的には一族の中に入ることが求められる(婿養子になるなど)。
血縁外の者が一族に加わらずに継承する場合には必ず、名跡保持者に対して、多額の金銭の授受が必要となる(すなわち、名跡が一族外に流出することになり、それへの対価である)。
この金銭に関して税務上の申告がどのようにされているか定かではない。
日本相撲協会の年寄名跡は実際には多額の金銭を対価として売買されるが、それは以上のロジックで理解できる。

名跡とは具体的には名前(芸名)のことであり、同じ名を何代にも渡って襲名し、用い続けた場合に生まれてくる権威や伝統を伴っている。
また名跡は基本的に「代々受継がれるひとつの名前」のことであるから、たとえば家元の地位そのもの、すなわち、家元相続を行っても新家元が先代家元のフルネームを継がない場合には、その名前は名跡とは呼ばない。
あくまでも同じ名前を数代に渡って用いることが条件である。

いずれも芸名(ビジネス上の通名)を同じくすればよく、戸籍上の名を同じくする必要はない。
しかし、ごく稀に戸籍上の名も改名する場合が見られる。

なお、名跡とは通常、フルネームを指す。
政治(選挙区の世襲、または派閥継承)や暴力団(跡目継承)でも行われていることはほとんど上記のとおりであるものの、フルネームの個人名(名跡)を継承することはない。
すなわち名跡は継承されない。
しかし、武家の相続では名跡とは苗字・家名のみの継承を指す。

芸能
名跡の襲名は歌舞伎や落語等の寄席演芸、家元制度を採る各種の芸能、芸道に多く見られる、日本独特の制度・慣習の一種である。
能楽、狂言、人形浄瑠璃、邦楽(能や歌舞伎から大衆的な津軽三味線まで)、日本舞踊と、日本の芸能のいずれの分野にも名跡襲名が存在する。
(日本共産党と関係を持つ劇団前進座でも襲名はある。現代劇であるはずの新派劇・松竹新喜劇なども)

とりわけ、歌舞伎と落語では、襲名が特に注目される。
興行主にとって襲名に伴う披露興行が“ノーリスク・ハイリターン”のビッグ・ビジネスとなるからである(興行主にとってノーリスクハイリターンなのであって、襲名する当人にとってではないところに注意)。
松竹会長の永山武臣は「歌舞伎(興行)とは、襲名(興行)に追善(興行)と見つけたり」という方針を立ててビジネスを成功させてきた。
落語も同じ。
「名跡」という言葉がもっぱら用いられるのもこれらの分野である。
これらの分野では、歴史ある大きな名になるほど襲名も一段階にならず、いくつか段階をふんで襲名していく。
つまり同一人物が生涯に襲名興行を何回も繰り返す。
まず初名(最初に名乗る軽い名前)が存在する。
(落語の場合は前座名ともいう)
たとえば初名中村児太郎が中村福助になり、中村芝翫を経て中村歌右衛門になるといったように、出世魚式の名跡のリレーが見られる。
これには、どの名跡をどの時点で継ぐかによって、その人の芸を示すという意味合いもあるのである。
なおこの場合、中村歌右衛門のように、その系統で最高の権威を持ち、それ以上の襲名を行わない名跡のことを、止め名(留め名)と呼ぶ。
また、留め名であり、かつ、同屋号同亭号全体に対して家元的権威を持つ(あるいはそれだけの権威をかつては持っていた)名跡もある。
例えば、歌舞伎市川宗家・市川団十郎、成駒屋における中村歌右衛門、桂派における桂文治、三遊亭・橘家系統(三遊派)における三遊亭圓生、春風亭・柳家系統(柳派)における春風亭柳橋、春風亭柳枝、柳家小さん、林家系統における林家正蔵などである。
こうした止め名や家元的名跡などを含めて、名跡のうちでも大なるものを特に大名跡と呼ぶことがある。
歌舞伎と落語では名跡はとても重視され、前記のように出世魚式の名跡のリレーが見られる。
そのほか、第一線で活躍している者は、全員が大名跡を名乗っている(ただし落語では平成期にその伝統が崩れ、歌舞伎にも例外がある(=初代吉右衛門、当代の中村梅之助など))。
歌舞伎と落語以外では名跡へのこだわりは薄い。
例えば大相撲の四股名は最上位力士であっても名跡を継承する場合もしない場合もある。
(反面、年寄名跡制度は一代年寄制度と併存しながらであるが守られている)

