採訪処置使 (Saiho Shochishi (an investigating commissioner))

採訪処置使(さいほうしょちし)は、中国・唐代の官名である。

概要

開元20年(733年)に、それまで10道に区分されていた唐朝治下の諸地方を、15道に区分し直し、各道に採訪処置使を設置した。
それ以前、中宗 (唐)代に10道に分割した時には、巡察使 (中国)が置かれていた。

その職掌は、漢代の州刺史に相当する。
よって、京畿道採訪使は、漢の司隷校尉に当たる。

その治所は、管轄下の州の中で、最重要の州に設置された。
その後、その職掌は、次第に民政に重点が置かれるようになった。
粛宗 (唐)代以降、名称が観察使と改められ、また、天下は40余道に分割された。
よって、領域の広大な道では10州余り、狭いところでも2・3州を管轄とした。

また、観察使より大なるものが節度使となるが、本来の節度使は武官であるため、文官としての観察使を兼務することとなった。

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