なお、囲碁はかつては芸事の一つであり、家元制が敷かれていた。
本因坊という名跡は、名跡として継承された。
但しフルネームを継承するわけではない(名(雅号)は個人ごとに名乗る)。
しかし本因坊制度は1939年以降実力制になり、棋戦の勝者たるタイトルの称号としての本因坊となった。
その年の本因坊戦勝者が本因坊を継承する。
同棋戦の王者を何期も経ると名誉本因坊となり、以後はタイトルの有無にかかわらず本因坊名跡を名乗り続けられる。

名跡は基本的には芸系に属するものであるが、しばしばある一家がこれを管理し、血縁もしくは養子縁組によってこれを相続することが多い。
ただし後嗣がいない場合、遺族との相談によって先代の芸系を受継ぐ者がこれを相続する場合もあるが、現在ではこれはあくまでもそれにふさわしい後嗣がいない場合に限られるようである。
名跡は単なる名前ではなく、代々の襲名者によって伝統的に築き上られてきた芸を継承するという意味もある。
つまり市川団十郎における荒事、尾上菊五郎における世話物、坂東三津五郎における踊り、三遊亭圓朝における人情話、怪談などがこれである。
襲名の際には、血縁的な資格だけではない。
こうした芸の特質を受継ぎ、よく習得しているか、あるいはその実力が名跡の大きさに相応しいか、などが勘考される。
つまり本来血縁や師弟関係等の系図的要素はあくまでも基礎的資格であるにすぎない。
それ以上の、名跡にふさわしいか否かについての判断のために、しばしば襲名にあたっては、当該襲名者の師匠の許し、歌舞伎であれば松竹、落語ならば席亭や師匠の判断、さらに場合によっては同姓同亭号の大立者の協賛などが必要になってくる。
ただし襲名を契機にさらなる飛躍を期待するという意味で、血縁者に実力以上の名跡を継がせるということもしばしばある。

なお歌舞伎や寄席演芸の場合は代数が正確ではない場合があるので注意を要する。
理由として、(落語の場合は)過去の資料が存在していない時代があることが挙げられる。
名跡を名乗った歴代のうちあまりにもその芸が拙劣であった者は代数から抜いてしまう場合もある。
また縁起をかついで代数をいい数にずらすことがあること、(落語の場合は)いわゆる前座名は代数としてカウントしないという慣習の存在もある。
この場合、当代春風亭昇太のように、前座名のまま大看板となる場合には、果たして何代目と呼ぶべきか大きな矛盾を抱えてしまうことになる。
そもそも代数を重視せず、フィーリングでなんとなく決める場合などがあげられる。
また東西(東京と上方)で別系統ながら完全に同名の名跡が存在する場合があり、混乱のもととなる。
それと別に、歌舞伎では、死者に代数(=名跡)を追贈(ついぞう)することがある。
これはプロ野球の永久欠番と同じで、「代数を欠くこと」そのものに意義があるのである。

子が親よりも大きな名跡を継いだ例
親が早世した場合(5代中村福助(慶ちゃん)、尾上辰之助など)を除く。

3世歌六
-17世勘三郎
2代猿之助
-段四郎
彦三郎 (6代目)
-17代羽左衛門
7代梅幸
-7代菊五郎
6代目嵐芳三郎
-6代國太郎
梅之助
-梅雀
三平
-正蔵 (「親が早世」というケースに当てはまるかもしれないが)
蝠丸
-十代目文治
米朝
-米団治
圓之助
- 4代目小圓朝
また、子が一代で不世出の大名跡を築き上げた例も多数ある(圓朝、鴈治郎、吉右衛門 - いずれも初代)

なお、兄弟間の場合は、「長子はその家の固有の名跡を継ぎ、第二子以降は他の家の名跡を継ぐ」ということがある。
期せずして「弟のほうが格上の名跡」という場合がある。

武家と名跡
肉親及び親類が実子または養子として家名を継ぐことを「家督を継ぐ」というが、血縁でないものが娘婿(婿養子)あるいは養子となって家名を踏襲する場合は「名跡を継ぐ」ということもある。
とりわけ、異なる氏のものが継承することでその家名の血筋が変質する場合において用いられる。

鎌倉時代以降、家名が絶えた場合にその断絶を惜しみ、肉親以外のものが称す場合があり、さらには戦勝の記念として滅ぼした敵の家名を名乗るという事例もあるという。

とりわけ、名跡継承の代表例は畠山氏である。
畠山重忠は、桓武天皇裔である秩父平氏の一党であった。
畠山重忠が子ともども岳父 北条時政に滅ぼされると、時政は娘である重忠未亡人を足利義純に娶わせ、畠山氏の領地を相続させた。
これにより義純の子孫は源姓畠山氏となり畠山氏は平氏から源氏の一門へと変わったのである。

[English Translation]